健康診断で俺のチート能力が判明するまで

@nandemoE

第1話 覚醒の前兆


 俺の名前は沓名くずな親男ちかお40歳。


 ハゲでもデブでもないが彼女もいない。もちろんバキバキ童貞だ。


 ただ少し言わせてもらえば、働いているし、事務職だが収入だって悪くない。


 実家暮らしでもないし、長男でもない。家事は全部自分でできるし、性格だって穏やかで優しいほうだと思っている。おまけに無駄に健康体だ。


 だけど婚活市場では同年代の女性からすら見向きもされなかったような、いわゆる弱者男性だ。


 見た目だって普通にしているつもりだ。


 酒やギャンブル、タバコもしない。


 コミュニケーションだって仕事上で困ったことはない。


 だけど、いったい何が悪いのか。


 わからないままこの歳まで婚活を続けてきたけど、色々と酷い目にもあって、諦めた。


 今は毎日、職場と家の往復を惰性で続けている。


 いや、正直に言おう。


 何かに怯えるように、コソコソと日陰を歩くように、誰の目にもつかないように生きている。


 そんな毎日が変わるきっかけを待ちわびながら、そんな日はもうこないことを知っている。




「おうい、沓名クン。次は君の番だろう」


 課長の声が聞こえて、俺はパソコンの画面から視線を上げた。今日は職場の健康診断で、朝から職員が順番で検診を受けに席を離れていた。


「あ、はい。では行ってきます」


 俺は事前に配られていた問診票と採尿パックを持って席を立った。


「あと一人くらいなら行けるな。誰か仕事の手が空く人はいるか~?」


 課長がさらに職場全体に声をかける。


「香織、先に行きなよ」


「え~? あとでいいよ。美香が行ってよ」


「私、仕事のキリが悪いんだよね~」


 職場の若い女性陣からそんな声が聞こえてくる。


 わかってる。本当は俺がキモいから一緒に行きたくないんだろう?


 別に俺だって隣で順番待ちをしながら話しかけるつもりなんかないよ。


 所詮ここは生活費を稼ぐための職場であって、あんたらがいくら可愛く見えたところで仲良くなりたいだなんて思いもしないし、嫌われてたって思うところは何もない。


 だから俺は特に気にした様子も見せぬように淡々とその場を離れるだけのつもりだった。


 ところがその日、立ち上がった弾みか眩暈がして、俺は軽く職場の柱にぶつかった。


「お、おい沓名クン大丈夫かい? 検診前からそんな調子で」


 課長がそんな俺を見て心配そうに言う。だが俺もそんなに派手にぶつかったわけではない。


「はは、すみません。昨日ちょっと寝つきが悪かったものですから……」


「健康には気をつけてくれよ~?」


 俺はヘコヘコと頭を下げながら職場をあとにした。


「ぷっ! ねぇ見た? ダッサ」


「ホント、ドン臭いよね~」


「ザ・弱男って感じだよね~」


 職場の女性陣の声。俺に聞こえていないつもりなんだろうか。


「ちょっと君たち、悪口はやめてあげてよ。沓名クンだって仕事は頑張ってくれてるだろ?」


 課長の俺を擁護する声が聞こえる。女性陣からは一斉に「え~?」と声が上がる。


「ウチの部署も人手不足で大変なんだからさ。身体でも心でも、健康を崩されると本当に困るんだよ~……ほら、ただでさえ独身男性は歳を取るとみんな気が狂うって言うだろう?」


 課長にはさすがに悪気はないと思うんだけど聞こえている。


「あっは! 課長、それドストレートですよぉ」


「ホントホント。もう気が狂うの確定してるみたいじゃないですか」


「どうだろう? 最近眠れないって言ってるしさ……もう狂い始めてるんじゃない?」


 続く女性陣には悪意しか感じない。別にそれで凹むわけではないけれど。


「みんな頼むよ。もう少し大目に見てあげようよ~?」


 課長は擁護してくれているけど、本当のところはどうなんだろうか。


 だって、俺は何も悪いことはしていないのに、なんで大目に見てもらわなければいけないのか。いや、その前に、気が狂うとか、どうしてそんな言われ方をしなければならないのか。


