メッセージシャッフル!
裏道昇
メッセージシャッフル!
日本の地方都市XX市。
そこでは大規模な美術展が開かれていた。
大したニュースにもなっていないが、世界的にも高名な芸術品がいくつも展示されている。地元の警察署が暢気に警備を担当していた。
本日未明。
テレビ局各社へと一斉に犯行声明が届いた。
――今夜、XX市の美術展から展示品を一つだけ頂く。
――詳しい内容は犯行予告状を読まれたし。
「なんだと!?」
三課の警部である俺、山内は職場のXX署に着くなり大きな声を上げた。
「……確認するぞ」
俺の言葉に坂上は神妙に頷いた。
「まず、犯行予告状は届いたんだな?」
「はい。届きました」
うん、そこまでは良い。今朝の騒動の通りだ。
まだ報道規制中だが、これで狂言じゃなかったことになる。
「……で、何通届いたって?」
「ぜ、全部で三通届きました」
俺は頭を抱える。
偶然、予定が重なったのだろうか……そんなわけないだろ。
「それと……さっき、最後は何て言ったんだっけ?
もう一回言ってくれないか」
「はい。XX署に届いた郵便物が全て警部宛てになってしまったようです」
「何の嫌がらせだ! すぐに正しい宛先に戻してきなさい!」
俺は自分のデスクで山積みになっている手紙の山を指さした。
署内の郵便物が全部届いたらこうなるわな。
「それが………」
坂上は気まずそうに弱々しい声を出す。
「全ての封が開けられた上で、順番もランダムに混ぜられていて……」
「正しい宛先が分からないってことか、くそ!?」
俺は立場も忘れて毒づいた。
わざわざ封を開けて中身を混ぜた挙句、俺宛にしたことになる。
郵便物の仕分けはボックスで行っているから、その中に入れれば良いだけだ。
犯人グループの誰かが署内に潜入したのか?
……だが、何のために?
……犯行予告と無関係だとは思えないが。
「すみません! お待たせしました!?」
その時、バタバタという足音と一緒に大きな声が届いて来た。
「ん? 君は?」
「本日付でYY署より応援に参りました。桜木巡査です!」
女性警官だった。
元気一杯に声を上げながら、敬礼して見せる。
「ああ、大事になってしまったからな……署長が応援要請を出したのか」
「あ、これじゃないですか?」
そう言って坂上は手袋を両手に付ける。
そのまま手紙の山から一枚を抜き取った。
あ、そういう管理なのね。
ある意味では現場保存だけど……後で注意しないと。
俺も手袋をすると、中に目を通す。
確かに、署長個人宛のようだが、YY署の署長から手紙が来ている。
「ああ、分かった。急な予告状で人手が足りない。助かったよ」
「はい!」
元気良く返事する桜木巡査はまだ若い。
警察官になってから五年というところか。
「よし、次だ。その三通の犯行予告状は?」
「これです」
坂上は手袋を付けたまま、手紙の山に手を伸ばす。
今度は手紙の山から、器用に三枚だけ抜き取った。
俺は三通の手紙を受け取ると、YY署からの手紙を手渡した。
……坂上は受け取った手紙を元の場所に戻す。
だから、その管理はどうなんだ?
気を取り直して、俺は目を通そうと――
「その手紙、僕も見せてもらって良いですか?」
「む」
――その声の振り返った。
見れば、長身の男性が立っていた。
「君は?」
俺は不機嫌な声を出す。別に相手がイケメンだったからではない。
「僕は探偵です。美術館の館長からの依頼で来ました。
今回の予告状から美術品を守るように依頼されています」
そう言って名刺を差し出した。
『霧崎順』と書いてある。
「むむむ……」
確かに損害を受けるのは美術館だ。
民間に依頼を出すのもやむなしか。
「後ほど、美術館で館長とお会いしてください」
「……わかった」
俺が唸ると、霧崎はにこやかに微笑んだ。
そして、俺たちは三枚の手紙を覗き込んだ。
それぞれの手紙には簡潔な一行が書かれていた。
――深夜零時に『白い夕日』を頂戴する。
――深夜零時に『影』を頂戴する。
――深夜零時に『涙する少女』を頂戴する。
俺は頭を抱えた。
どれも展示品である絵画の題名だ。
「……一体何を盗むんだ!?」
一つが本命で他はフェイクなのか?
