光と共に、誰も彼もが

秋坂ゆえ

光と共に、誰も彼もが

 まるで地獄の底から響くような、それでいて暖かい声だった。

 英語のアクセントからしてアメリカ人で、酒焼けヤニ焼けした五十代以上の黒人歌手だと判断したが、大ハズレも良いところだった。

「え、洋楽ヲタのおまえが知らねぇの? 『ディンディン〜』ってサビが有名な曲、めちゃバズったじゃん」

 いや、だから曲は知ってるし声も知っている。だがそれがソロシンガーなのかバンドなのかまでは、俺は知らなかった。何故ならそれは、妻が某洋画のMAD動画を見せてきて、そのBGMとして使用されていたからだけだからだ。そもそも洋楽ロック沼からは結婚を機に卒業していて、今は邦楽の活きの良いアーティストをのんびり聴いているだけだ。洋楽も、かつて『命懸けで』追いかけていたような大好きなバンドすら、来日情報を逃したりするていたらく。

——走り疲れた。

 そんな感覚を、抱いていた。


 俺が若い頃、つまり十代二十代の頃は、YouTubeユーチューブも各種サブスクも、下手するとCDすらなく、最初に手にしたポータブル・ミュージック・プレイヤはカセット・ウォークマンだった。好きなアーティストが新譜を出すとなれば、事前の露出(音楽雑誌全買い、音楽チャンネル・地上波の録画、ラジオ録音、以下略)は全ておさえ、大抵水曜日に発売されるCDは『店着日』、即ち火曜に大手ショップに走って初回限定版購入、『リリパ』こと『リリース・パーティ』ライブに参戦するのはファンとして『常識以前の行為』だった。


 俺にとって、音楽は光だった。

 どんなに楽しい時も音楽は気分をさらに上げてくれて、どんなに絶望している時も音楽はそばで寄り添ってくれていた。だから俺は音楽という光を追って走り続けていたのだ。

 別に、妻が新しい光になったから音楽が不必要になったなんてことは言わない。今でも俺は、ほとんどの時間をBGMと共に過ごしている。

 だが、疲れたのだ。全力疾走で、光を追い続けることに。

 CDラックは2010年頃からさほど埋まらなくなり、懐メロばかり聴くようになった。無論、仕事が忙しくなったり、妻を養う、生涯笑顔でいて欲しいからと尽力し、自分自身の時間が減ったという現実的な理由もある。

 それでも——



「ちょっと、聞いてる?」

 妻に声を掛けられ、思わず我にかえる。

「ああ、ごめん。何?」

「急な話でスマンだけど、明後日、千葉の親戚んちまで一緒に来て欲しいんよ。お盆だしさ、流石にウチら正月とかもブッチしまくりだし、なんか、ね、私は良いんだけど、母親が風評被害に遭ってるっぽくて」

 ショートボブの妻はぎこちない笑みを浮かべてそう言った。嗚呼、そうか。むしろ風評被害を受けてるのはおまえじゃないのかい。

「いいよ。お義母さんの所に前乗りするなら明日行くか?」

「え、ホントに良いの? 何も知らない親戚連中も来るから、もしかしたら——」

 俺は、眉をハの字にして『とある危惧』で胸を破裂させんばかりの妻の、その小さな頭を撫で、自室に向かった。

 俺は子作りができない。種なしってやつだ。


 妻があの調子だったので、あの曲、正確にはあの曲をBGMに使用したMADビデオをどうすれば見られるか、聞きそびれてしまった。

 友人が言っていた通り、コーラス——日本語で言うサビ——で『ディンディン〜』と歌うのが印象的だったので、歌詞サイトを開き、”dingディン dingディン”と検索してみたが、全くそれらしきものがヒットしない。必死でその続きを想起すると”glitterグリッター andアンド goゴー”というフレーズが頭に浮かんだ。”go”は不自然だが、それで再度サーチすると、それらしきタイトルとアーティスト名が液晶に現れた。『ディンディン』と聞こえていた箇所は”tingティン tingティン,” よくある話だ。


Glitter and Goldグリッター・アンド・ゴールド』 — Barns Courtneyバーンズ・コートニー


 そのサイトで試聴可能だったのですぐさま再生すると、まさにあの曲、あの声だった。思わず口角が上がり、そのままMacBookマックブックでその曲を購入した。

 アー写——アーティスト写真——が小さくぼやけていたので、まず白人だということに驚いたが、『バーンズ・コートニー』のバイオグラフィをググって顎を落とした。

 若干二十八歳、シアトル育ちのイギリス人だったからだ。

 