 いっそ、相手の心が読めたらと思うことがある。


 そりゃあ、表面に出てくる言葉より酷いことを考えているのはわかっているけどさ。


 たぶん俺は、それでも傷つくようなことはないと思うんだ。


 俺はもう、何に対しても期待はしていないから。




 結局、俺は一人で検診会場に向かった。


 ウチの会社の健康診断は大きな会議室を会場にして行われる。受付で事前配布の採尿パックを提出して、身長・体重、血圧、視力、問診、採血、聴力検査の順番で会場を回ることになっている。


 その後、会社の外に駐車された検診車両でレントゲンや心電図を撮って終了となる。


 俺はまず、受付を済ませてから検診会場をひと通り見回した。


 それぞれの検診ブースで何人かの他部署の社員が検査を受けていた。


「お。採血してくれる女の子、メチャクチャ可愛いな」


 俺はボソッと小声で漏らしてしまった。採血ブースの何席かのうちに一人だけすごく美人の女の子がいたのだ。どうせ採血されるならオバチャンよりも若い子に採血されたい。


「うっわ。眼底検査の男はチャラすぎるだろ。大丈夫なのか、あれで」


 さらにその先のブースに目をやれば、ほぼ金髪の若い男が舐めた口調で検査をしている。


 最近の若いモンは、なんて言えば俺も老人の仲間入りか。それでもいいと思ってはいるけど。


 そんなふうに考えながら俺は淡々と身長、体重、血圧を測り終えた。


「身長、体重に変わりなし。血圧も良好。そりゃ一人暮らしで健康も意識してるからなぁ」


 自慢ではないけれど、俺は料理には自信があって、そのせいか健康状態も歳のわりに良い。


 課長には独身男性は気が狂うなんて言われたけれど、たぶん結婚したって俺の一人暮らしとそうクオリティ自体は変わらないとさえ思うのだ。


 むしろ、他人に自分の時間を割くことがないぶん精神面ではいくぶんかはラクであるとさえ思えているくらいだ。


 だから俺は嫌な思いを我慢してまで結婚をするのを諦めたし、今では覚悟も定まった。


 何が楽しいというわけではないけれど、生活面では、たしかに俺は満足をしているのだ。


「次は視力検査か……どうせ変わらず、右が0.8、左が0.9くらいだろうな」


 俺は少しぼんやりしながら待ち、やがて順番になってから検査機の前に座った。


 Cの字が角度を変えながら徐々に小さくなるよう並んで表示されている。


「はい、では左目から測りますね~。左上から順番にお願いしま~す」


 検査員のオバチャンの言葉に特に反応をするわけでもなく俺は視線の先に集中した。


「上、右、左、下、右、左……」


 俺はそこで違和感を覚えた。7番目、即ち0.7に相当する文字がぼやけて見えるのだ。


 ただし、文字が見えないわけではなく、8番目の文字は読める。


「どうしました?」


「いや……その隣の文字は上って見えるんですけど……」


「あ、ならその前は見えるように言ってもらえばいいですよ」


「それが、魔方陣に見えるんです……」


 円の中に星マークが書かれて見えるのだ。


 もしかしたら俺も歳をとって老眼か? 視力が落ちてぼやけて見えるのかもしれない。


「あは。わかりました……じゃあ次は右目にいきましょう」


 オバチャンは少しの失笑を漏らしたものの大して気にした様子もなく表示を切り替えた。


「右、下、左、上、下、右……。魔方陣、下、右……上かな……」


 今日の視力は調子が良いらしい。1.0の文字までが見えるのだ。


 そしてより良く見える右目で見てハッキリとわかった。


 7番目の文字はどちらの方向にも口を開いていない。魔方陣だ。


「あはは。それはなんて言うか、邪眼的なやつですか? うちの息子も好きなんですよ」


 俺が検査機から顔を離すと、検査員のオバチャンは少し困ったような表情をしていた。


 はぁ!? なんだこの不細工なオバチャンは?