それとも一つだけというのがフェイクで、全て盗むつもりなのか?
「あー、疲れたなぁ」
「お疲れ様です」
閉館を迎えた美術館で俺は溜息を零す。
すぐに桜木巡査が労ってくれた。
犯行予告の件が知れ渡って、美術館は大騒ぎだったのだ。
来場人数は凄まじいことになっていたが、館長は嬉しくなさそうだった。
「頼みますよ! 警部さん! 霧崎さん! 世界の名画なんです。
盗まれたら世界の恥ですよ! 日本警察の汚点ですよ!」
さり気なく日本警察の汚点呼ばわりされた。
だが、盗まれるわけにもいくまい。
「それじゃあ、今夜の警備を決めようか」
俺は予告のあった絵画の警備担当を決めていく。
『白い夕日』はベテラン刑事に任せることにした。
『影』は部下の坂上に任せる。比較的警備が簡単な場所だった。
『涙する少女』は俺だ。桜木巡査には補佐として入ってもらう。
大事になったので、自由に使える人員は多い。
それぞれの絵画は別の部屋で展示してあり、周りに多くの警察官が配置されている。
探偵の霧崎はふらふらと歩き回っていた。
……絵画をじろじろと見ながら頷く。お前は客か。何やってるんだ。
桜木巡査は夜食と称して大きな鞄から菓子を配って回っている。
お前の仕事はそうじゃない。何やってるんだ?
坂上が遠くで現場保存の重要性を説いていた。
今朝のお前を見た限りだと理解しているとは思えない。何言ってるんだ?
……大丈夫だろうか?
そして、犯行予告の時間まで残り十五分になった。
美術館に残った人員の緊張が高まっていく。
俺は絵画の前で腕を組んでいる。
この警備の中で盗めるとは思えないが……。
「あ、あの、大丈夫ですよね?」
「……もちろんだ」
桜木巡査の言葉に大きく頷いた。
盗まれるわけにはいかない。
「あ、そうだ。お菓子食べます?」
桜木巡査がすぐ隣から一口チョコを差し出していた。
勤務中だ。俺がやんわりと断ろうとすると――
カンッカンッカンッ。
――三つの甲高い音が響いた。
「なんだ!?」
俺が身構えると、すぐにシューという音が聞こえてきた。
……煙? 火事か?
……いや、煙幕か!
俺は『涙する少女』へと目を向ける。
しかし、すぐに真っ黒な煙に隠されてしまった。
「くそ! どうなってる!?」
やがて、煙が晴れていく。
目の前には『涙する少女』があった。
……ということは、狙いは別か? 確かに音は三つ聞こえた。
俺は急いで無線で連絡を取った。
「おい、二人とも! 絵は無事か!?」
「はい、警部。こちらは煙幕に覆われましたが、無事です」
「おう、こちらも同じだ。煙幕だけだ。探偵もここにいる」
俺の質問に、坂上とベテランが応じた。
どうやら俺と同じく探偵に反感を覚えているらしい。
? だが、他の絵も無事?
なら、今のは一体……。
「桜木巡査、何か異常は?」
「いえ、ただの煙幕としか……」
俺の質問に桜木巡査も首を傾げる。
お菓子の入った鞄を床に置いたまま「すみません……」と謝った。
念のため、周囲を警備している人員に訊いたが回答は同じだった。
盗むなら絶好のチャンスだったはずだが……。
「ああ、間に合った!」
「……霧崎さん?」
霧崎が飛び込んでくる。
さっきまでは別の場所にいたはずだが……。
次の瞬間。ふっと、美術館の明かりが消えた。
ちょうど、深夜零時だった。
「今度は何だ!?」
「美術館のブレーカーが……? きゃっ」
近くにいた桜木巡査が答えようとするが、途中で小さな悲鳴を上げた。
どさ、と何かが倒れる音。
「桜木巡査! どうした、桜木巡査!?」
大きく声を上げたが、返事はない。
どれほど経ったのか。
唐突に明かりは戻った。
「な……」
驚きに声が出ない。
『涙する少女』が額縁だけになっていた。肝心の絵がない。
どうやってこの警備の中を……。
「! 桜木巡査!?」
すぐ近くで彼女は倒れていた。顔には青痣も見て取れる。
「救急車を!」
俺が叫ぶと、何人かが動き出した。
「警部! こちらを見てください!」
「ん?」
部下の一人が声を荒げた。
見れば『涙する少女』を展示していた壁から近い床を指さしている。
穴が空いていた。
それも、小柄なら人だって通れそうだ。
「くそ! 今すぐに後を追え!」
俺は大声で叫ぶと、無線を手に取った。
「おい! そっちは?」
「? 何もないですよ。明かりが消えただけです」
「こっちもだ……何かあったのか?」
盗まれたのは『涙する少女』だけ。
やられた……。
このまま逃げられたと思ったが、予想外の出来事が起こった。
数分と経たずに犯人が自首してきたのだ。随分と小柄な男だった。実行犯だろう。
「盗んだ『涙する少女』はどこだ!?」
美術館の一室を借りて、俺は声を荒げた。
しかし、男は首を横に振る。
「違う……盗んでない! 俺は失敗したんだ!
