吐露ドロ

FP(フライング・ピーナッツ)

吐露ドロ

 吐露ドロ


「死亡推定時刻、10月5日午前9時です」


 ある医師が言った。


 ♦︎


 いじめられている人は恵まれていると僕は思うんだ。

 だっていじめられっ子はいじめっ子の快楽を満たす役割がある。彼らには存在する意義があるんだ。

 さらに、名前を覚えてもらえるし、向こうから話しかけて来てくれるし、遊びにもたまに誘ってもらえたりもする。

 こんな幸せなのにどうしていじめは駄目なのか僕にはわからない。



「先輩っ!この資料ってどういう意味ですか?」


 近くで若手の男性社員が言った。

 

 僕は分からないようほんの少しだけ首をひねり、チラッと声のする方に視線を向ける。


「あー、そこね。 そこは……」


 やっぱり僕じゃなかった。


 自分自身に声をかけてるわけじゃないと分かり、すぐに視線を戻した。ちょっとしたことだけど何故か心が荒む。

 この経験を僕は何度もしたことがある。もう当の昔に分かっているんだ。

 どうせ僕じゃないさ……。


 ────約1年程前の忘年会での飲み会でもそうだった。


 一ヶ月程前に会社のグループラインで忘年会の話が出ていた。そこでは忘年会に参加するかどうかのアンケートが取られていた。

 僕はとりあえず「参加する」を押した。別に居ても居なくても大して変わらない。

 皆は僕をあくまで人数の1人としてみているだけであり、僕と言う名前を持った「個人」としては見ていない。


「皆さん、今日は今年を労う日にしましょう!そして来年からも頑張って行きましょう! 乾杯〜!」


 社長のコールに続いて周りの人達全員がお酒を片手に「乾杯〜!」と返す。


 忘年会が始まった。


 しばらく時間が経ち、何人かは酔い潰れ、皆の会話のネタが尽きて来た頃、つかの間の沈黙の後に、今年4月に入社した新人が僕に声をかけて来た。


「鈴木さんは休日はいつも何してるんですか?」


 愛嬌がよく、可愛らしい女性だ。

 恐らく輪に入ってない僕を入れてあげたいと言う彼女なりの優しさなのだろう。

 彼女とは4月の入社時に何度か会話をしていた。彼女は誰に対しても優しく、気遣いができる。本当にいい人だ。

 でも僕は裏では何故かこう思ってしまう。

 (あぁ、きっと僕をひとりぼっちで可哀想なやつだと思ってるのだろう。酷いやつだ)とね。

 まぁこんな事を考える僕はもっと酷い奴なのだろうが。


「あ……え……えーと……」


 久しぶりに人に質問をされた事によって、僕は困惑してしまった。

 周りの人達はチラッと僕の方に視線を向ける。


(やめてくれよ…)


 彼らは興味が無いような感じの視線を僕に送る。


 僕は何をどう答えればいいのか分からなかった。

 ここで面白い事を言ったりしてみたいが僕にはそんな勇気もない。仮に言ったところで冷めるだけだ。


「鈴木さんは趣味が無いことが趣味なんだよ」


 僕と同期であり、皆のムードメーカー的な存在の同僚が、僕が困惑している間に言葉を刺す。

 それを聞いた周りの同僚たちや社長はケラケラと笑っていた。

 例え酒で酔っていたとしても、こんな面白みもクソも無いことで笑う馬鹿どもが…


(気持ち悪いんだよ…)

 

 まぁ趣味が無いのは否めない。

 小さい頃はあったんだ。夢だってあった。


 僕は物心がついた頃には孤児院に居た。聞いた話では孤児院に来る前は母親と2人で暮らしていたらしい。

 

