鳴かぬ蛍

津島沙霧

第1話

「なぁ、海行こうぜ‼」

 灯火トモカが言い出した。

「そうか、もう六月か……」

 トモカは、まだ海開きしていないけれど夏の気配がする海が好きとかで、幼い頃から毎年六月頃になると海へ行こうと言い出す。

「明日は晴れるみたいだから、明日はどう?」

 春陽ハルヒが早速調べたようで、提案してくる。梅雨の合間の、貴重な晴天がちょうど明日らしい。タイミングのいいことだ。

ヒカルはどうだ、予定とか大丈夫か?」

 トモカがキラキラした目で、ハルヒもニコニコしながら、こちらを見る。

「僕は別に、予定はないけど……」

 チクリとする胸の痛みは無視して、言葉を続ける。

「二人だけじゃなくていいのか?」


 幼馴染の灯火トモカ春陽ハルヒが、付き合い始めた。

 僕が転校してきた小二の時には、既に周囲からは仲睦まじいカップルだと思われていた二人だが、実は高校に入った最近まで、恋人ではなくただの『とても仲の良い』友達だった。

 明るく活発で、人を引っ張っていく力のある灯火ともしびのようなトモカ。朗らかで優しく、あたたかい春の陽だまりのようなハルヒ。

 そんな二人が、一人ぼっちだった僕に声をかけてくれ、僕たちはいつも一緒にいる三人になり──僕には、周囲から空気の読めないお邪魔虫というレッテルが張られたのだが、それを知ってか知らずか──ともかく、二人はいつも僕のそばにいてくれた。

 それだけ近くにいる僕だから、二人にとってお互いが特別なのも、二人がそれを自覚していないだけなのも知っていた。いつからかはわからないけれど、年頃になるにつれて、自分たちの気持ちに気づいていく二人のことも知っていたし──自分の気持ちにも、気付いてしまった。

 自分の、恋に。



 + + +



「いやぁ、やっぱこの時期の海はいいな‼ 俺、一番乗り‼」

 いち早く砂浜に降りたトモカが、大きく伸びをしながら全身で喜びを表し、続いて靴と靴下を脱ぎ捨てる。

「ちょっとトモくん、そんなとこじゃ靴濡れちゃうよ」

 海に走り込むトモカが脱ぎ捨てた靴を、ハルヒが回収に走った。

「ハルヒ、転ばないようにね」

 後ろ姿に声をかけ、僕はゆっくりと浜辺に歩を進める。

 トモカの靴を回収し、波から離れたところへ置いたハルヒもまた、靴を脱いで波打ち際へ向かった。

 昨日の雲はどこへやら。綺麗に晴れた空が広がっていて、海と空の青の境目がくっきりと見える。

 ──僕は結局、三人で海へ来た。

 二人きりじゃなくていいのかと問うた僕は、当たり前のように三人で来るつもりでいたトモカとハルヒに猛抗議された。なんならハルヒには泣き落としまでされた。そしてそれに押し負けた──と、言えるのかどうかは、わからない。僕だって本心では、いつまでだって三人でいたいのだから。

 バシャバシャと水をばら撒いているトモカを見やる。昔と違って、お互いに水をかけあうことはなくなったけれど、水を上へと投げ上げることはやめないので、近くにいるとびしょ濡れになるのは変わらなかった。ハルヒは笑いながら水をかわしている。

「おーい、ヒカル! 早く来いよー!」

 こっちに向けて、派手に水を撒き散らすトモカ。

「そんなに水かけられたら、そっち近づけないって」

 いつまでも子供のように無邪気なトモカに苦笑しながら、二人の靴のそばで靴を脱いで、波打ち際へ向かう。

 二人の周りにきらめく光の粒に、そっと目を閉じて。


 水を撒き散らすトモカに付き合って体を海水で濡らした後、砂浜で特に装飾もないシンプルな砂の山をいくつも築き、指先で絵を描きモチーフの当てあいっこをし、貝殻拾いを終える頃には、空は夕焼けに染まり始めていた。

「いやぁ、遊んだ遊んだ」

 拾った貝殻を全力で海へリリースしながら、トモカは満足げに笑う。

「二人共、このあと予定はある?」

 小さな白い貝を掌に乗せて写真を撮りながら、ハルヒが聞いてくる。

「俺は特にないなぁ」

 最後の一投を終えたトモカが向き直る。

「僕も特に予定はないけど」

「じゃあさ、一緒に蛍見に行こうよ」

 写真を撮り終えて満足したのか、貝殻をポケットにしまい、ハルヒが提案する。

「蛍?」

「蛍祭りやってるんだって」

「そういえば、ポスターをどこかで見たような?」

 うろ覚えだけれど、そんなポスターを見た気がする。

「ここの近くの森林公園で、毎年やってて、今日もやってるみたい。ね、せっかくだし行こうよ」

 スマホで蛍祭りのサイトを見せてくる。

「蛍か、それもいいな! 夏って感じだ!」

「トモくんは本当に夏が好きだねぇ」

「そうと決まったら、まずはホームセンターだな」

「ホームセンター? 何をしに行くんだ?」

「虫取り網とカゴを買わないだろ!」

「トモくん、蛍祭りの蛍は捕っちゃダメだよ」

 冗談冗談、と言って笑うトモカに、ホントかなぁ?といたずらっぽく返すハルヒ。僕も「本気だったんだろ?」なんて茶化す。僕たちはいつも通りにはしゃぎ、笑い合いながら、地図を見ているハルヒに先導され、夜の近づいてきた海を離れた。