偽物を掴まされた! ただの白い紙だった!」
男が叫び返す。ばん、と机に白い紙を叩きつけた。
俺は眉を潜めたが、探偵は「ほう」と笑った。
「嘘を吐くな! 仲間がいるんだろう?
居場所を言え! 言い逃れできると思うなよ!」
「馬鹿じゃないのか? 失敗したから自首したんだよ。
失敗したのに追われるくらいなら、未遂で自供した方がマシだ」
確かに『涙する少女』を盗んだとなれば大罪だろう。
本当に失敗したなら、一応筋は通っている。
「あ、あの、警部……」
「どうした?」
警備を担当していた内の一人が手招きした。
俺は歩み寄って、耳を傾ける。
「あの、俺見たんです。
明かりが消える直前『涙する少女』が……真っ白になるのを」
「うーん……」
? 本当に真っ白な紙を盗んだってのか?
それも明かりが消える直前に真っ白になった? そんな馬鹿な。
「……どうして犯行予告を出したんだ」
いつの間にか、今まで黙っていた探偵が男に訊いていた。
「穴を掘り進めるためさ。
地盤の緩い地下水道を見つけて、時間を掛けて近くまで掘り進めた。
だがここまで近くなると駄目だ。誰もいない美術館だと音が響いてばれちまう」
男が溜息を吐いた。
人を集めるための手段だったということか。
「絵の近くが騒がしくないといけない。
多少警備が厳しくなっても、穴さえ通せれば行けると思ったんだがなぁ」
そう言って、男は天を仰ぐ。
確かに出し抜かれたのは事実だ。
「警部! 救急車が来ました」
「分かった。桜木巡査を搬送してやってくれ」
扉が開いて、部下の坂上が顔を出した。
外傷だけ確認した後、桜木巡査は下手に動かさずに寝かせたままだ。
救急隊員が急いだ様子で向かっていった。
「うーん、一つ良いですか?」
探偵の霧崎が手を挙げた。返事も待たずに続ける。
「女性警官を殴ったのはあなた?」
「? いや、俺は絵を盗んだだけだ。ただの白紙だったがな」
男が吐き捨てるように答えた。
「明かりを消したのは?」
「は? 明かりはそっちが消したんだろ? 俺は明るい中でやる予定だった。
こういう場合、絵画自体は見ないようになるからな」
? 明かりを消したのはこいつじゃない?
「……煙幕を出したのは?」
「煙幕? なんのことだ?」
男が首を傾げる。
その姿に嘘は見当たらなかった。
「予告状は何枚出しました? 他のものを盗む予定は?」
「一枚に決まってるだろ! 穴はあれだけだ!
フェイクは考えたが……分散して人が集まらなかったら困る」
すでに、開き直っているのだろう。
何でも話すつもりのようだ。
「ふむ。分かりました」
探偵はぽん、と両手を打った。
「? 何を……」
俺の疑問に応じることもなく続けていく。
「まず、犯人はおそらく警察署内に潜入していた。
もちろん目的は『涙する少女』です」
署内に潜入……。
入るだけならば、清掃員や被害者を装うなどすれば不可能ではない。
「しかし郵便物を調べていると、犯行予告状を見つけてしまった。
……犯人は焦ったのでしょう」
つまり『涙する少女』を狙ってる人物が他にもいたということか?
