第19話 領主と現実逃避

「すみません、取り乱しました。話を戻しましょう」


 アイシャが用意した菓子を食べ、紅茶を飲み、2人から慰めてもらったノワールは、なんとか打開策を考えるべく気持ちを切り替えソファから立ち上がる。

 とはいえ――。


「現在、足取りを掴むべくセバスチャン様含め数人が外に出ております。本日中に何らかの情報は得られると思われます」

「ありがとう。まだ視察訪問まで少し時間がありますから、期日までに彼らが見つかることをを祈りましょう」


 現時点でノワールにできることは、領主捜索をしてくれている面々からの報告を待つことのみ。ノワールは机に戻り、椅子に腰掛けると、何をするでもなくため息を吐くだけだった。

 

「あ、あの! 僕に何かできることはありませんか!?」

「うーん…………まだエミル1人で外を出歩かせる訳にも行きませんし……ここで私の手伝いとしても現状手がかりも無いので、私ができることも報告を待つぐらいなんですよね……ごめんなさい」

「そう……ですか……」


 見兼ねたエミルがノワールに提案してみるものの、やはり今はできることがないと改めて理解することしかできなかった。落ち込むエミルだったが、気を取り直してまたノワールに話題を投げかける。


「……そういえば、どうして領主様はいなくなったんですか?」


 その何気ない質問に、ノワールは露骨にバツの悪そうな表情に変わった。ギクリ、という擬音が似合う程に体を硬直させ、顔を逸らしていく。

 答えに窮するノワールを見て、代わりにアイシャが答えた。

 

「……このような置き手紙がございました」


 いつの間に取り出していたのか、アイシャの手には1枚の紙があった。少し文面を見つめた後にエミルに差し出す。


 また読めるか心配していたエミルだったが、文章は短く、簡単な文章だったため問題なく読むことができたようだった。


『辛いので休みます。探さないでください』


 紙面に視線を落としていたエミルだったが、顔をあげると頭にクエスチョンマークを浮かべているように、首を傾げた。


「……こ、これは……?」

「あー……まあその……何といいますか……恐らく私のせい……だと思うのですが……」


 いつもの余裕の態度はどこへやら、とても歯切れの悪い言い方で、しどろもどろに答えるノワール。

 自身の回答に対しエミルからの返答はなく、沈黙に耐え兼ねたノワールは勘弁して自らの行いを吐露する。

 

「……本来の領主としての仕事に加え、私が色々頼んでいたんです……それがきっと彼の容量を超えてしまってこんなことになっているのでは無いかと……」

「は、はぁ……なるほど……」


 なんと答えたら良いか分からないエミルは、なんとも言えない反応を返す。原因が自分の主人にあるということで、いよいよなんと言えば良いか分からなくなったのも致し方ないと言える。

 

 執務室内には、微妙に気まずい静寂が訪れた。


 3人共が各々現状をどうにかしようと頭をめぐらせている中で、静寂を打ち破ったのは、部屋にいる誰でもなかった。


 コンコンコン、とノックが鳴り、返事を待たずに少し扉が開く。そこから顔を出したのはナイラだった。


「ご主人、今大丈夫?」

「ナイラ……ノックをしたのなら主様の返事を待って扉を開きなさい……」

「ありゃ、タイミング悪かったです?」

「いえ、こう言ってはなんですけどとても助かりました。……それで、どうしたの?」

「訓練組がもう音を上げちゃって、時間が余っちゃったからご主人も誘って一緒に遊ぼうかなって」

「今日の仕事はどうしたのよ……」


 頭に手を当てながら首を振るアイシャを意にも介さず、ナイラは執務室へ入っていく。扉を開いて目に入ったアイシャ、声が聞こえたノワール以外にも執務室に来客があったことを確認し、その人物にも声をかけた。


「おや、エミルも居る。君のお兄ちゃん、根性はあるけど体力がまだ足りないねぇ」

「あはは、毎日部屋で文句言ってますよ」

「む。私の完璧な訓練に文句とは、もっとハードにして差し上げようか」

「えっ。えーっと……僕が言ったって言わないでくださいね」

「ふふん、考えておこう」

 

