第4話 終わりの始まり


 レントゲンは会社の駐車場に停められた移動レントゲン車の中で行われる。


 今年の夏は猛暑で連日のように暑い日が続いており、会社を一歩外に出ると猛烈な暑さが襲ってくる。


 俺はレントゲン車の簡易な階段を上って車内に入り、半袖のワイシャツをカゴに入れて撮影スペースに入った。


 そしてそんな慣れきった動作をしながら、またぼんやりと思考を巡らせていた。


「なんでさっきは邪眼が発動しなかったんだ……?」


 俺はひとりぼやいた。


 あれだけの兆候がありながら邪眼が発動しなかった理由がわからない。


 やはりまだ身体に力が馴染んでいないのかもしれない。


 まぁいい。


 別に手に入れた能力を失ったわけじゃないんだ。これからゆっくりと学んでいけばきっと使いこなせるだろう。


 なんといっても俺は選ばれた人間なのだから。


「両肩を機械の横に回して、顎を上に乗っけてください」


 俺が検査員の言うとおりにすると撮影室のドアは閉じられる。


「はい。じゃあ大きく息を吸って~……とめて~……」


 俺が指示に従って大きく息を吸い込んだときだった。


 ドゥクン……


 心臓が大きく脈打ったのだ。


「カハッ」


 俺は突然のことに少し咳き込んでしまった。


「はい、お疲れさまでした~。次は心電図で~す。身支度が整ったら隣の車両に移動してくださ~い」


 ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。


 何事もなかったかのように検査員が検査を終わりに仕掛けてくるけれど俺のほうは懸念が一つ残る形になってしまった。


 レントゲン撮影上、息を止めていなければならなかったのに咳き込んでしまったのだ。


「あの、すみません……ちょっと咳き込んじゃったんですけど……」


「あぁ、少しくらい大丈夫です~。ゆっくり支度をしてくださ~い」


 検査員とて多くの社員を捌かなければいけないのだ、さっさと終わらせてしまいたいのはわかる。だけど、さすがにそれは適当すぎやしないだろうか。


 俺の邪眼で、お前の息を止めてやろうか……?


 いや落ち着け……こんな検査員の一人や二人、力を使うまでもないだろう。


 さっきからそうだが、俺も少し寛容にならなければいけないな。


 こういうところですぐにカッとなったりするから独身男性は気が狂うなんて言われるんだ。


 俺は狂ってない。狂ってないんだ。


 俺は自分にそう言い聞かせて脱いだ上着を着直し、身支度を整えた。


 そこで重大な事実に気づいた。


 待てよ? 今、たしかに心臓が「ドゥクン」って言ったよな?


 これ、もしかして時間差で能力が覚醒したのではないだろうか?


「あのー、すみません」


 俺は検査員に声をかけた。


「はいなんでしょう? 何か気になることでもありました?」


「さっき撮影中に心臓がドゥクンって言ったんですけど……あれ、トゥクンだったかな」


「あはっ、それくらいなら影響はありませんよ」


「でも何か目覚めちゃったら……」


「えっ?」


「あ、いえ。なんでもありません……」


 やばい。うっかり力のことを喋ってしまうところだった。


 俺は少しの動揺を隠しながら早くその場を離れようと焦っていた。


 だからだろうか。レントゲン車を出るときにその階段を踏み外して車外の地面に転倒してしまった。


「痛ってぇ!」


 転んだ拍子に打ち付けた俺の手のひらと肘からは鮮やかに赤い血液が滲み出す。


「だっ、大丈夫ですか!?」


 物音を聞いてレントゲン車の中からは先ほどの検査員が俺の元へと駆け寄る。


「あーくそぅ。痛ぇ……くない。あれ? なんで? 痛くない」


 それは不思議な感覚だった。


 転んで全身を打ったときには痛かった気がしたのだ。


 しかしそれはあくまで思い込みによる痛みだったのかもしれない。


「えっ? 大丈夫ですか? どこか打ちませんでした?」


 検査員が俺を心配そうに見て言った。


「は、はぁ……転んで全身を打ったんですけど……」


 もしかして力の覚醒とともに俺の肉体も強化されているんじゃ……。


「こんなに血が出てるのに、全然どこも痛くないんですよ」


 俺は検査員に擦りむいた手のひらの肘を見せた。


「えっ!? あの、どこも血は出てないですけど……」


 検査員は不思議そうに首を傾げて言った。


「えっ!?」


 そんなバカな!? 俺はさっきたしかに血が滲んだ自分の手を見たんだぞ!?


