手ぶら、手ブラの付喪神
蛙田アメコ
本編
*1*
付喪神。
百年の時を超えて人間に大事に使われてきたものに神聖が宿るとか、あるいは百年を目前として捨てられてしまった物が化けて出るとか出ないとか、やっぱり出るとか。
昔の人の考えたおとぎ話。
ないしは、戯言。
それが、付喪神だ。
まあ確かに、長年使い続けたものに愛着がわくというのは極めて自然な感情だ。願いと言ってもいいかもしれない。使い慣れた自分の所有物が特別な存在であってほしい。人間のそんな他愛もない、あるいは切実な願いが付喪神という概念を生んだのだ。
そう考えていた。去年の冬までは。
ブラジャーに自我が芽生えた。
そんな信じがたい状況にボクこと桜塚あおいが認識したのは真冬のことだった。年末のストレスマッハな会社から飛び出し、一目散に自宅に帰ってきたリビングでの出来事である。
身に着けていたブラジャーが喋ったのだ。
例えるならばくぎゅボイスで。魅惑の声で。ブラジャーが。いやはや、冗談キツすぎる。
ブラに自我って。
どういうこっちゃ。
その日。いつものごとく帰宅後即座に窮屈なスーツを脱ぎ捨てて、下着姿でリビングのソファに寝転んでいると、どこからともなく声がしたのだ。
『あおいちゃん』
「ボクをちゃん付けして呼ばないでくれ、って誰?」
『オレだよ、オレオレ』
「うわあ、クラシックすぎる定型文だっ!」
『言っておくけど詐欺じゃないぜ。あ、ウサギモチーフではあるけれど』
「ウサギモチーフ?」
リビングを見渡しても、誰もいなかった。
『鏡を見なよ、あおいちゃん』
「だからちゃん付けで呼ぶなよって、うわあああああ⁉」
鏡。
リビングの鏡の前に移動する。
ボクの姿が映る。
背後に女が立っていた。ボクのおっぱいを、手で隠しながら。
「うわぁあああぁっ、なんだよお前っ!」
『なんだよ、なんてツレないなぁ。ボクはあおいちゃんのブラジャーだよ。長年の付き合いじゃないか』
「ボクの知ってるブラは人間の姿をしていないっ!」
『ああ、ごめん。正確にはブラの付喪神』
付喪神。
ちょっと聞いたことのある厨二ワードだった。
『耐久回数を超えて大事に使ってくれているからさ、ボクに神性が宿ったんだ』
「ブラにっ⁉」
『そう、ブラに』
ブラの言うには、一般的にブラジャーの耐用年数というのは一年弱。それ以上を超えた下着は本来着用に耐えないのだという。マジか。ならばボクの身に着けているこのブラは、ゆうに寿命を超えている。寿命の一〇倍は使っていると思う。中学三年の夏に買ってから二十五才の今に至るまでずっと。
「そ、それはいいけど、いつまでボクのおっぱいを触っている気なんだい?」
『おっぱいを触っているんじゃないよ、手ブラだ』
にやり、とボクの背後の女は笑う。
暴力的なナイスバディ。
つややかな黒髪には、蛍光ピンクのメッシュが入っている。その色の組み合わせには見覚えがある。それこそ、ボクが一〇年の長きにわたって使ってきたブラの刺繍糸の色だ。
*2*
とりあえず、手ブラを解いてもらってリビングのソファにブラの付喪神を座らせる。どういう状況だ、これは。
『怖い顔しないでよ。いや、手土産もなく急に現れたのは悪いと思っているよ? でも、あおいちゃんオレのことすっごく大切にしてくれてたじゃん』
付喪神は言う。
捨てるに捨てられなかったブラの付喪神は、自信満々に言う。
「いや、あのねぇ。ブラの付喪神って意味が分からないわけだよ」
『長年大切に使ったでしょ?』
「いやだとしてもだよ! 普通、付喪神ってのは刀とかそういうやつの話でしょ。刀から美男子が出てくるんじゃないの?」
『別にそうとは決まってないよ』
「刀剣●舞では少なくともそうだよ!」
ボクは悲痛に叫ぶ。
『オレとしては、誠心誠意あおいちゃんの乳首を守ってきたわけだし、もっとお近づきになりたいなって思ったわけですよ。えっへん!』
