第2話 荒ぶる弱者男性


 問診ブースを出ると俺の目にあの採血ブースの可愛い女の子が飛び込んできた。


 いや、なんならむしろ目が合った。そしてその女の子は俺に対して軽く口角を上げて見せたのだ。


 そうだ! 問診ブースが終われば次は採血だったぁ!


 俺のテンションは一気に高まった。


 うおおおおおっ! 近くで見るとメッチャ可愛いな、さらに可愛いっ!


 ってか、胸でっけぇ! うわ名札! 麦生むにゅうさんね。いやてか麦生ちゃんね!


 うわ俺ゼッテェこの子に採血してもらいたい、そうじゃなきゃ死ぬ。隣のオバチャンに当たったら死ぬ。


 えっと、今待ってるのが5人だから……順番的に一人、誰か先に譲れば……? いやダメだ、人間は策を弄せば弄すほど自滅の道を辿るんだ。俺は正々堂々と麦生ちゃんの前まで辿り着くっ! 幸運を掴み取ってみせるっ!


 俺は目を血走らせ、鼻息を荒げて採血ブースの順番待ち用のイスに腰を落とした。


 その結果……


 キッタアアァァァーーーッ! 麦生ちゃんゲェェェッッットォォォッ!


 俺は内心で雄叫びを上げながら、それでもそれを表情には出さずに淡々と麦生ちゃんに受診票を手渡す。


「よろしくお願いします」


 わかってる。本当は麦生ちゃんだって俺のことなんか他人中の他人だ。ここで何かが始まるわけでもないし、印象に残してもらえるはずもない。


 だけどキモいと思われないように、普通の男性に見えるように……。


「はーい。念のためフルネームを教えてくださーい」


「沓名親男です」


 必要以上のことは喋ってはいけない。話しかけたらキモいオヤジになるから。


 それでもいい。俺だって変な期待をするような気の狂い方はしていないから。


 可愛い子は見ているだけで癒されるから、それだけでいいんだ……。


「はーい。それじゃあここに腕を置いて、親指を握るようにグーにしてくださーい」


 グーにするとか言いかた可愛いかよっ!


「ちょっとキツく縛りますね~」


 ゴムのチューブのようなもので俺の上腕三等筋はキツく縛られるが、なぜか心地いい。


 それよりむしろ麦生ちゃんのゴム手袋越しの手が俺に一瞬触れていくのがたまらない。


「アルコール消毒でかぶれたりとかしますか~?」


「いえ、大丈夫です」


 俺は可能な限りクールな声を発し、それを聞いた麦生ちゃんは事務的に俺の腕にアルコール消毒を施していく。


 事務的。本当に素晴らしいことだ。


 普段なら俺みたいな弱者男性は麦生ちゃんのような超絶可愛い女の子には見向きもされないのだろう。それどころか職場の女性陣のように俺を悪く言うに違いない。


 でも麦生ちゃんは今お仕事で俺の腕に触れている。


 事務的だけど、絶対に悪口を言わないのだ。


 だったら俺は、全ての女性とは事務的に話ができればそれでいい。


 他人の距離感だっていいから、可愛い子と触れ合えるなら俺はそれだけで十分だ!


「はーい。じゃあ、ちょっとチクッてしますねー」


 そして俺の腕に刺される注射針。


 フォオオオオオオオッッッーーーーーーッ!


 俺のテンションは最高潮に達していた。




「お次はアチラの眼底検査でーす!」


 麦生ちゃんとの至福の時間は一瞬で終わりを告げられてしまった。


 麦生ちゃんが手を指し示す方向にいるのは眼底検査ブース。


 そこにはあの金髪のチャラい男が待っている。


 それだけでもダルいのに、俺はとんでもないことに気づいてしまった。


 眼底検査ブースを指して教えてくれた麦生ちゃんとチャラ男が目を合わせ、チャラ男が軽く手を上げて合図をしたのだ。


 もしかしてプライベートでも仲が良いとか言うのだろうか。


 ゆ、許せん……!


 俺の中に再び火が灯るのを感じていた。


 だがそんな俺も頭を振るってすぐに冷静さを取り戻す。


 そりゃあ麦生ちゃんとチャラ男は同じ職場だし挨拶もするよ……そもそも、俺が麦生ちゃんのなんだって話だよな。わかってる。身の程はわかっておりますよ。


 俺はただ、麦生ちゃんに採血してもらって少し幸せになれた。それだけでいいんだ。


 事務的に検診を受けるだけならオバチャンでもチャラ男でも同じだ。


 ただ今日、麦生ちゃんに採血してもらったことが幸運なことだったんだ。


 俺はそう自分の心を整えながらチャラ男に受診票を手渡した。


「あいー。名前オナシャス」


「……沓名親男です」


 あれ? 良く見ればコイツ、すげーピアスの穴が開いてンな……マジでチャラ男じゃねーか。いや待てよ? お前、まさかそんなチャラい態度で麦生ちゃんにチョッカイかけてんじゃねーだろうな?


「ハイジャソコスワッテ」


 抑えようと思っても俺の中の衝動が暴れ出しそうになる。


 はいはい。どうせこういう上辺だけの男がモテるんでしょうねぇ!


 どうせ俺みたいな優しいだけの男は見向きもされませんとも! 知ってるよ!


 あーコイツぶっ殺してやりてぇ! テメェらみてぇなクソイケメンがいるから俺たちに女が回ってこねぇんだろうがぁ! 好き放題食い散らかしやがって!


 この国の少子化はテメェらのせいじゃねーのかよ!


 死ね!


 まずはお前らが責任取って死ね! いや俺が殺すね!


 30歳まで童貞貫いた俺にはお前を魔法で殺す権利があるね。


 いや、もう童貞のまま40過ぎたけどさ……とにかく死刑!


 あー、もうどうせケンカでも俺より強いですって言うんだろ? じゃあもういっそ俺にチート能力くれよ! 俺みたいな弱男はもう生きてたって意味ねーからさ。命と引き換えでもいいから最後にクソどもを皆殺しにできるチート能力をくれよ!


 邪眼っ! 邪眼でこいつを殺すっ!


 腕力も体格も関係ねー、視界に入れただけでチャラ男が息絶える邪眼でよぉ!


「邪眼・デスサイズ」


 えっ!?


 邪眼!? 何、言ってんだ、このチャラ男……。


 俺は男の意味不明な言葉に一気に心の熱が冷めていくのを感じていた。


「いや、だから。しゃがんでくださいっス。眼底検査。撮るんで」


「あっ! 眼底検査ね……」


「ダイジョブすか?」


 俺はようやく理解した。


 聞き間違えたのだ。


 しゃがんでくださいっス、と、邪眼デスサイズ。


 そんなバカな聞き間違いがあるだろうか?


 俺、もしかして本当に病んでるんじゃなかろうな……?


 いや違う。これはきっとチャラ男のしたったらずな舐めた口調がそう聞こえさせたのだろう。


「早く邪眼デスサイズ」


 あーはいはい。眼底検査は台に顎を乗せて額をくっつけて……。


 俺は言われたとおりに眼底検査を終えた。


「あいー。じゃ次は聴力検査っスねー」


 俺は次の聴力検査に導かれた。


 大丈夫だろうか。


 なんか今日の俺、浮き沈みが激しい気がするけど、本当に大丈夫だろうか。


 俺は一抹の不安を感じながら聴力検査ブースへと向かった。

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