ひぐらし

蒼開襟

第1話

夏の夕暮れ、このごろは夕立もなくからりとしたままでまだ熱い風が頬を

攫っていく。

目前を歩く恋人は振り返りもせずに、ポケットに両手を突っ込んだままだ

。私はその後をゆっくりとついていく。


不機嫌というわけではない。けして。

ただ、会話の中で歯車がかみ合わなかっただけ。

私は後ろ手にバックを握ると俯いた。


主張の違いなど誰にでも起こる。恋人同士であっても日常茶飯だ。

国と国になれば人の命をかけた争いになるし、災いは大きくなる。

だから二人の間のことなどほんの些細なこと。


じんと歩いているサンダルの足が痛んだ。素足に汗が滲んだから紐が擦れ

て靴擦れを起こしたんだろう。足を止めてしゃがみこむとそれを確認した

少し血が滲んでいる。鞄から絆創膏を取り出すとサンダルを脱いでそこに

貼り付けた。


『どうした?』

ふと目の前に影が落ちて顔を上げる。恋人は少し心配そうな顔をして見下

ろしていた。

『ううん・・・大丈夫、少し擦れただけ。』

くしゃりと手の中で絆創膏の包装を潰して鞄に入れる。恋人はその場にし

ゃがむと右手を私の足に触れさせた。

『・・・そっか、そうだよな。サンダルだし。』

『大丈夫だよ?』

『・・・ごめんな。』

そう言われて私は胸がぎゅっとなる気がした。


『謝ることない。靴・・・私が履いてきたら良かったんだよ。』

恋人は顔を上げると優しく微笑む。

『・・・馬鹿だな、おまえ。』

さっきまでの空気が変わっていく。また二人にとって甘い空気だ。

『・・・馬鹿じゃないもん。』

『・・・フフ、そうか。』

立ち上がった恋人の手が私の腕を掴んで立ち上がらせる。足元が少し揺れ

て私の体がバランスを崩すと恋人の腕がそれを引き寄せた。

とんと胸に頬があたり腕で包まれる。

壊さないように抱きしめられて耳元で恋人の心臓の音が早く鳴っていた。


恋人の手が頬に触れる。触れられてその手がとても熱かった。

指先で顎を引き上げられそっと顔が近づく。唇が触れて、さっき食べた甘

いカキ氷の味がした。

『・・・イチゴ練乳?』

恋人が唇を離してそう言うと笑った。私も堪えきれずに噴出す。

『うん。美味しかったね。』

私の言葉に恋人の目が優しく柔らかくなる。

『そうだな。・・・また来よう?』

『うん。』


体が離れて横に並び手を絡める。私の足を気遣ってかほんの少しゆっくり

だ。

恋人はまた前を向いて歩いていく。時々こちらを見下ろして口元に微笑み

を浮かべて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひぐらし 蒼開襟 @aoisyatuD

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