 彼女は四六時中酒•タバコ•ギャンブル・男遊びをしているどうしようもない人だった。

 ギャンブルで負けるたびに僕は、彼女のストレス発散のための道具として殴られた。

 一発二発と重い拳が幼い僕の骨を叩く。

 いつ終わるか分からない蛇口からポツポツと滴り落ちる水のように何度も何度も……。更には、顔の水分をタオルで拭き取り乾燥した僕の肌に、火で熱したやすりを押し当て、ズリズリと乱雑に擦られたりもした。

 そのお陰で手足は青く染まり、顔には火傷、まるでゾンビのような肌になっていた。

 そしていまだにそれらの跡が残っている。


 大好きな人と結婚し、安定した収入で普通の一軒家に住む。そんな平凡な生活が僕の夢であった。

 その夢に向かって僕は必死に勉強した。そして、疲れた時には孤児院に置いてある漫画を読んで疲れを取っていた。漫画を読むことが僕の趣味だった。


 しかし、道半ば、僕の夢はついえた。

 

 その理由は僕自身にある。

 社会人一年目の時に、先輩に風俗店に連れて行かれたことがきっかけで風俗にハマった。

 

 僕は内気な性格のため、自分の気持ちを人に伝えることが苦手だ。さらに、全身にあるあざや、顔にある火傷の跡は僕の容姿を醜く見せた。そのため僕の周りにはほとんど人が寄り付かなかった。

 しかし、そんな僕にも友人はいて、彼らが僕と関わってくれることは本当に嬉しいことだった。

 でも、風俗にハマった僕は、友人からの遊びを頻繁に断るようになり、最終的にはお金を騙して借りたりもした。

 それによって僕は数少ない友人を失った。


 仕方がないじゃ無いか。たとえ偽りだとしてもそれでしか愛を貰うことが出来ないからだ。

 お金以外で愛を貰う方法なんて僕は知らないんだ。


 毎週風俗に通いお金と精子を吸われ、虚しい気持ちで家に帰り、寝て起きてまた出勤の毎日だ…。

 そのせいか、僕はいつの間にか風俗を生きがいにしていた。そうして行くうちにどんどん毎日が虚しくなっていき、気づいた時には僕はもう50代になってしまっていた。

 

 今はもう僕に夢や趣味なんて無い。

 50代ということもあり、性欲は段々なくなって来ていて、毎週のように風俗に通うことによってもはやそれは習慣になって来ていた。

 周りの人と比べて僕の顔には生気が無い。目は半開きで仕事も手につかず、顔にはDVで受けたあざの跡や熟年のニキビがあり、加齢臭が漂っている。

 誰かより秀でている所なんて僕には無い。

 あるとしたら、どこの風俗が良いのか、今日は誰が勤務しているかなど、風俗店の知識や雑学を知っているくらいだ。




 そんなことを考えていると忌々しいあの同僚がまた口を開く。


「そんなことよりさ、この前嫁と行った居酒屋で……」


 同僚は別のネタを話し出した。

 それを聞いて周りはみんな笑ったり頷いたり、何かしら反応をしていたが僕はそれを知らない。

 僕だけ置いてかれている感じがした。

 

「はぁ…」


 僕は長く小さくため息をついた。


(なんでこうなったんだろう…)


 思わず心でそう呟く。


 そこから、同僚は自分の自慢話をさらにべらべらと話し始めた。


 その間僕はとにかくお酒を飲みまくった。

 別に他人に無理矢理飲まされているとかでは無い。たとえ飲まされたとしても、僕にはなんの面白みも無い。

 だって僕はみんなの人気者のダイヤモンドじゃなくてそこら辺の石ころなのだから。


 やけ酒をしたせいか、体はポカポカしていて、頭もフラフラで立つのもままならない感じだ。

 それでも気持ちが悪いのならトイレには行かないといけない。

 僕は立ち上がり、トイレへと続く道をふらついた脚で歩を進める。

 一歩二歩とゆっくりと進めると隣から声が聞こえて来た。

 

「先輩大丈夫ですか?肩かしますよ」


 愛嬌のあるあの子だ。

 どうやら今はこの子だけ僕を石ころ以外として見てくれている。

 

