終章 3 送り火
夜になっていた。暗闇の中でまだブスブスとくすぶっている水びたしの中庭、焼け跡へと志幸は逃亡した。このまま山間地帯へと逃げのびる以外、彼に生存ルートは残されていない。
「待ちやがれ! 女三人ていどなら手玉に取れるんだろが!」
ハルの全力、その暴走ともとれる飛行速度にとまどい、恐怖に顔をゆがめる稲水志幸。志幸は泣きながら声をはった。ハルは背後に迫っていた。
「待って、待って!」
「待つのはおまえだ! てめぇ、私の男になにしやがった! なにしやがった! なにしてくれたんだ、このクソ野郎ぉおおお!」
志幸は首や四肢をもぎ取られるていどの寛大な罰ではすませれなかった。正拳、肘、頭突き、膝蹴り、かかと落とし、骨のかたい部分で全身をつぶされ、たちまちのうちに空中でグジャグジャとした真っ赤なミンチにされていった。
後続の幸嶋がハルへと叫ぶ!
「稲水さまと同じ顔をした者など、この世にいてほしくありません!」
「よし、やれ!」
幸嶋は志幸の顔面に思いきり胃液を吐きかけた! うぎゃあああ! この世のものとも思えない悲鳴を上げる志幸。その顔はもはや見られたものではないほどに融解している。
「みっともないし気持ち悪いな、ああ、志幸! そうか、こりゃ、コンプラ的にヤバい発言か!」
ハルは悪魔的に笑いながら自身の手のひらが胃液に焼かれることもいとわず、毛髪も皮膚も溶けきってドクロと化した志幸の頭を押さえ、そのまま上空から彦佐の墓標ともいえる大破した車へと彼を叩きつけた! そこを待ちうけていたようにまひるが渾身の力をこめて志幸の頭蓋を両足で踏みつぶした。ずるりと飛び出す志幸の両の目玉。その片方の目玉を逃さず、まひるはガシガシと足首を回転させ、踏み散らかした。泣きながら。
「吉田、吉田、吉田! やったよアタシ!」
「下がれ、まひる。まだまだだ! 手ぬるい!」
志幸の上半身、下半身もおかまいなしで肉をつかんでは投げ、つかんでは投げるハル。骨を叩き折っては砕くハル。腕や脚をもぎ取るていどではハルの怒りはおさまらないのである。まさしく虐殺、たちまちのうちに稲水志幸は原型をとどめない、血の海に沈む幾千万もの肉片と化していた。まだ生きて動いていたゴキブリのごとくしぶとい片側の目玉をぐしゃりと踏みつぶすハル。
「稲水、彦佐、吉田、そして川上、連中は最期まで立派に戦って死んだ! 口先だけで逃げまわっているばかりのおまえごときがヴァンプを名のる? はん! 片腹痛いわ!」
返り血に全身がまみれ、赤く染まった仁王立ちのハルはまさしく地獄の裁判官であった。
「春乃さま、まだガソリンの残量がじゃっかんございます」
自身の胃液吐しゃで少しメイド服が溶解した幸嶋がいった。
「ふん、盛大に焚け。この別荘を吉田の思い出とともに焼却してもいい。今宵は吉田、彦佐、そして稲水志朗。川上、巻本、日下部らの鎮魂の儀とする」
「かしこまりました」
うやうやしくハルにかしずく幸嶋。
「まひる、点火はおまえにまかせる。しくじるなよ」
デュポンのライターをまひるへと投げるハル。
「はい!」
受けとめた、目に涙をいっぱいにためたまひるは、懸命にうなずいていた。
キャンプファイヤーのごとくド派手に燃やされた送り火を前にして三人の女は
さらば、さらば、さらば……と。
通報を受けたらしき消防団や警察、多数の車輛がけたたましいサイレンとともに山道を踏み分けて近づいているようだが、もはや彼女らにはどうでもよかった。
炎に頬を照らされたハルは、自身の腹をさすった。まだ早いのだが、彼女にはわかるのだ。
稲水、どうしてくれるんだ? 私はおまえの子を身ごもったぞ。ペッタンコでも乳はでるから安心しろ……稲水、私の許可なしに勝手に死にやがって……許すまじだ。だが、まひるは妹か弟ができて喜ぶだろうな。ならば結果オーライか? そうしておいてやるよ、稲水。
稲水、おまえは特別な人間ではなかった。私にいわせればただのしょーもない令和のヘタレ男のひとりにすぎない。
だが稲水よ、おまえに会えてよかった。好きだったよ、本当に大好きだった。なあ、私の稲水……。
──我が名はヴァンプ。永遠の時のしとねによりそい、地獄で裁きをくだす者──
さて、シングルマザーとなる私は、次にどの時代、どんな男と恋をするのだろうな。
了
我が名はヴァンプ ──令和編── 田柱秀佳 @tabassira_shukei
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