 そう思って自分でも見てみたが、検査員の言うとおり俺はどこも怪我をしていなかった。


「ウソだろ……こんな一瞬で傷が治っただと……?」


 気がつけば俺はそう口走っていた。


 自分の能力が少し恐ろしくなっていたのだ。


「気のせいで良かったですねぇ」


「いや違う。俺はたしかに傷口を見た。だからだ! ……治癒の邪眼が発動したんだ」


「ええっと……今日はちょっと暑いですからね~……ボーっとしますよねぇ~……」


「なんてこった……とうとう俺は本当の力に目覚めちまった……」


「た、大変だ……頭でも打っちゃいましたかね~……?」


 俺に対する心配が徐々に疑惑へと移ろいでいく検査員。


「大丈夫! どこも痛くないんですよ! こんな段差から転げ落ちたんだから、少なくとも痛みは感じるはずですよね!?」


「は、はぁ……」


「たしかに少しは肉体も強化されたかもしれない……でもこれは、再生能力なんてチャチなもんじゃないぞ……?」


「や、やばい。どうしよう……」


 検査員が慌てだしたときだった。


「あ! いたいた! 何やってるんですか、またあなたは~!」


 会社から出てきて俺たちの方に駆け寄ってくるのは、あの問診ブースの医師だった。


「あ、須郷すごう先生! 実はこの人、階段から転んで頭打ったみたいで~……」


 あ、こら検査員。何勝手なことを言ってるんだ。


「さっきから一瞬で傷を治したとか、邪眼とか、わけのわからないことを言ってるんです!」


 俺は大丈夫だと言っただろ。しかも頭は打ってねぇ!


 まぁいい。


 俺は今、力に目覚めてとても気分がいいんだ。


 世界でもこんな能力を持った人間はたぶん俺しかいないぜ?


 おうおう医師さんよぅ。俺が治癒の邪眼を持ったからにはお前、存在理由がねぇなぁ?


 本当なら覚醒したこの邪眼で消してやってもいいんだが、俺は矮小な存在を苛めるほど器の小さな男じゃねぇんだ。


 良かったなぁ? 俺が気の狂った男じゃなくてよぉ?


「も~勘弁してくださいよ~。ほら、最後は心電図でしょ? 私が付き添いますから一緒に行きましょうね?」


 そんな俺の慈悲深さも知らず、医師は俺の背中を支えるように押して心電図の車両のほうへと誘う。


 あ~はいはい。わかりましたよ、素直に従いますよ。


 気分が良くなった俺は医師に言われるがまま健康診断の最終検査、心電図の車両へと向かった。




 心電図の車両は奥に人が横になれる検査台が二つあって、二人が同時に検査を受けられる間取りになっている。


 しかし俺についてきた医師は心電図の担当検査員にこんなことを言っていた。


「あのね? 念のためなんだけど、次の人は一人だけで検査できないかな? ……いや、大丈夫だとは思うんだけど、万が一、暴れたりすると危ないからさ……」


 二人同時に検査を受ける間取りの使用上、検査台はカーテンで仕切られている。プライバシーに配慮してか、カーテンの重なり合う部分が多くて待合スペースからは何も見えないが、少なくとも俺のことを悪く言っていることだけはわかった。