 息子? 不細工のくせに結婚してますアピールとかウゼェ。


「でも大丈夫ですよ。その先の文字はすべて正解でしたから」


「はぁ……ありがとうございまいた」


 俺は煮え切らない思いを抱えながら視力検査ブースをあとにした。


 俺、疲れてんのかな~……そういえば昨日見たアニメで魔方陣が出てたっけ……それの影響だろうな。それにしてもいいよな。俺もチート能力が欲しいよ。


 俺はさらにぼんやりしながら次の問診ブースで順番を待った。


 チート能力があったら何がいいかなぁ……。


 モンスターとかとは戦いたくないから異世界より現代で使える能力がいいなぁ……。


 そうなるとやっぱ邪眼かなぁ……。


 透明人間になるとかでもいいよな、悪いことし放題だもんな、覗きとか……。


 いや待て。覗きならやっぱ邪眼で足りるな……服が透けて見えればいいんだから……。


 それともお金が稼げる能力のほうが……? いや、今さら俺にお金があってもなぁ……。


 しかも邪眼の能力によってはお金稼ぎができるかもしれないぞ……?


「君、大丈夫かい?」


 不意に声をかけられて俺は我に返った。


 気がつけば白衣を着た医師と思われる男性が俺の目の前で軽く手を振っていた。


 どうやら俺は意識がぼんやりとしたまま医師の問診を受けていたらしい。


 俺と同じくらいの歳の男性で、その左手の薬指には指輪が光っている。


「あ! す、すみません。ちょっと最近、良く眠れてなくて……」


「大変だねぇ」


 その医師の言葉に俺は少しイラつきを覚えながらも軽く微笑む。


 なに? もしかして俺を哀れんでんの?


「眠れないのは問診票にも書いてあるよね。心療内科とかには通ってないの?」


「心療内科? いや、俺は別に病んでるつもりはないんですけど……」


「でも眠れていないんだろう?」


「そう……ですね……」


 ふと俺の脳裏を課長の言葉が過ぎる。


 独身男性は、みんな気が狂う。


 俺は自信のイラつきがさらに増加していくのを感じていた。


 なんだよコイツ。偉そうにタメ口聞きやがって……。結婚してんのがそんなに偉いのかよ。医者だからってそんなに偉いのかよ。なんで俺を弱者みたいな目で見てくんだよ!


「一度、専門の先生に診てもらったほうがいいんじゃないのかなぁ?」


 俺は医師の落ち着いた声を聞いて再び我に返る。


 おそらく医師は、俺をけなそうとなんて思っていなかったのだと冷静に思い至ったのだ。


 集団検診で一日に何人も問診しているであろう医師が、そのなかの一人に過ぎない俺をなんの理由があって貶そうと言うのだろうか。


 そう、冷静になりさえすれば俺はちゃんと状況を認識できるのだ。


 狂ってなどいない。


 これは常日頃から思っていることだけれども、たしかに俺はここ最近、自分のなかの攻撃性のような感情が強くなってきているとも感じていた。


 それはたぶん、俺を評価しない社会への恨みだとか、自分勝手な要求ばかりしてきた婚活女性への怒りだとか、そういったものの積み重ねが俺の攻撃性を研いでいるのだと思う。


 事実、俺のような男性が人を傷つけたりしてニュースになることも増えてきた。


 たぶん、こうやって様々なところから弱者男性にかかる圧によって、俺たちは狂っていくんだろう。


 でも、俺は大丈夫だ。


 なぜなら、そんな自分を客観的に認識できているから。


 きっと、この調子でこれからも上手くコントロールできるはずなんだ。


 心に悪いことは考えないようにしたほうがいい。


 逆にいいことを考えるんだ。


 独身男性だって幸せになれない訳じゃない。きっと探せば俺の周りにだっていいことはたくさん転がっているはずなんだ。


 小さなことだっていい。いいことを探すんだ。


 気分を上げていくんだ。


 そう思いながら問診ブースを出たときだった。

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