踊れよ死神

太刀山いめ

第1話夏よ私を焼いてくれ

 白くて清潔な部屋。


 そう聞いて貴方は何を思い浮かべるだろうか?

 理想的な寝室?それともただの殺風景?

 

「暑いのだろうな」

 窓から外を見やりながら私は独り言を言う。

 外は緑が茂る小高い丘から青々とした山脈迄望める。だが部屋の位置的に陽射しと呼べるものは入ってこず、部屋はそう暑くはならない。


 外での活動が多い人からしたら「たまにはそんな場所で仕事がしたい」と言われるかもしれない。


 私はと言うと特に動くでもなく今迄「積ん読」してあった小説等をパラパラと読んでいるだけ。

 更には有り難い事に頭寒足熱。枕元には氷枕迄有るのでいつでも涼めると言う「のんべんだらり」を地で行く生活だ。



…………………………………………


 ついこの前迄は、真夏の熱帯夜の中生温くなったスポーツドリンクをお供に大荷物の積載された台車4〜50台を仕分けして各部署に配送する夜勤仕事をしていた。

 場所はビルの地下二階。夜だと言うのに常夜灯の薄明かりしかない薄暗い…だが無駄に広いコンクリート打ちっ放しの空間が私のテリトリーだった。


「夜だってのに暑すぎるだろ…」

 大汗をかいて重たくなった制服を袖捲りしながら私は独り言ちた。

 日中の炎天下の残り火がこの空間の真のヌシだ。

 スポーツドリンクを飲むがすぐに滝汗となって消費される…

 この地下二階は空気の逃げ道は特になく配送トラックが入ってくる入り口からドロドロとした排気ガスと外の熱気が容赦なく流れ込む。


 空調設備は無い。

 夏場は先に述べた要因で熱帯夜を煮詰めたような物に支配されるが、冬場は冬場で雪は降らないが今度はからっ風が運ぶ凍てつく冷気が支配する空間となる。

 冬場は冬場でここは辛い。



「おーいヌシよ、この荷物は何処だっけ?」


 同じく此処で働く仲間から声が掛かる。


「あー、私も見たこと無いな。でも場所は13番。あそこで扱ってるジャンルだよ」


「流石」

「いよっ、この地下二階のヌシ」

 他の仲間から合いの手が入る。


「好きでヌシになるか!」

 私がそう言うと煮詰まった空間に笑いが起こる。

 私はこの地下二階のヌシとあだ名を付けられていた。

 理由は簡単。毎回必ずシフトが地下二階配備だからだ。

 これも理由は簡単。嫌な上司に目を付けられたからだ。

 同じ付けられるならまだあだ名のが良い…


「あと2時間以内には終わらそう」

 私がそう言うと仲間達は「うい」「おー」「はいよ」等と応えてくれた。


 私はこんなブラックな環境でも笑い合える仲間が居るのに密かな「繋がり」の様な物を感じていた。




…………………………………



「右脚ふくら脛、筋膜断裂だね」

 馴染の整形外科でそう診断される。

 人間どれだけ頑張ってもトラブルは舞い込む。

 地下二階で荷物を仕分けていた私はまたもや上司にしてやられた。


 500キロ相当の荷物を積んだ台車で私の右脚を不注意で轢き潰したのだ。

 不幸な事故だった。暑さもあり荷物もうず高く積まれた台車での前方不注意…と言うことだ。


 「と言うことだ」と言ったのはその後の対応の拙さがあったからだ。

 ふくら脛がどす黒くなって行く中、救急車も呼ばれず帰ることも許されず右脚を引き摺って業務をこなす事を要求されたのだ。

 帰る頃には右脚の膝下は見るも無惨な状態となり、自力で病院へ…今に至る。



「労災申請はした?」


「労災は拒否されました」


「上司の番号教えなさい」

 整形外科の先生が言うが早いか私のスマートフォンから上司に労災を認める様にと連絡を入れた。これ以上働かせるなら提携してる警察病院に入院させるから…と念押しをして。


 そうしてやっと私は休暇を取れるようになった。




…………………………


「これ以上は増やせないよ」

 今度は毎月通っている内科。内科の先生が続けて言う。


「うちではこれ以上対処出来ない。紹介状を出すから精神科を受診しなさい」


 私は遂に心身共に病む事になった。



 今迄騙し騙し働いてきて無理が祟り精神的にも参ってしまっていた。内科の先生からはすぐに仕事を辞める様に説得されていた。

 だが学歴の無い私には行場が無かった。

 幾らイビられようと、幾らぞんざいに扱われようと耐えてきた。そうしないと失職する…やっと不景気でも仕事にありついたのに失ってたまるか…病んだ心は負の連鎖を容易く作る。

