勝手にダイイングメッセージを書かないでください

小石原淳

瀕死だけど色々がんばる

 目が覚めると同時に、頭痛に襲われた。しかも尋常な痛みでない。割れるように痛いとはこのことか。加えて息苦しい。

 日常生活で言うところの頭痛じゃないと気付くのに、しばらく時間を要した。

 頭を殴られ、血が出ている。

 呻き声を上げるつもりが、できない。口にはガムテープらしき物がぴたりと貼り付けられていた。鼻呼吸だけで息を整えるのが辛い。容態は悪化していると自分でも分かった。

 床に横たわっているようだが、身体を動かせない。左腕は身体の下敷きになり、右手は顔の近くにある。指先に血が付いているのが見えた。

 フローリングの床に何か書いてある。赤い文字だ。血をインクにして書いたのか、所々かすれている。ピント調節してもぼやける距離だが、どうにか読めた。


   “はんにん はたなか”


 何だこれは。まるでダイイングメッセージみたいだな。

 私は死んでないけれども。

 そもそも、こんな物を書いた覚えは全くない。頭に強い衝撃を受けて、記憶が飛んだ? いや、それもないだろう。その証拠に、こうなるに至った状況を徐々に思い出しつつある。

 床に座った姿勢でいるところを背後から殴りつけられ、倒れた。口は……殴られる前からすでに塞がれていた。両手首もガムテープでぐるぐる巻きにされていたと思うが、今は枷はない。

 そう。

 私は襲われたんだ。自宅に一人でいるところを、半ば強引に上がり込んできた知り合いの……誰だっけ……北島きたじまか。北島の奴が持参した酒を勧めてきて、飲んだら意識をなくして、気が付いたら拘束されていた。食堂の床に足を投げ出す感じで座らされて、北島の奴、恨み言をねちねちと言い立てていた。

 五分か十分ぐらい経って、年貢の納め時とかどうとか言って、後ろから殴りやがった。

 そのあとあいつが何をしたのかは想像するしかないが、どうやらダイイングメッセージの小細工をしたんだな。

 このメッセージは、罪を田中たなかに擦り付けたいのか、畑中はたなかに擦り付けたいのかが分かりにくいな。どちらも私とは因縁がある相手だから、どちらかが代わりに逮捕されればいいと考えたのか。“はんにん”と“はたなか”の間に少し隙間があるのが気になる。

 恐らく“はたなか”と書いてあるのを見付けた畑中が、ごまかすために“はんにん”と書き加えた――というつもりなのだろう。

 と、いけない。意識がまた朦朧としてきた。

 犯行の過程なんてあとで考えればいいことであって、今最優先すべきは、助けを求める、これに尽きる。どこかに携帯端末があるはず。多分、ズボンの左尻ポケットにあるはずだが、生憎と今、身体の向きがよくない。姿勢を変えないと絶対に取り出せない位置だ。ともかく、左腕を身体の下から出そうともがき始めたその瞬間、“がさ、しゅっ、がさ”という音がした。

 アコーデオンカーテンが開け閉めされる音だ。

 何者かがいる!?

 我が家でアコーデオンカーテンがあるのは、浴室へと通じる脱衣所。この状況で、犯罪の現場に留まり、何かしらのことをなそうとしているのは、犯人に他ならない。

 気配を感じ取ろうと、耳を澄ませる。何かを探しているのか? それよりも、今この部屋に戻って来たら、私に息があることを察知するのではないか。

 察した犯人――北島は、私にとどめを刺そうとするだろう。そうなる前に、攻撃すべきなのか?

 五体満足な状態でなら、北島とやり合って負ける気はしない。だが、頭に深手を負い、身体の方もアルコールのせいか薬のせいか知らないが、自由に動くのか怪しい現状で、北島に勝てるのか? 恐らく、無理だ。不意打ちに成功しても、四分六分で負けそうな予感がある。たとえ北島を組み伏せ得たにしても、こっちは出血多量でぶっ倒れかねない。

 折角、九死に一生を得たと思ったのに、ここで見付かってまた殺されては何もならない。

 私は死んだふりをした。

 瀕死の私が、生きるために、死んだふりをする。


 ……まだいる。

 早く出て行ってくれないか。携帯端末さえ取り出せれば、通報のしようもあるのだろうが、今のこの姿勢を崩せないのなら打つ手がない。

 北島の奴、食堂のドアの外に立って、何かやろうとしている。時折、ドアを開けて、ノブの滑りを確かめでもしているかのように、かちゃかちゃと音が聞こえる。一体何がしたいんだ? ドアに物を隠すスペースなんてない! 秘密の抽斗でもあると思ってんなら、漫画の見すぎだ、馬鹿野郎。

 思えば、大人になってからも、子供じみたところのある奴だった。同窓会ではアニメや特撮のヒーロー同士の夢の対決を語っていたし、推理ドラマでは探偵が変装を解く場面が大好きだと公言していた。今まさに私を襲っておいて、ダイイングメッセージの小細工を施したのも、子供っぽさの表れ……。

 まさか。

 嫌な予感を伴って、私は閃いた。

 北島はこの部屋を密室にしようとしてるのでは?

 ドアやノブをしきりにいじっている気配は、用意していたトリックがうまく働かないため、何度も試しているのか。

 何で、こんな明らかに他殺と分かるやり方を取っておいて、現場を密室にしなくちゃならないんだよ! 意味のない密室なんて作ってないで、さっさと逃げろよ! ガキか!

 ――興奮して血の巡りが激しくなったのか、私の頭からの出血量が増えてしまった気がする。だめだ。すぐにでも出て行ってくれ。限界が近い、そんな感覚がある。血の温かさを感じながらも、同時に死の冷たさがひたひたと忍び寄ってくるような。


 !


 不意に、電話が鳴った。

 私の携帯端末だ。誰かは分からないが、誰かが掛けてきた。くそ、出られる状況なら出て、助けを求めるのに。最早、身体がほとんど動かせない。

 何よりも北島が音に気付いたに違いない。何事か確かめに、密室作りを中断して、こちらにやって来る。

 私は覚悟を決めた。

 必死で死体を演じる。

 最後の瞬間、最後のチャンスのために、息を潜め、興奮を鎮め、残りわずかな体力を温存する。

 そうだ。近くまで来た北島は、私の携帯端末を取り出して、誰からの電話なのかを確かめるだろう。

 そのタイミングで、私は北島に掴み掛かり、唯一まともに動きそうな顎で、喉笛にでも噛み付いてやる。


 終

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勝手にダイイングメッセージを書かないでください 小石原淳 @koIshiara-Jun

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