水族館はイルカショー

秋犬

あるいはイルカのキーホルダー

 好きな子と水族館でデートだなんて、きっと俺は一生分の運を使い果たしてしまったんだと思う。


 だって水族館だぜ、水族館? 動物園じゃないんだよ。水族館に比べて動物園っていかにも陽キャの集まりじゃん。ウサギかわいいとかゾウすげえとか、ガキがばぶぅってやってるような、そういうところじゃん。その点水族館は違うぞ。ガキはばぶってるかもしれないけど、水族館は大人の集まりだ。静かにただ青い水槽の前に立ってりゃそれでサマになる。いいだろう、これが大人のデートってもんよ。


「学生2枚」

「1800円になります」


 水族館のチケットくらい俺が出してやるから、ようちゃんは財布なんか出さなくてもいいんだからな。あ、「私が出すって言ったのに」だって? ようちゃんは金の心配なんかしなくてもいいんだよ。


 水族館の中に入ったようちゃんは、水槽の青に照らされてすっごくかわいかった。俺は最初からようちゃんは可愛いって思っていた。だから、今日のおしゃれしているようちゃんを見れて本当に嬉しい。俺のために履いてくれた真っ青なスカート、とっても似合ってる。白いブラウスも若草色のカーディガンも、白いポシェットもみんなかわいい。ようちゃんが身に着けるものはなんだって可愛い。


「見て、カニだよ」


 ようちゃんが嬉しそうにカニを見ている。


「うわあ、おいしそう」

「カニ、好きなの?」

「……うん、まあね」


 しまった、会話が途切れてしまった。俺はカニの話はやめて違う水槽の話をすることにした。あっちにナンヨウハギの水槽がある。俺は手っ取り早くそっちへ意識を移す。


「ほら、ドリーがいっぱい」


 ようちゃんがきょとんとしてしまった。しまった、これも失敗だった。


「この青い魚、ドリーっていうの?」


 ようちゃんの下で3歳くらいの子供が「どりー! どりー!」と叫んでいる。


「うん、ニモに出てくる魚だよ。かわいいよね」

「ね」


 ようちゃんの声が低くなった。うーん、どうしようかな。


「ようちゃんはさ、何か見たいものはない?」

「私は、こういうところあんまり来ないから……」


 俺は心の中で激しく動揺する。でもそんな顔ようちゃんの前でできないので、とにかく余裕のある男を演じてみせる。俺はようちゃんのためなら天使にでも悪魔にでもサメにでもなってやる。


「じゃあさ、イルカショー見に行こうよ。楽しいから」

「うん!」


 よかった、ようちゃんの顔が明るくなった。俺はイルカショーのホールへさりげなく誘導するふりして、ようちゃんの手を握る。ようちゃんは俺の手を握り返してくれた。俺の中でぎゅっと男の株が上がる。


 イルカショーは楽しかった。楽しい音楽に愉快な演出、トレーナーさんの明るい声にダイナミックなイルカの動き。これだ、これこそ水族館デートの醍醐味じゃないか!!


「楽しかったね」

「うん、楽しかった」


 よかった、本当によかった。俺はイルカに救われた。将来は俺もイルカになろう。


***


 そのあとは深海魚コーナーで変な生き物とかタコとかヒトデを無難に見て、俺たちは水族館を後にした。本当は水族館の中の喫茶店でランチと思ったけど、ようちゃんの様子を見てそれはやめることにした。


「私、こんなに楽しいの初めてで本当に嬉しい」

「俺だって楽しいよ」


 ああ、体がふわふわする。ようちゃんと俺でどっか南国とか行って暮らせればいいのに。


「お腹空いたね、どうしようか?」


 俺の言葉にようちゃんは黙り込む。ここまでは想定内、大丈夫。


「コンビニでパンでも買って、ベンチで食べようか」


 すると、ようちゃんの顔が少しだけ明るくなる。へへ、俺のデート力を舐めるな!


「じゃあ、あそこのコンビニに入ろうよ」


 俺はようちゃんの手を引いてコンビニへ向かう。ふふ、ここでもさりげなく手を繋いでいる。今日の俺、最高。


「よかったら、何か買ってあげるよ」


 本当はお揃いのイルカのキーホルダーとか買いたかったけれど、それもやめにした。俺は適当な総菜パンとジュースを掴んでレジへ向かおうとして、ようちゃんが手にしているものを見て少しドキリとした。


「買ってあげるよ」

「いいよ、大丈夫」


 俺はようちゃんの手の中の「塩むすび」にドキドキした。コンビニのおにぎりなんて、俺は鮭とかツナマヨを買うものだと思ってる。塩むすびだけなんて聞いたことがない。


「他に何か買おうか?」

「ううん、これだけでいいの」


 いいわけないだろう!


 ようちゃんが遠慮しているのは俺でもわかる。どうすればいいんだろう、どうすればようちゃんに楽しくなってもらえるんだろう……?