 数時間後、俺は妻が寝た後、自室でも居間でもなく何故かキッチンの木目調の冷蔵庫の前に座り込み、自撮りでInstagramインスタグラムのビデオ・メッセージを録画していた。

 ちょっとした応援、ちょっとしたいたずら心、そしてちょっとした憂さ晴らしだった。

「東京から初めまして、バーンズ。日本は今、『お盆』っていうホリデイ・シーズンなんだ。曲、日本で聞ける限りは聞いたぜ。マジ良い声だな。ライブ映像も見たよ。ドラムとアコギだけでやる『Glitter and Gold』はガチで最高だった。いつか日本に来てくれよな」

 そして何の感慨も躊躇もなく、送信ボタンをタップした。



 千葉でのお盆の親族会合、またの名を『単なる飲み会』は、極めて昭和的で、他所者で若造、しかも下戸である俺は、ひたすらにアルコールを浴びる男性親戚群に捕まらぬよう、酒を注がされたりあてを作らされたりそれを運ばされたりしている女性陣を手伝っていた。

「おいおい、さっきから忙しないなぁ、全然飲んでないじゃないか」

 嗚呼、酩酊した妻の大叔父からご指名を食らってしまった。

「下戸でもビールくらい飲めるだろ、こういう席で一口も飲まないのは無礼だぞ」

 いや、貴方がなさってることがアルハラですから。男尊女卑とアルハラとモラハラのトリプルですから。今令和ですから。

「申し訳ないのですが、お酒はドクターから止められておりまして」

 こういう時は『医者』ではなく横文字を使うのが肝だ。満面の笑みで俺は言って、外の空気を吸ってくると言い残し、喫煙を許されているガレージに出て紙巻き煙草に火をつけた。あれだけ酒を飲む人間がいて喫煙者が俺だけというのも皮肉な話だ。

 その時。

 ポケットに入れていたiPhoneが振動し、何らかを告げた。どうせ取るに足らない広告だろうと思いながらも取り出してみると、液晶にはこう表示されていた。


『@Barns_Courtneyさんからメッセージが届いています』


 目を見開き、閉じ、二度見した。液晶は既に暗くなっていたので、ロックを解除しインスタを開くと、確かにメッセ着信のマークがあった。恐る恐る開いてみると、それは動画での返信だった。無意味に周囲を確認し、再生する。

「ヘーーイ日本のファン第一号さん! 動画マジサンキュー! 信じられないよ! 俺、日本人の幼馴染みがいて、日本は憧れの国なんだ。きっと全てが西洋とは違うんだろうな。ってかなんで俺のこと知ってんの? ジャパン・ツアー決まったら連絡するから、絶対来てくれよ! アリガット!」


——俺は肉で俺は骨、ティンティン、光り輝き立ち上がる……


 そんな「Glitter and Gold」の歌詞が頭をよぎった次の瞬間、

「もうダメ、私が無理! 母さんが車出してくれるって言うから帰ろ!」

 と妻が俺を屋内に引きずり戻した。秒で荷造りをし、義母の運転するバンの後部座席に乗り込んだ。すると妻の祖母がよろよろと、しかしにこにこと微笑みながら窓をノックしてきたので、慌ててオープンのボタンを押す。

「今日は色々とありがとう。今度はベイビーを連れてきてね」

 車内が凍りついた。義母は事情を知っている。

 しかし、俺は、極めて自然に穏やかにこう返していた。

「無理です」

 妻が制してくるのにも気づかず、俺は続けていた。

「申し訳ありませんが、ベイビーは無理です。それは妻の責任ではなく僕に原因があります。この件で妻や義母を叱責するおつもりでしたり、ベイビーをお求めなら他を当たってください。失礼いたします」

 俺が再びボタンを押すと、窓がウィーンと音を出し上昇し始めた。ぽかんとする祖母に構うことなく、義母が急いで車を出す。

「ちょっとアンタ!」

 妻が大声をあげて肩を叩いたので、俺は振り返った。

「何きょとんとしてんの? 自分が何言ったか分かってんの?」

「私は、凄く痛快だったけどね」

 義母はくすくすと笑っている。

「ああもう! そうやって唐突にイケメンになるのやめてもらえますか? 惚れ直すっての! 眩しいっての! ただでさえ輝きが、もう!」

「輝き?」

「アンタは私の光なの! 常に照らしてもらってて有り難いんですけど、ああああ、もうマジやめてよ光哉こうすけ!」

 悪い気はしなかったので、俺は肩をすくめ、赤みがかった陽光を窓越しに見詰めることにした。

                 (了)

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