第13話 手のぬくもり

 ◇


 記憶の中は非常に温かなものだった。いつでも鮮明に思い出すことができるし、その空間を過ぎ行く風だって肌に触れるような感覚を体験できる。記憶の中で一番消えやすいとされている声さえも現実で聞こえるように脳内で再生できる。


 思い出の余韻に浸るのをやめて、現実に感覚を戻す。


 ふとジブンの目がやけに潤っていると気づき、指で水を拭う。ジブンのような存在が過去を思い出して涙していたとは。前回の活動期のジブンが見たら驚くだろうか。それとも家族に関することなら仕方ないと微笑んでくれるだろうか。


 そっと景幸の手に触れる。そこに人の皮膚のような柔らかさは無く、形容しがたい硬い物に触れたような感覚だった。そこから温度を感じることもできない。石のように固いから、彼の手にジブンの手を滑り込ませて恋人繋ぎもできない。


 そう、ベッドの上には彼の形をした無機質が置かれているだけに見えてもおかしくない。


 だが、ジブンは至って冷静に彼の手を包み込んだ。それは彼自身の境遇を知っているからだ。無論、知識として知っているだけで彼がどんな感覚を味わっているかなんてわからない。知った気になっているだけだ。


「景幸……」


 そっと口から零れ出た愛。口に含めば一瞬で溶けてなくなる綿あめのようだ。きっとこの声も彼には聞こえてない。愛も伝わっていない。今にも泣きそうな表情も感じることはできないだろう。



 だって景幸の身体を流れる時は止まっているのだから。



 景幸にかけられた呪いは至って単純なものだった。


 ひとつは、消えることのない睡眠欲。もうひとつは、寝ている間は身体の時間が止まるというもの。呪いをかけた魔法使い本人に聞いたわけでは無い。景幸にかけられた呪いはこういうものだろう、という推測に過ぎないものだ。


 それでも的を射ていると思う。その二つの現象は確実に起きている。


 景幸が寝ている間、つまり身体の時が止まっている間は、全ての細胞が活動を止められている。人体に詳しい訳では無いが、生き物の時が止まると柔らかさや体温が失われて、ただの物のようになってしまう。


 老化現象も起きない。そのため景幸の見た目は二十代前半で止まってしまっている。起きている間は進むけれど、彼が起きていられる時間なんて数時間が限界だ。


 その数時間の繰り返しで、身体は成長し、大人のような見た目になった。散髪屋に行くことができないから髪は伸びきったままだ。見た目こそ若いが、これでも数百年生きていることになる。それは彼に言えることでもあるし、ジブンにも言えることだ。


 景幸は稀に起きる。それはジブンが呼びかけた時であったり、何でもないときにふと目覚めたりする。そこに法則性は無く、眠りという生物に必要な現象らしい不確かさがあった。


 今日景幸は起きるだろうか。起きてくれたら嬉しいけれど、無理に起こしたりはしない。……そもそも、無理に起こそうとしても起きないと言った方が正しいのだが。



 するとその瞬間、景幸の手に柔らかさが戻ってきた。



「景幸、起きたの?」



 強く手を握りしめる。温かさが少しずつ広がって、ジブンの手のひらに届く。景幸に呪いがかけられてすぐの頃は、この感覚を知って泣いてしまったこともあった。それだけ、彼が目覚めるということに安心感があるのだ。


 それから少しすると、指先が僅かに動いた。このまま待っていれば、彼はきっと目を覚ます。


 その事実を意識した瞬間、胸が締め付けられた。景幸が目覚めることはとても嬉しい事だ。それなのに、どうして苦しいのだろう。気が付けば景幸の手を強く握っていた。男性らしい硬い手のひらに頬を触れさせ、まるで愛でられているかのような錯覚をジブンに与えていた。


 また、指先が動いた。意識的に、ジブンは静かに息を吐く。混ざり合った感情を少しでも落ち着かせるために、いや、そんなことも考える余裕が無かった。ただ、景幸が目覚めるのを待っているだけだ。


 景幸の手に頬を当てるのをやめて、彼の顔を少しの間凝視した。全く動きが無い。呼吸しているのかさえ、目だけでは判断できなかった。


「大丈夫……大丈夫なはず……」


 落ち着こうとそっと目を閉じる。息を深く吸って、吐く。



 そして再び目を開けた時、景幸の目がゆっくり、ゆっくりと開かれた。

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鳥籠に生きる不死鳥 星部かふぇ @oruka_O-154

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