 向けられる視線を避けるようにエミルが顔を逸らしたことを確認すると、ナイラは執務机の前に座るノワールへと視線を戻す。


「ではご主人。何をして遊びますか?」

「ふふ、遊ぶことが確定しているんですね」

「主様は今お忙しいところです。遊んでいる場合では……」

「でも、今悩んでるのって領主がそもそも見つからないことにはどうしようもないやつでしょ? 今できることを何とか考えるのも良いけど、息抜きは必要だと思うな」

「それは……そうですね…………主様、如何なさいますか?」


 ナイラの指摘に思うところもあったのか、アイシャはナイラの提案を突っぱねる訳でもなくノワールに意志を問う。ノワールは少し考え、諦めたように笑いながら両手を上げた。


「……そうですね、今日はもうお仕事終わりにしましょうか」

「畏まりました」

「ご主人からの言質も取れたし、よし遊ぶぞ。訓練場を出たところの庭に集合です。休ませている人たちに声かけてきますね」

「そうですね、何をして遊ぶかも考えないと。アイシャ、エミル。貴方達も道連れですからね」

「勿論です」

「えっ!? あの、僕これも持ってるんですが!?」


 勢いよく立ち上がったノワールは、元気に執務室を出ていったナイラに続くように、部屋を飛び出していく。優雅に走り去っていくノワールの後ろ姿を慌てて追いかけ、持ってきていた教材を掲げながらノワールに呼び掛ける。しかし、ノワールは立ち止まることなく、顔だけエミルに向け、まるで普通の子どものように無邪気な声で答えた。

 

「執務室の机に一旦置いておいてください! 遊び終わった後、部屋まで届けに行きますよ! 勉強も大事ですが体を動かすことも大事です、ほら行きましょう!」


 主に言われるがまま、執務室の机に教材を置いたエミルは、待っていたアイシャと共にノワールを追いかける。

 しかし、エミルたちは目的地の庭に辿り着くまでノワールに追いつくことはできなかった。そして、庭に辿り着いた時点で、エミルただ1人だけが肩で息をする羽目になっていた。

 地面にへたり込んだところで、エミルに近付く影があった。


「なんだエミル、お前も呼ばれたのか。相変わらず体力無いなー」

「はぁ……はぁッ……ご主人様に……呼ばれて……はぁ……」


 先に待っていたロンドがエミルに声をかける。既に体力が尽きている様子のエミルの背中を擦りに行き、アイシャにも挨拶をする。


「アイシャさん、お疲れ様です」

「お疲れ様です。ナイラのしごきは大変そうですね」

「あー……まぁそう、っすね」

「あまりに大変なようであれば、また私を訓練担当に戻すようお伝えすることも可能ですが」

「え゛っ!? あ、い、いやー……も、もうちょっと頑張ってみるので大丈夫です」

「そうですか? 変えて欲しければいつでも言ってください。それでは私は主様の元へ向かいますので」


 軽くお辞儀をしたアイシャは、足早にノワールの元へ向かっていった。ロンドは緊張した面持ちでその後ろ姿を暫く見つめ程ほどに離れたことを確認して、大きく息を吐いた。


「……アイシャさんの訓練は大変なの?」

「……あれは訓練っていうか……いや、言って分かるものじゃない。……そうだ、アイシャさんに言ってみようか?」

「いや、やめて兄ちゃん……」

「ははっ、冗談だよ」


 こっそりと兄弟の会話を聞きながらうろうろと歩いていたノワールが、不意にくすくすと笑いだす。ノワールの元へ向かっていたナイラとアイシャが、不思議そうに一度首を傾げてから近付いていく。


「どうかされましたか、主様」

「ふふ、いえ。アイシャが訓練担当だった日とその日の夜のことを思い出しまして」

「あー。あれは面白かった。訓練で気を失っていた皆が、ご主人の仕事中に凄い顔で駆け込んで来たやつ」

「? 何の話ですか?」

「ふふふ、いいえ何でもないの。……さて、何をして遊びましょうか」


 ノワールはひとしきり笑った後、この集まりを作り出した張本人へ向き直る。話を振られたナイラは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりのしたり顔を浮かべながら両腕を組む。


「ふっふっふ。私が考えていた素晴らしい遊びを提案しましょう。みんな、注目注目ー。今日の遊びを発表するよ」


 ノワールやアイシャのみならず、エミルやロンド、その他の使用人たちの視線が集まったことを確認すると、声高に宣言した。


「これから皆で……かくれんぼをします!」


 満を持して告げられたその言葉に、ノワールは楽しそうに笑っていた。エミルやロンドといった使用人たちは不思議そうな表情を浮かべている中、アイシャだけはやれやれと呆れた表情で首を振っていたのだった。

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