第6話 7月9日④ 死神

「へー……ここが来栖くんの家か」

「案外綺麗に整えられているじゃないか少年」


 凪沙と執事風の男は物珍しそうに目線を動かしている。


 あの後すぐに、伊十郎と凪沙は屋上を離れた。途中で、国語教師の海江田とすれ違った。おそらく、海江田が、執事が言っていた屋上に向かっている男だったのだろう。


 海江田は階段を降りる伊十郎と凪沙を怪訝な表情で見つめていたが何も言わなかった。

 彼は自分たちと一緒に歩いている執事のような男には全く気づかない様子だった。伊十郎はそのまま階段を登っていく教師の後ろ姿を見送りながら、もしかすると、海江田には執事が本当に見えていないのかもしれないと思った。


 その後、また三人で集まって話をしているわけなのだが――。


「いや、なんで俺の家なんだよ」


 伊十郎は頭を抱えながら呟いた。


 今三人がいるのは伊十郎の自宅だった。

 あの後、凪沙は「せっかくだし、来栖くんの家で話し合わない?」などと、とんでもないことを言い出したのだ。


 挙句の果てに、凪沙の隣の男も「いいアイディアだ! 私達は、この少年の家には行ったことがない! いぜひ拝見させてもらいたい」などと言い出す始末。


 勿論却下しようとしたのだが、結局は押し切られてしまった。


「そもそも、女子が1人で男子の家に来るのはまずくないか?」

「別に私1人じゃないよ。ハルも一緒じゃん」


 凪沙はオレンジジュースをストローで飲みながら、伊十郎の方を全く見ずに足を組んで寛いでいた。

 まるで我が家のような態度だ。そのふてぶてしさに伊十郎は苦笑する。


 その後方では、執事が腕を組みながらうんうんと頷いていた。


「それに来栖くんは、私のこと襲う度胸なんてないでしょ」

「いや、襲わねぇよ!」


 クスッと笑いながらとんでもないことを言う凪沙の言葉を伊十郎は慌てて否定する。彼女は肝が座っているのか危機感が無いのか、果たしてどちらなのだろうか。


「私は構わないぞ、少年。凪沙の同意の上であれば、2人の好きにすればいいと思うがね」

 執事風の男が突然口を挟んだ。

「私はコーヒーが飲みたい。少年、キッチンをお借りするぞ」

「他人様の家なのに、ずいぶんと図々しいなアンタ」


 駄目だ。この二人と会話していると頭が痛くなってくる。

 伊十郎は、この厄介な客人たちを家に招いた失態を嘆いた。


「おい、椎名。お前の横にいる男は誰なんだよ。あのアニメから飛び出してきたような個性の塊は」


 伊十郎はキッチンに向かう執事を尻目に、凪沙に小声で尋ねる。凪沙は少し考え込むような仕草を見せた後に、言った。


「その人はハル。私の――死神?」

「何言ってんだお前」


 執事の方を見ると、どこから取り出したのか、キッチンでドリップマシンを持ち出してコーヒーを作ろうとしていた。アレは確か、両親がここを出ていく前によく使っていたものだということを今になって伊十郎は思い出した。伊十郎はコーヒーを飲む習慣が無いので、今の今まですっかり忘れてしまっていた。


「私の名前はハルシネイト。死神だ」

「いや、分かんねぇよ」


 ハルシネイトと名乗る男は、さも常識のように話すが、伊十郎には何も理解できない。自分のことを死神と呼ぶようなやつを果たして信用できるだろうか。答えは否だろう。


「……中二病か何か?」

「失礼だな、少年。私はれっきとした死神だ」


 真剣な様子で、いつの間にか沸かしたポットのお湯をコーヒーメーカーに注ぐ姿は、死神とはかなりかけ離れていた。これを死神と呼ぶには、あまりに無理がある。

 まだ凪沙がどこかのお嬢様で、ハルシネイトがその執事だと言われたほうが納得できると思う。


「私達、嘘言ってないよ。ね、ハル」


 凪沙は自信あり気に言った。


「あぁ! 凪沙の言う通りだ」


 ハルシネイトもにこやかに答える。


 伊十郎は目眩を感じ、こめかみを押さえる。

 いつも静かに本を読んでいる少女が、こんなにも話が通じないなんて。クラスの連中も、このことを知ったら驚くに違いない。まぁ、言ったところで誰にも信じてもらえないだろうが。


「自分のことを死神と自称するやつを、はいそうですかって安々と信用できるわけねぇだろ」

「でも、来栖くんも見たでしょ? あのセンセの名前なんだったっけ」

「国語の海江田」

「あぁ、それだ。とにかく、すれ違ってもセンセはハルに全く気づく素振りがなかったでしょ?」

「それは……たまたま気づかなかっただけじゃないのか」

「ハルのあの見た目で?」


 凪沙は首を傾げた。

 伊十郎はキッチンにいる自称死神に目をやる。ハルシネイトは鼻歌を歌いながら、ティーカップにコーヒーを注いでいた。まるで本職の執事のような優雅さがそこにはあった。

 その光景があまりにも日常的だったので、伊十郎は正気を失いそうになった。


 伊十郎は考え込んだ。確かに、あの大柄な体格と異様な雰囲気のハルシネイトを、普通の人が見落とすとは考えにくい。たまたま見逃したという可能性は、どう考えても無理があった。


「ハルは私と来栖くんにしか見えないの。試しに、ハルを今から来栖くんの家の前で裸踊りでもさせてみる? きっと誰も反応しないよ」


 凪沙は突然思いついたように言った後、悪戯っぽく笑った。


「冗談じゃない。仮に見えなくても嫌に決まってるだろ。俺の家の前でそんな変なことさせんな」


 伊十郎は大きく溜息をついた。

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DieBreak; One More Bullet 不労つぴ @huroutsupi666

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