ご愁傷様です

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ご愁傷様です


 腹が痛いような気がする。


 しかしその感覚は強くなく、他に意識をやってしまえば分からなくなる程度の事だったので、恐らく大した事ではないのだろうと思った。


 なので当たり前の一日を過ごすべく、決められた場所へ向かい、いつも通りの人々と顔を合わせ、日常という暮らしを行おうとした。


 午前中に関しては特にこれと言った事のない凡そ平和な時間だった。

 午後に入る前になるとトラブルは発生した。防火シャッターが不正な働きをしたのだ。

 逆の不調であれば大問題だったろうが、幸い平時の誤作動であった。いきなり動き出した事で混乱は発生したものの、警告音を発しながらゆっくり下がる扉で怪我をする人は存在しなかった。

 けれども人の心理と物事についたルールと言うものは厄介で、下がる扉に興味を持つ野次馬と、あえて潜り抜けた大馬鹿者、それによって発生したかも知れない怪我人への対処マニュアルから緊急通報時の自動一律システムによって消防から救急車までを出動させる羽目になった。


「大丈夫ですか?!」

「どうしました!」


 大勢の責任ある人達が集まって来る。それを善良な野次馬達が眺めている。

 いつの間にか、悪ふざけをしていた大馬鹿者は消えてしまったらしい。当然と言えば当然かもしれない。


「ああ、大変だ!」


 あちこちに確認の声をかけていた一人が、こちらを見て大声を上げた。

 始めは何の事かと思ったが、彼等は自分に向かって来る。

 一体どういう訳なのか、さっぱり分からないし身に覚えもない。まさか悪戯の犯人と疑われているのか。


 自分はこの件には関係ないのです。

 そう言いたかったし、実際野次馬ですらなかったので首を振り、返事をしようとした。

 なのに彼等は真剣な表情でこちらの容態を確認し、どこかへ連絡している。野次馬達からも救いの言葉は出て来ない。

 どういう事なのかも分からない儘担ぎ上げられ、あっという間に車の中へと押し込められた。


「しっかりして下さい!」

「気を確かに!」


 きちんと問われれば、まともに受け答えは出来たと思う。けれどもあまりにも事は急激で、理解不能だった。頭の回転が追い付かないうちには流されるしかない。そしてその姿が普通ではないように思われたのかも知れない。

 重傷者の様な扱いを受ける内に自分の状態が良く分からなくなっていった。

 何より今日、腹が痛い気がしたのは事実なのだ。


 兎に角きちんと検査を受けるなり医者の問診を受けるなりすれば誤解は解けるだろう。

 こちらに過失はないのだし、詐病だなんだと怒られるなら腹痛の話をすれば良い。


「急いで!」

「早く!」


 真剣な表情で必死に声を上げる彼等を見ていると申し訳ない気持ちになる。一方でどうしてこうも話を聞いて貰えないのだろう、と鬱屈した気持ちにもなる。

 そんなに分かりにくいだろうか。或いは聞き取りにくいだろうか。


 それとも此方の意志なんて、関係ないのだろうか。



 大騒ぎの後に、車は病院へ到着した。

 仰向けに寝かせられたまま運ばれるのが落ち着かず、思わず体を起こそうとする。


「ダメですよ、動いては!」

「ほら、ちゃんと寝て!」


 頭を手で押さえつける様に寝かされて、流石に腹が立ったもののやはり相手は真剣であるし、高さを考慮すれば注意されて相応の危なっかしい事をしたと理解は出来る。


 だが根っこがおかしいのだ。


 そのおかしな状態のままに人を扱おうとしておいて、どうしてそんなに押さえつけるような振る舞いをするのだろう。

 どうしようもなく、嫌な気分だ。口を開いても話は通じない。依然勢いで事は流れて行く。止まらない。

 検査や診療を受けられるのだと思っていたのに、いつの間にか『手術室』の文字が見え、より大仰な姿の人々に取り囲まれている。


 このままでは大変な事になる。理解出来ているがどこまでも会話は成立しないのだ。

 一体どうすれば良いのか分からず、高まり続けた不安感がいよいよ弾けた。


 大声を上げる。

 手を振り回す。


「ああ、やはり大変じゃないか」

「どうしてここまで放置していたのだろう」


 必死の抵抗も虚しく、手足を抑え込まれ、口を塞がれた。

 これだけの人数に囲まれていては、確かにそうなってしまうのだろう。

 最早何も出来ない。


 服を切り刻まれた。

 鋭利な刃物が当てられる。皮膚が破れた。


 検査は?麻酔は?何が悪くてこうなっているというのだ?


 碌に動けもしない状況で必死に身を捩る。


 脂肪が、筋肉が、と次から次へと中身が暴かれる。

 臓物まではみ出てしまった。


「我慢して!」

「少しの事だから!」


 そんな事を言われても痛いものは痛いのだ。

 耐えるにも限界と言うものはある。

 ザクザクと人を刻んでおいてどうしてそんな要求が出来る?

 せめて始まりが分かっていたなら覚悟出来たかも知れない。終わりが分かれば凌いだかも知れない。

 どちらも存在しない。

 苦しみしかない。不快しかない。他があるとしたなら怒り位しかない。


「あ゛あ゛あああああ゛」

 もう止めてくれ。


 塞がれた口から辛うじて漏れた音は言葉として成立しておらず、あまりにも醜かった。


「ああ、仕方がない」

「そこまで抵抗するのだから」

「可哀想に」

「気の毒な事だ」


 だと言うのに、パッと突然全員が離れた。

 今更聞こえたと言うのか。

 そして今更受け入れると言うのか。


 全員が諦めた様な、悲しい顔をしてゾロゾロとそこから出て行った。


 腹を開いたまま、置いて行かれてしまった。



 ドクドクと血が流れ出て行く。拘束は解けない。外されていたとしてもこの状態では動けないだろう。

 痛みは当然治まらない。寧ろ増していく。

 死を感じる。

 後悔ばかりが心を包む。

 嗚呼、我慢しなくてはいけなかったんだ。

 それが出来なくても、せめて最初に大声を上げるべきだった。



 けれど、けれども。


 予告があるでもなく、何をした訳でもなく、何が起きたかも分からぬまま、誰も話を聞かず、集団に囲まれて、満足に動く事も出来ず、これでどうして心を折らずにいられただろう。


 挙句痛みを抑える手段もなく、こんな事になって。



 腹が開かれたまま、血を流したまま、顔色を失い人形の様になった自分の姿を気付けば何故か上から見ている。


 ああ、死んだのか。


 ポツンと置き去りにされた筈の自分の所へ、先程とは違う一団がやって来た。

 グロテスクな姿にも眉一つ動かさず、担架に手をかける。

 そしてそのままガラガラと運ばれていく。


 矢鱈荘厳に飾られた会場が見える。

 誰も彼もが泣いている。気の毒だ、残念だと言っている。


 何だか馬鹿にでもなったような気分だ。


 冷え冷えとした場所に人々が集まり、自分はその目の前を通って暗闇の中に押し込まれる。


 火が点いた。

 色が見えた。

 自分が燃えている。

 溶ける。

 焦げる

 灰になる。

 消える。


 消える。

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