「なぜ威張った……」
『いや、なんとなく』
「なんとなく」
はあ、とボクはため息をつく。なんだよこの状況。
*3*
……唐突に、中学三年の時のことを思い出していた。
ボク、なんていう一人称を後生大事に使い続けているとおり女らしくない体に、女らしくない魂を宿したボクは十五才にいたってもブラジャーを着用していなかった。
『あおいちゃん、オレに付き合ってよ。っていうか、むしろオレと付き合ってよ』
そんなボクに声をかけてきたのは、クラスで一番の美少女だった。
女の子らしいふわふわとした身体で、彼女の一人称はオレだった。
勝気な表情の彼女は、いわゆる陰キャだったボクの腕をとり、隣町のジャ●コに走ったのだ。
『いいじゃん、それ買ってあげる』
さんざんボクを着せ替え人形にした彼女はそう言ってボクにワンセットのブラジャーを買い与えた。黒いブラにピンクのウサギが刺繍されていた。四千円くらいした。たっけぇなと思った。それから、フードコートでたい焼きを食べてボクは解放された。
なんだったんだ、いまの。
颯爽と去っていく彼女の背中を眺めながらボクは呆然とした。手には可愛い紙袋。それまで一度も喋ったことがなかった美少女に買い与えられたブラジャーをボクは持て余した。
なんで急にボクにブラなんて買い与えたんだよ。
意味不明だ。
クラスで一人称がボクだったりオレだったりするのは、ボクと彼女のふたりきりだったので勝手にシンパシーを感じていたのか?
なんて。
彼女のことばかり考えながら、次の日。
生まれて初めてブラジャーをつけて登校した学校で、彼女が遠い町に転校したことを知った。夜逃げ、みたいなものだった。
泣いた。
そうして初めて、ボクは彼女にずっと恋をしていたのだと気づいた。そして彼女も、ボクがずっとブラをしていなかったことを知っているくらいに、ずっとボクのことを見ていたのだ。
一度も話したことがないのに、やたら目が合うと思ってた。
ボクの初恋は、始まらずに終わった。
*4*
「ああ、すっかりそんなこと忘れてたよ。ボク」
捨てどきがわからずにいたブラの付喪神に、ボクは言う。
『捨てられなかったんだろ、オレのこと』
ブラの付喪神は、ボクに言う。
はじめて女の子に恋をした思い出を、ボクは後生大事にまとっていたのか。はじめて女の子に恋をした思い出で、けだるく脈打つ心臓を守っていたのか。
ぴと、と。いつのまにかまたボクの背後に立っていたブラの付喪神はその白い手を乳房に押し付けて言う。
『オレのこと、ずっと捨てないでよね。あおいちゃん』
「それならせいぜい、しっかりボクの乳首を隠しなよ」
初恋の成れの果てが妖怪手ブラ魔人といった様相の美人付喪神、だなんて、なかなかどうしてシュールな状況だと思った。
ブラの付喪神は、たぶんきっとあの日の彼女の面影に似ている。
「っていうか、ちゃんと布にもなれるのかよ!」
次の日、ボクは床に落ちている馴染みの黒ブラジャーを発見してツッコミをいれた。
『え、会社でも手ブラのがよかった⁉』
「そんなわけないだろ、というか着用してもらえる前提なんだ」
言いながら、黒ブラジャーを身に着ける。すっかりくたびれて、おっぱいを支える力はほとんどないけれど、馴染みの感触だった。
悪くない。
もしも彼女にボクも何かを渡していたら。
そして彼女が、それを後生大事に使ってくれていたら。
彼女のところにもボクによく似た付喪神とやらが出現したのだろうか。それって、ちょっと素敵だ。ボク好みだ。
二度と会うことのない麗しきオレっ娘のことを思うと、心臓がとくとくと早鐘を打つ。ブラジャーはたぶん、それを聞いている。
終
手ぶら、手ブラの付喪神 蛙田アメコ @Shosetu_kakuyo
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