 整形外科にも何度も身体の故障で世話になっていた。


 身体に激痛が奔る。痛み止め多量の服用による「線維筋痛症」と診断されていた。身体中に湿布を貼って睡眠薬を飲んで夜勤に臨んでいた。

 更には痛み止めの副作用で突発性難聴とも診断され整形外科、内科、耳鼻科とベッタリになった…


 そうする内にいつしか医療費が薄給を圧迫する様になった。

 そうしたら貯金を切り崩して遣り繰りする様になり、益々仕事を変えることが出来なくなる。

 

 でも耐えられたのだ。



………………………………



「どうだった?」

 自宅アパートに帰ると「彼女」が心配そうに声を掛けてきた。


「何とか労災認定されたよ」

「それは良かった。帰ってきた時どれだけ心配したか…」

 彼女が言う。それだけで私は報われていた。

 学生時代から付き合っている彼女だ。珠のように美しい私の自慢の彼女だ。

 

 私の身体中が壊れようと絶対に彼女を幸せにするのだ…その一心で立っていた。


「じゃああたしも仕事に行くね?今日は『簡単な物』で良いから無理しないでね?」

「うん、分かった」

「行ってきます」


バタンと扉を閉めて彼女は仕事に行った。彼女は夜勤の私と違い昼から夜にかけての勤務だ。百貨店の接客担当。見目麗しい彼女は制服姿も様になってるだろう…


 私は内科で出されている満量の安定剤デパスを飲み『簡単な物』を台所で拵える。

 家事は日中家にいる私の受け持ちに自然となっていた。彼女の「美味しい」を聞きたくて今日も痛む脚を誤魔化しながら料理をした。掃除は大目に見てもらうか…


 そうして私の日々は過ぎて行った。




………………………………………


 私は白くて清潔な部屋で今日も本を読んでいる。

 今日は読み込んだ「智恵子抄」をまた読んでいた。


 「智恵子抄」は私のお気に入りの一つなのだが、少し物悲しいのが良いのだ。貧しいながらも妻の智恵子の事を思い尽して愛す…そんな小さな愛の詩。


 詩には雄大な自然に囲まれた場所での療養風景が描かれている。私は本から視線を窓に向ける。智恵子抄の自然には負けるが青々とした山脈が今日も見える。少し身を起こして下を見ると真夏の陽射しに追い立てられる様に動く人達の姿も見えた。

 私はと言うと程よく調節された空調設備の元で安楽にしている。



「今日も暑いのかな…」

 独り言ちた。



……………………………………… 


 天井迄白いこの部屋。この部屋はまだ良い。問題は屋内の空気感だった。

 

(この空間には「死神」が居る)


 うんうんと唸る声。

 時折床を這うバタンバタンと言う異音。

 LaLa〜と時折聞こえる歌声。

 数え上げたらきりが無い。私の部屋でさえ頻繁にプルルル…と機械音が響く。



(いっそ死神よ、私と踊れ)


 白い天井を眺めながらそう願うのだ。



「もう嫌だぁ!」


 遠くから響く叫び声。


(ああ、同感だね)

 そうして1日が過ぎる。



……………………………………



「口を開けて下さい」


 「あー」と、口を開く。


「はい、大丈夫です。全部飲みましたね」

 その人は子規の様に赤い私の口を確認して白くて清潔な部屋から居なくなる。


(正岡子規も看病されながらこう思ったのかな)


 正岡子規の子規とはホトトギスの事だという。結核に蝕まれ赤く吐血した口をホトトギスの赤い口に見立ててそう名付けたとか…


(私は餌を強請る子規の雛か)

 そんな事を思いながら口を毎回開けている。

 そんな事より今日は白くて清潔な部屋の格子の外に出てみようじゃないか。


(ロビーに行けばフリーWi-Fiもあるし)