 そして結局、俺は医師に付き添われながら周りの受診者がひと段落したところで一人で検査を受けることになった。


 まぁいい。


 どんな言われ方をしたところで気分の良くなった俺は気にもしない。


 この能力があれば俺はあとからいくらでもこの世界を無双できるのだから。


 そう思いながらカーテンを開けたとき、俺は目の前に広がる機材にギョッとしてしまった。


「か、改造台……? な、なんなんですかこれはっ!?」


 それは見慣れた心電図の検査台ではなかった。それはSF映画など良く見る機械を修理するドッグのような構造で、仰々しい三本爪のロボットアームなどがギラリと光っていた。


「あ~……やっぱりそうきちゃいましたか~……」


 医師は呆れながらも残念そうに言った。


「ま、まさか俺を改造するつもりですか……?」


「いや、ただ検査するだけですよ~。普通の心電図じゃないですか」


「これのどこが普通なんですか!? 騙されませんよ!? そ、そうか……さっきので俺の力に気づいてしまったんですね? だからここで解剖実験でもするつもりなんだっ!」


「そういうのもういいですから……ほら、さっさと横になってください」


 医師は改造台に押しつけるように俺の背を押した。


「や、やめろっ! これ以上すると、こ、殺すしかなくなりますよ……?」


「ハイハイ、そういうこと言っちゃダメですよ~?」


「くっ! やむを得ない。やられるくらいなら……邪眼・デスサイズ」


「はいはーい。この車の中は特殊能力が無効化されてますから力は発動しませんよ~」


「な、なにぃ!? 卑怯な……う、うわぁ~! や、やめ……」


 機械の装置によって弱体化させられた俺には押しつける医師の力に抗うことはできず、そのまま改造台の上へと倒され、手足の自由を封じられた。


「はい、じゃあ心電図をとりますからシャツを胸元まで上げますね~」


 検査員が恐ろしい笑顔で俺に言いながら俺のシャツを捲り上げる。


「大丈夫ですよ~? ただの心電図ですよ~?」


 検査員はそう言って実験体に取り付けるような装置をいくつか俺の身体に貼り付けた。


 まさかこれから電流か何かを流して俺を苦しめようとでもいうのだろうか。


「や、やめろぉ……」


「早く! 早くやっちゃって!」


 医師に押さえつけられて身動きのできない俺には抗う術がない。


「は~い。じゃあ身体の力を抜いてくださ~い」


 力を抜く!?


 力ってまさか、発動したばかりの俺の能力のことか!?


 やめろ! それだけはやめてくれっ!


 俺には、俺にはもうこの能力しかとりえがないんだ!


 これを奪われたら、俺は、俺はぁ~!


「はい、じゃあとりますね~」


「やめろおおぉぉぉぉっ!」


 そして、俺の意識はそこで途絶えた。




 次に俺が目覚めたとき、俺は会社の医務室のベッドだった。


 周りを見渡すと、そこには一人の女性の姿があった。


 それは採血ブースにいた綺麗な女性、麦生さんだった。


「あ、良かったぁ……気がついたぁ~」


 俺が目を覚ましたのを見て安堵したらしい。すごく可愛らしい笑顔を俺に見せてくれた。


「あれ……俺、どうしてここに……?」


「ビックリしましたよ……沓名さん、採血の途中で急に気を失っちゃって……もしかして血を見るのが苦手だったですか~?」


 そこで俺は理解した。


 そうか……あのときは俺のテンションがバカみたいに高くなって……それからあとは気絶してたってわけか、我ながら情けない。


 俺はひとりで自虐的に笑った。


 なんだよ邪眼て……アニメの見すぎかよ。


 そんなチート能力なんてあるわけないだろ。


 でも良かった……俺、狂ってたわけじゃなかったんだな……。


 麦生さんも初対面だから事務的に心配だけで、本当はこんなオッサンに呆れているんだろうなぁ……。


 そんなことを考えているうちに麦生さんの表情からこんな声が流れ込んで来る。


 ったく、私に触れられただけで舞い上がっちゃうとか、こいつ童貞かよ。


 ははは、そんなふうに思われたって俺は別に構わないよ。


 なにせ、自分の身の丈は良くわかってるからね。


 いつだって冷静になれる俺は、狂ってなんかないからね。




 ドゥクン……

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健康診断で俺のチート能力が判明するまで @nandemoE

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