 彼女は肩を貸してくれた。僕はそれに感謝しトイレに向かった。

 彼女からはほんのりいい匂いがした。お酒を飲んでいたということもあって、彼女は火照っていて色気があった。僕は酔っていたため、性欲が上がり、理性が緩んでしまっていた。


 このままこの女を抱きたい。

 抱くまではいかなくてもキスぐらいはしてもいいんじゃないか?この子は僕に優しくしてくれているし、キスをしたって許してくれるだろう。

 一回くらい……。

 

「着きましたよ先輩」


 もう着いてしまった。

 僕はあの子にお礼を言いドアを開けて中に入る。洋式便器を見ると何故か無性に吐きたくなった。

 そのまま顔を近づけ、吐いた。

 苦く酸っぱいアルコールの味がくる。そしてまた気持ち悪さが来て吐く。

 3回ほどそれを繰り返した後、苦く酸っぱいアルコールの味が少し残った。

 

 頭がスッキリした。つまり冷静になった。

 そして先程新人に対して沸いたやましい気持ちを思い出した。


「本当に気持ち悪いな……」

 

 忘年会が終わり、僕は1人で家に帰った。そしてその子のことを考えながら...

 気持ち良さと罪悪感が一緒に押し寄せて来た。


「あー、やっぱり僕はどうしようもない人間だ。」


 ベットで僕はそう呟きながら眠りについた。


 このときから約一年が経ち、今に戻る。あの愛嬌のある子も入社してから一年が経った。


「あの子が入社してからもう一年半程か」


 パソコンをカタカタと打ちながら仕事をしていると、右肘がパソコンのすぐ隣に置いてある書類に当たった。


「あっ…」


 パタッ……。

 何かが落ちる音がした。

 視線を移すとそれは僕の名刺のようだ。

 体を屈めて名刺に手を伸ばすと急足で歩く足音が横から聞こえて来た。

 愛嬌のあるあの子だ。目の前を急足で通っていく。

 

(僕の横を急足でわざわざ通るのは………)


「部長、この書類の提出期限って……。」


 予想が的中した。やはり部長に用があるようだ。 

 思わず無感情のガッツポーズを胸の内でする。

 もうこの歳になったということもあり、感情の起伏はほとんどない。

 平静でいられるのが難儀なくらい笑ったり、世界で誰よりもブサイクに泣いたりする事も無くなった……。

 ーーーーいや。初めからそんなものは無かったのかもしれない。

 その代わりに日々の小さな絶望が僕の心を傷める。泣くことはないが虚しくなる。

 中途半端なプライドのせいなのだろうか…。


 そんなどうする事もできないような事を考えながら落ちた名刺を見る。

 名刺には綺麗に足跡がついていた。

 その瞬間何故か泣き出しそうになった。心の中で何かが折れた。折れたことによって改めて分かった。

 僕が泣かない理由はやっぱり中途半端なプライドによって守られていたんだなと。

 ただ今、その中途半端なプライドまでもズタズタにされた気がした。

 心の傷が溜まっていたのだろう。

 

 彼女はわざと僕の名刺を踏んだわけじゃないということは分かっている。さらに彼女が目の前を通る時に「すみません」の一言もなく、まるで僕がそこに存在しないような感じで通りすぎていったが、その理由が、急用でそれどころじゃ無いということも分かってもいる。

 ただ脳が分かっていても、心はまだそれを理解出来ていない。

 多分この先理解しようとする事はないだろう。

 

 ウルウルと目から何かが湧き出ようとして来ているのがわかる。

 名刺を拾い上げ、急いでトイレに駆け込もうとしたが思わず声が漏れてしまった。


「つかれた…」


(一体僕は何のために生きているのだろうか…)


 次の日、僕は会社に辞表を出した。

 そして今日、僕はこの遺書を書いた。

 きっとこの遺書を誰かが目にするのは僕の体が腐敗してからだろう。

 だって僕はいじめられっ子じゃ無いんだから。

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