「このままでは『涙する少女』が先に奪われてしまう。
少なくとも警備が厳重になってしまうのは間違いない」
……実際、警備は厳重になった。
……今後も緩めはしないだろう。
「そこで、混乱を利用してしまおうと考えた。
そのために郵便物をシャッフルしたのです」
! 今朝の一件か。
確かに無関係ではないとは思ったが……。
「封を全て開けて混ぜた上で――別の手紙をそこに加えた。
……全てはこの場に紛れ込むために」
「っ じゃあ、そいつは手紙を使ってここに紛れこんだのか?」
俺は慌てて訊いた。
そうなると、人物の特定は難しくない。
「そう、封を開ける必要があったのです。
投函されていない手紙をその場で加えるにはそうするしかない」
そう言って、霧崎は一度俺を見据えた。
「咄嗟のことで、切手も消印も用意していないのです。
かと言って、署内の人物だと偽ればすぐに確認されてしまう」
慌てたように走って来たのは、郵便物の細工をした後で時間がなかった?
「だから、隣の署からの応援を装ったのです。
あの手紙には『初めから封などなかった』のですよ」
確かに署長個人宛とは言え、署長同士がやり取りするにしては軽すぎた。
正式な書類は作れなかったのか?
「あとは盗まれるより先に『涙する少女』を偽物にすり替えれば良い。
明らかにこの人物はプロです。不可能ではない」
俺が「方法は……」と言うと、霧崎は小さく「それは後ほど」と応じた。
「さらに偽の予告状も混ぜることにした。これで捜査を攪乱出来る。
……そして、全てを上手くやって見せた」
霧崎がにやりと笑う。
ちょうど、救急隊員が担架と一緒に出てきたところだった。
霧崎はそこに歩み寄っていく。
目を閉じたままの桜木巡査に声を掛けた。
「仕上げは気絶したフリをして、病院に搬送される。
身元が割れる頃には逃げ切れるでしょうね……顔の痣は特殊メイクですか?」
「証拠は?」
桜木巡査が目を閉じたままで呟いた。
「あなたがYY署の署員でないことは、すぐに調べがつくと思いますが……。
一番手っ取り早い方法は、あの鞄の中身を見せてもらうことですね」
霧崎は大きな鞄を指さした。桜木巡査がお菓子を配っていた鞄である。
ちょうど『涙する少女』が入っていた額縁の前に置かれたままだ。
「おそらく高性能なプロジェクターが入っているはずです。
そこの白い紙に画像を映し出していたのでしょう?」
そう言って――額縁を指で示した。
「最初は煙幕がありました。あの時、すでに盗んでいたのです。
さらに投影位置を微調整した。額縁からはみ出していては困りますからね」
「……そうか」
プロジェクター。だから白い紙なのだ。
煙幕の後、俺たちが見ていたのは投影された映像だった。
停電の前に、一瞬だけ真っ白になったのは……。
なるほど。予告時間より少しだけ早くプロジェクターを切ったのか。
暗闇の中だとすぐにバレてしまう。
それから男が盗みに来た。暗闇でなければ、今度は男が気付いただろう。
だから、明かりを消したのだ。
暗闇の中、この男はせっせとただの白い紙を盗んで行ったことになる。
このタイミングで気絶したフリをしたんだ……救急車で逃げ切るために。
「間に合って良かった。煙幕の後、停電するまでに全ての絵画を見る必要があったのです。あの時点で盗まれている確信がありました。
偽装の可能性があったのは一枚だけです」
だから急いでやって来たのか。
「加えて仲間がいるはずだ。
煙幕を張ったのと美術館の明かりを消した人物です」
桜木巡査が目を開けた。
「これでも諦めないなら、身体チェックをさせてください。
きっと『涙する少女』を身に着けているに違いない」
「……もういいよ」
犯人は口を尖らせた。
そして、すぐに全ては証明された。
連行されながら、犯人は呟いた。
「あーあ、取り入るならあんただったわねぇ」
桜木巡査を名乗っていた女性が霧崎に呟いた。
霧崎の言う通り、そんな署員はいなかった。
「警部に取り入ったからここまで上手くいったのでは?」
霧崎が軽口を返した。
上手くいったら困るんだよ。
「結局、上手くいってないじゃない。
警部さんだけなら何とでもなったわよ」
犯人が肩を竦める。
おい。
「…………」
霧崎の方も何も言わない。
反論しろ、反論。
「こら、少しは反省しろっ」
そうして事件は幕を閉じた。
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