第3話 チカラ ガ ホシイカ
聴力検査のブースに行くとなぜか先ほど視力検査のところにいたオバチャンがいた。
ほかの検査員がいないところを見ると、何かトラブルでも生じているのだろうか。
まぁそれほど待つことなく順番がきたから文句もなく俺は席についた。
聴力検査はヘッドホンを装着して、高音と低音の二種類が聞き取れるかを右耳と左耳でそれぞれ別に検査をする。聞こえている間、与えられた装置のボタンを押し続けることになる。
だからその装置は押すボタンが1つだけ付いている無駄のない装置なのだ。
だが今年、俺に与えられたその装置は明らかに今までとは違っていた。
「あの……このボタン、なんで”イエス”と”ノー”の2つがあるんですか?」
「はい?」
オバチャンは怪訝そうな顔をして俺を覗きこんできた。
「いや、ボタンは1つしかないですよ?」
そんなバカな。明らかにボタンが2つ付いているのにオバチャンは気づいていないのか。
「いや、ちゃんと見てくださいよ。イエスとノーってありますよね?」
俺はそう言ってオバチャンに装置を見せた。
「え……? いや……ちゃんと1つですけど……?」
「そんなバカな!?」
「前の人もそんなことは言ってませんでしたよ?」
「じゃあイタズラで取り替えて行ったんだ」
俺が言うとオバチャンは少し困惑した。
「あの、そういうのはもういいんで。とりあえず、まずは聴力を測っちゃいましょうか」
オバチャンは明らかに面倒な客をあしらおうとしている態度だった。
「で、でもこれ、聞こえてもどっちを押せばいいんですか?」
「どっちでもいいです。押せば聞こえてるのはわかりますから」
「はぁ……」
俺はいまひとつ納得できない思いがあったが、あまり変な目で見られるのも嫌だった。
オバチャンは俺を気の狂った奴を見るような目で見ていたのだ。
ところが俺は冷静だから自分がどう見られているのかも客観的に認識できている。
本当はオバチャンが俺の話を取り合う気がないだけだが、俺は仕方なくそれに付き合うことにした。
「あの、じゃあこのボタンで押しますけど。もしそれで検査に異常が出るようならもう一度良く装置を確認してくださいね?」
玩具の装置でボタンを押していない判定をされても困るからそれだけは言わせてもらう。
「わかりましたー。じゃあ測りますねー」
オバチャンはすごく適当な言い方をして手元のパソコン画面に視線を落とした。
ヘッドホン自体は毎年同じようなものだから音声は正常に聞こえるのだろう。少し音が小さくて聞こえ難いが「ピ・ピ・ピ・ピ・ピ」と電子音が聞こえるのはもう何年も同じ検査を受け続けている俺にはわかっている。
最悪ボタンが反応しなくても手を上げたりすれば聞こえていることは伝わるだろう。
そう考えて俺はその小さな音を聞き逃すまいと耳に意識を集中させた。
だがそのあと、俺は耳を疑うことになる。
聞こえてきたのはこんな音だった。
「チ・カ・ラ・ガ・ホ・シ・イ・カ……」
「えっ!?」
俺はボタンを押すのも忘れて思わず声を漏らしてしまった。
「どうしました? 聞こえませんか?」
オバチャンが心配そうな顔で俺を見てくる。
困惑するのは俺だ。
「いや、その前に。今年からなんか検査の方法が変わりました?」
「変わらないですよ」
「でも、今たしかにチカラガホシイカって……」
オバチャンは本当に困惑したような表情で俺を見て言った。
「あの。とにかくなんでもいいんで、何か聞こえたらボタンを押してください」
「はい……どっちのボタンでもいいんですよね?」
「もうなんでもいいです」
オバチャンは呆れたような顔で言って、もう俺の顔を見ようともしなかった。
そして再び聞こえてくる電子音。
「チ・カ・ラ・ガ・ホ・シ・イ・カ……」
「欲しいに決まってんだろ?」
俺は淡々とイエスのボタンを押した。
「はい、じゃあ次は左耳ですねー」
オバチャンは淡々と続ける。
「チ・カ・ラ・ハ・イ・ラ・ン・カ・ネ……」
力は要らんかね? 俺は一瞬どっちか迷ったがとりあえずイエスのボタンを押した。
「はい終わりです、次は外に出てレントゲンです。……ちょっと失礼しますね」
そう言ってオバチャンは俺に受診票を返すと、急いでどこかに駆けて行ってしまった。
どこかと思ってしばらくオバチャンを見ていると、どうも問診をしてくれた医師のブースに向かったようだった。
あれ? もしかして俺、頭のおかしい人だと思われてるのか……?