 + + +



「ねぇねぇ、ここからでも見えるよ」

 公園の入り口につくと、奥の方に光が見えた。会場となっている池は公園の奥にあるので、まだ遠くに少し見えるだけだが、それでも綺麗だった。

「屋台も出てるな。たこ焼き、牛串、イカ焼き、チョコバナナ……」

 醤油の焦げる香ばしさに惹かれ、屋台を一通り眺める。離れていても熱を感じるほど煌々と光る裸電球が、蛍の邪魔になるからだろう、屋台は公園の外周に軒を連ねていた。

 トモカが好きなのは、大きなリンゴ飴だ。食べづらくないのか、小さいものもあるのに、と聞いたことがあるけれど、トモカは口の周りを真っ赤にしながら「リンゴ丸ごと一個食べれるなんて、特別感があるだろ」と嬉しそうに齧っていた。ハルヒが好きなのは、ブルーベリーと生クリームのクレープ。僕が好きなのはかき氷のブルーハワイ味だ。

「蛍見たら、屋台で夕飯にするか」

「屋台で食べるクレープって、安っぽいんだけど、それがいいんだよねぇ」

「クレープじゃ、ご飯にはならんでしょう」

「もちろん、別腹ですとも」

 ポンポンと、謎に自慢げに自分のお腹をたたくハルヒ。

「あ、あれ買ってこうぜ。光る腕輪!」

「お前、それホント好きだよなぁ」

 トモカは小さい頃から、祭といえばケミカルライトの腕輪を買っていた。

「でも、光るのって、邪魔にならないかな?」

「うーん……やっぱ邪魔になるかぁ……」

 協議の結果、腕輪は保留になった。


 公園に入り、遊歩道を池の方向へ

 屋台通りは混雑していたから中も混んでるかと思いきや、人通りはそれほど多くなく、自分たちのペースで歩くことができた。時折、人とすれ違いながら、何故かいつもより気持ち小声で、他愛のない話をしながらのんびりと小道を進んでいく。

 池に近づくにつれ、蛍がぽつりぽつりと飛び始めた。

「……わぁ!」

 一足先を歩いていたハルヒが、歓声を上げる。

 茂みや林の続いていた道を抜け視界が開けると、一面にクリスマスのイルミネーションもかくやという数の光の粒が舞っているのが見えた。

「思ってたよりすごいな」

「はぁー……」

 いつも騒がしいトモカも、感心したように見入っている。その横顔を、近くを通った蛍が薄緑色に照らし出した。


── 恋し恋しと 鳴く蝉よりも

   鳴かぬ蛍が 身を焦がす


 この都々逸を初めて聞いたときに、言えない想いを秘めた自分と蛍を重ねたこともあったけれど……こうして明るく光りながら愛を囁く蛍たちを見ていると、声に出せずとも、愛情を表に出せることがとても羨ましいと思えた。

 ずっと内に秘めた想いは、年を経るごとに大きくなって、身の内を焦がしていく。

 蛍のように、光ることもできずに。


「なぁ、ハルヒと写真撮ってくんね?」

 トモカがスマホを渡してきた。

「いつもみたいに三人で撮ろうよ」

 そういうハルヒに対して、

「……二人の写真も撮りてぇの。付き合い始めたんだし、たまにはそういうのもさ」

 照れくさそうにそっぽを向いて言うトモカと、意識してしまったのか顔をうつむけるハルヒ。薄暗くてハッキリとは見えないが、二人がどんな表情をしているかは簡単に想像できた。

「ここなんか、いいんじゃないか? こっち来いよ」

 もじもじしている二人の様子に小さく笑いながら、行燈の近くに呼ぶ。

「お、雰囲気あるし明るいし、いいな」

「素敵だね」

 パッと顔を上げた二人が、近寄ってきた。

 和紙を通した柔らかな光は、蛍の光の邪魔にはならず、それでいて二人の表情を照らし出す。

「そんじゃ、笑って笑ってー……はい、チーズ」

 撮影ボタンに触れたその時、二人の前を一匹の蛍が通り過ぎ、一筋の光を残した。

「どう、どう? うまく撮れた?」

 トモカが駆け寄ってきて、スマホの画面を覗き込んできた。

 その遠慮のない距離の近さに、まとう空気のにおいに、ドキリとする。

「まるで心霊写真みたいだな」

 写真を見たトモカは、そう言って笑った。

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鳴かぬ蛍 津島沙霧 @kr2m

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