「じゃあさ、交換っこしよう」

「え?」


 ようちゃんが変な声を出す。


「お互い、食べたいと思いそうなものを選ぶ。面白いだろう?」

「え、う、うん……」


 ようちゃんはおにぎりを棚に返した。そうだ、それでいい。俺は総菜パンを棚に戻して、たらこのおにぎりとアメリカンドッグを買った。アメリカンドッグは……おまけだ、なんとなく。俺はようちゃんが選んだものを敢えて見なかった。それはベンチまでのお楽しみだ。


「じゃあ、交換するよ。せーの」


 俺はおにぎりとアメリカンドッグの入った袋をようちゃんに渡す。ようちゃんが俺にくれたのは、鮭のおにぎりだった。


「うわあ! 俺鮭好きなんだよね!」


 これは偽らざる本心だ。ようちゃんが俺のために鮭を選んでくれたなんて、嬉しすぎて明日にでも死ねる。


「……ごめんなさい!」


 ようちゃんは俯いてしまった。しまった、喜びすぎたか。


「やっぱりデートなんて私できない、ごめんなさい、ごめんなさい」


 ようちゃんは半泣きになってる。うーん、これは想定外だったな……どうしよう?


「なんで? 俺は楽しいよ」

「違うの、だって、私といたって、楽しいわけないじゃない」


 ああ、どうしようかな。せっかくデートに誘ってOKもらったのに、これじゃ俺が悪者じゃないか。いや、俺は悪くないしようちゃんも悪くない。悪いのは世の中だ。


「そんなわけないだろう、外で食べるおにぎりとか最高じゃないか」

「そうだけど……」


 ようちゃんの肩がぎゅっと縮んだように見える。いつもそうだ。学校ではようちゃんが楽しそうにしているところなんて、俺は見たことがない。


「学校とかいろいろ関係ないところに入ったら、きっと笑ってくれると思ったんだ」


 なんか俺はムカついてきた。ようちゃんは笑うと可愛いのに、誰もようちゃんを笑わせようとしない。女子はようちゃんをハブるし、ようちゃんはいつもひとりでいる。それなのに、それなのに。


「それに、俺が君のこと好きだって言っても誰も本気にしないし」

「え?」


 やべ、勢いでコクってしまった。これはもう、勢いしかない。


「そりゃさ、施設育ちとか里親とかいろいろあると思うんだよ。俺はそうじゃないから、そういう人生を想像するしかできなくて、それはそれでちょっと辛い。俺が一生懸命考えているのにから回って、何だかバカみたいじゃんって思うんだよ」


 ああどうしよう、ようちゃんを責めたくないのに何だか責めてるみたい。


「だからさ、今日そういうの抜きにして、ぜーんぶ忘れて楽しみたいなーって思ったんだよ」


 今だから思う。無理だよ俺。一日水族館に行ったくらいで、ようちゃんの過去や暮らしが変わるわけじゃないし、俺がようちゃんになることだってできない。


「俺こそごめん。無遠慮で配慮のない奴だったかもしれない。本当にごめんなさい」


 ああ、もうどうしよう全部ぐちゃぐちゃになっちゃったよ。やっぱり俺にはようちゃんを笑わせることなんてできないんだ。もう俺はダメなんだ。


「……そんなことないよ。イルカショー、結構楽しかったし」


 ようちゃんは俺が上げたコンビニの袋からアメリカンドッグを取り出した。


「これ、そのまま食べていいの?」

「ケチャップとマスタード入ってない?」

「ないよ」


 畜生、あの店員入れ忘れたんだ。


「いいよ、そのまま食べる」

「無理しないでいいよ」

「ううん、おいしいからいいの」


 ようちゃんはそのまま美味しそうにアメリカンドッグを食べてくれた。そしてたらこのおにぎりも全部食べてくれた。


「鮭のおにぎり、好きなんだよね?」

「もちろん!」


 ああよかった、ようちゃんが笑ってくれた。ようちゃんのためになること考えていたけど、違うな。俺がしたいことをしたほうがいいんだ、きっと。俺は半分泣きながら鮭のおにぎりを食べた。すごくしょっぱかった。


「じゃあさ、お願いがあるんだけど聞いてくれない?」

「なに?」


 少し緊張したけど、続けて俺は言う。


「お揃いのキーホルダー買わない? 俺がプレゼントするから」

「いいの?」

「いいんだ、俺が買ってあげたいの」


 すると、ようちゃんは笑った。


「じゃあ、私ピンクのイルカがいいな」


 俺は泣いた。ああ、かっこわりいな。なんかようちゃんめっちゃ笑ってるし。通行人もこっち見てくるし。もうグッダグダじゃん。朝かっこよくキメようって思ってたのに。最悪。きっと俺は一生分の運を使い果たしてしまったに違いない。


 好きな子にイルカのキーホルダーを渡せるなんて、最高のデートだと思うから。


<了>

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