 私は格子の外に久々に出た。

 外と言っても「屋外」ではない。「屋内」だ。

 スマートフォンも久々に携帯する。今迄は預かって貰っていた。


 ロビーのソファに座る。テレビも久しぶりだ。


 暫くニュース番組を眺めていると、世間の情報が嫌でも入ってくる。どこそこで真夏日更新とか。


(やっぱり暑いのか)

 ニュースになるくらいだもの暑いに決まっている。


「今日も暑いですね先輩」

「ああ。でも休みにはならないからなぁ」


「お母さん喉乾いたジュース買って〜」

「じゃあおばあちゃんに会う前に買おうか」

「うん!」



 汗の匂いが仄かに香った。

 自分の衣服を嗅いでみる。二日に1回支給される衣服からはリネン特有の匂いしかしない。地下二階の時はダラダラに汗を流したのに…


 ロビーを通り過ぎる汗をかいた闊達な人々を目にすると自然と涙が流れた。

 そう、生きている生の匂い。今の自分からはしない生きている証。



 涙を右袖で拭う。右手首には白いタグが巻かれている。

 口には未だに感染予防対策として不織布マスクがされている。


 そう。ここは病院のロビーの患者区画。



 右脚を傷めてからは全てが早かった。


 労災1ヶ月で完治とならなかった私は職場に呼び出されて「自主退職」となった。

 整形外科で、「自己都合を迫られるだろうけど粘って会社都合にするんだよ」と言われてはいた。

 だが上司は自分が轢いたにも関わらず全てを私の怠慢として報告しており…覆らなかった。


それを聞いた彼女は二人で貯めていた…(と言っても大半は私の貯金からの持ち出しだったが)結婚資金を使い込んでおり、それが分かると…


「『二人の』貯金なんだからあたしが使ったって良いでしょ?」

 メビウスに火をつけ紫煙をはきながら言い放った。


 更には私には「ヌシ」以外のあだ名がある事も分かった。


「貴方は『ATM』なのよ」

 彼女が吐き捨てる様に言った。

「あたしと釣り合うには其れ位当然でしょ?」



 私の中の「彼女」とはかけ離れた姿に頭がどうにかなってしまったかと思った。

 私は彼女に依存していたのだろう。彼女の呑んでいる毎日の煙草の箱数からかなりの出費だとも分かっていたつもりだったが…見て見ぬ振りをしていた。

 どうかしていたのは私の方だったのか?


「帰ってきて夕食を一緒に食べて…美味しいと言ってくれた君は何処に行ったの…」

 すがる気持ちが口から出た。


「ああ、今迄おさんどんご苦労様。上げ膳据え膳特別扱い…心地よかった。でも掃除は下手ね。落第よ」



 稼げなくなったものは不要とばかりにスルスルと別れ話は進み、彼女は部屋を出ていった。



 内科から紹介状を出された病院でも散々だった。


「デパスは依存性が高い薬ですよ…飲むのをやめて療養…入院しましょう」


 世の中小説の様な「ザマァ」なんて無いのだと痛感させられた。


 きっと世間から見たら私の方がザマァされる悪役キャラだったに違いない。

 智恵子抄の様な儚い愛なんて幻想…私だって…



「繋がりを…愛を…欲しかった」

 視界が滲んでくる…


 また汗の匂いがした。これからまた無味乾燥な白くて清潔な「病室」へと…格子の中に戻るのか。子規の雛に相応しい鳥籠へ。



 スマートフォンを起動する。SNSアプリを開く。自分に宛てたメッセージの1つもあれば…たったそれだけで今の私は満たされるのに…


 続けてゲームアプリを開く。そこには繋がっているフレンドに向けてメッセージ欄に「入院します。暫くログイン出来ません」と打っておいた。

 フレンド欄を確認する。案の定フレンドは幾人か減っていた…



 真っ白い天井を眺める日々に戻るのだ。


 夜になるとこの病棟は怪しく蠢く。


 狂った様に床を踏みつけている患者。


 別の部屋からは拘束具を外そうともがく音。


 LaLa〜と独自の歌を歌う患者。


 プルルル…プルルル…何度も鳴らされるナースコール。



(ここには死神が居る)

 消灯時間になると私は毎日。


(死神よ。私と踊れ)

 そう願うのだ。さもなくば…



「夏よ…私を焼いてくれ…」

 さもなくば、そう。文字通りに。

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