またしても脳裏を過ぎる課長の言葉。
「独身男性はみんな気が狂うのか……?」
俺は少し怖くなってもう一度良く聴力検査の装置を見てみた。
「あれ……? なんで? さっきまでたしかにボタンが2つあったのに……」
おかしい。そんなはずはない。たしかに聞こえたんだ。
チカラガホシイカ……って。
あぁなるほど。
常人が易々と手に入れていい能力じゃないから、何者かが不思議な力で俺にだけわかるように語りかけてきたということか。
それならすべて説明がつく。
なるほど……今までの検査で起こった異変はその前兆だったという訳か。
そうか。
とうとう俺は力に目覚めてしまったということか……。
俺は手に持った聴力検査の装置をテーブルの上に戻し、自分の両手を見つめた。
「気のせいか……? 右目が、疼く……。いや? 心なしか、左目も疼く……」
たぶん感覚からして俺に目覚めた能力は邪眼なのだろう。
いったいどんな能力なのだろう。
「ステータスオープン」
もしや邪眼所有者特有のステータスウインドウが開き、能力の説明が読めるのではないかと期待してみたがそうはならなかった。
「あの……ステータスとは、いったい……?」
そのとき、俺の背後からそんな声が聞こえた。
ぬ! 俺に気配を悟られず背後に回るとは何奴!?
驚き振り返った俺の目の前に立っていたのは、先ほどのオバチャンが連れて来た問診ブースの医師だった。
しまった! 聞かれたか……。
俺は焦った。
しかし冷静になって考えてみれば「ステータス」としか聞かれていない。
まだ巻き返しはできるはずだ。
そしてさらに思考を巡らせれば、俺のこの能力は隠しておいたほうがいいと気づく。
「あ、いえ。すみません。ちょっと昨日見たアニメのことを思い出してたら、つい……」
俺は朗らかに微笑みながら常人を装って答えた。
しかしそんな俺を見て、医師のうしろからオバチャンは訝しげな表情をしていた。
「そのぉ……先ほどの問診で聞きそびれてしまったのですが……」
医師が俺の顔色を伺うようにおそるおそる聞いてくる。
「一人でいるときに、誰かの声が聞こえたり、変なものが見えたことはありませんか……?」
なるほど。うしろのオバチャンが告げ口をしたということか。
ふっ。そんなに簡単にボロを出すような凡人ではないんだよ、俺は。
「いいえ? 幻聴や幻覚の類は身に覚えがありませんね」
「ですが先ほど、検査の機器に何か不具合でもありませんでしたかね……?」
「すみません、ちょっとイタズラが過ぎましたね……」
俺は後頭部を掻きながらヘコヘコと頭を下げて謝った。
医師は呆れたようにため息をつき、力なく首を横に振った。
「そうですか……ですが寝不足のようですから、あとでちゃんと心療内科には行ってくださいね」
「はぁ……すみません」
「はい。じゃあ大丈夫ですよ。次は建物の外に出てレントゲンですね」
「はぁ……では、失礼します」
俺は再び頭を下げて医師とオバチャンの前から踵を返した。
「大丈夫、統合失調症の類ではなさそうですね。ただのイタズラでしょう」
「人騒がせな人ですねぇ」
背後から医師とオバチャンが小声で言葉を交わしているが、俺にはちゃんと聞こえていた。
なんだと……?
人を病人扱いしやがって!
俺のなかにまたフツフツと怒りが込み上げてくるのを感じる。
あ~……そういえばお前ら俺に結婚してるアピールをしてきやがったんだったな。
バカにしやがって……今に見てろ……。
ん? そういえば俺の邪眼、まだどんな効果があるのかわからないんだった。
丁度いい……お前ら二人、記念すべき初の邪眼犠牲者にしてやるよ!
邪眼だから証拠も残るわけはないんだが、俺は念のため少し二人から離れたところで勢い良く振り返った。
「くらえっ!」
俺は両目をカッ! と見開いて、俺のうしろ姿を見ていた医師とオバチャンを睨みつけた。
「「ひぃっ!」」
二人は俺の眼力の圧力に恐れ戦いていたが、もう遅い。
さぁ、これからどんな状態異常が表れるのか見ものだな。
俺は少し得意げな顔で二人を見ていたが、結果的に二人はあとずさっただけで何の効果も表れていないようだった。
「あれ?」
俺は首を傾げた。
もしかして失敗か?
いや、ひょっとすると覚醒したばかりで力に慣れていないせいかもしれない。
まぁいい。冷静に考えてみれば医師やオバチャンなど殺すほど恨んでいるわけではない。
生かしておいても特に問題はないだろう。
「運が良かったな」
俺は二人にそう言って次のレントゲン検査へと向かった。
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