君の状態変化

暁明夕

 

「それじゃ,バイバイ」


 そう言って、君は僕の前から姿を消した。

いや、正確には消えていない。だって、確かにんだから。

そして今日も、なんとか液体となった君をバケツで掬い上げる。



「あれ? ちょっと太ったかな?」

「あーごめん、今日少し溢しちゃったから水を足したの」

「あーそういうことね」


 冷えたソーダアイスを頬張り、一気に棒が見えるところまで呑み込む。

その度に頭を抱える君を見て僕は笑う。

床に敷かれたブルーシートはいつでも君が液体になっていいように。

たとえ溢してしまったとしても、君が僕の夏野菜料理をたくさん食べることによって、その溢した分を帳消しにする。

これが僕らにとっての夏の日常だ。


 それなのに、君は平気で外に出る。

僕の気も知らないで。

こんな暑い日に液体になったらどうするんだと言うのに。

でも、そんな自由なところに僕は惹かれたんだ。


 今日も万全の暑さ対策をして外に出る。

大体君の融点は37.9℃くらいだ。

色んなことを計算した上で、今日は大丈夫か、それとも外に出ないようにするのか決める。

まぁ、君は僕の忠告も聞かずに出ていってしまうけれど。


 こんな生活にも慣れてしまった。

君が液体になったらすぐさまポリバケツで掬い上げて、エアコンの冷風が当たる場所に持っていく。

少し冷えると、いつも通りの固体の君に戻るんだ。

逆に冬は楽だ。溶けることなんてほぼほぼない。火遊びなんてしない限り。

冬に君が溶けたことはまだ三回しかないよ。


 でも、自分がそんな性質を持っていると分かっていながら、君は夏という天敵の季節を全力で楽しむ。

今まで海にも行ったし、祭りにも行った。来週は山登りをするんだっけ。


 もう既に持っていくものが詰まった大きめのレジャーバッグ。ハンディファンや、保冷剤、当日は一キロの氷も持っていく。


「ねぇ、そう言えば来週のキャンプだけどさ」

「あ、今僕も丁度そのこと考えてたよ」

「予約したコテージの周りで、キャンプファイヤーしてもいい?」

「うん、やりたいならやろう」

「そう? ありがと!」

 あぁ、薪と液体窒素でも準備しようかな。



「うおー! 山だー!」

「ほら、そんなにはしゃぐとまた溶けちゃうよ」

「いいよ、どうせ助けてくれるんでしょ」

「まぁ、そうだけどさ」

落ち葉と泥で作られた斜面を埋まった石に足をかけてなんとか登りながら、頂上のコテージを目指す。

今日は予想より融解の回数が少なかった、確か、三十回は行っていないはずだ。


 そんなこんなでコテージが見えてきた。

コテージの上には、巨大な積乱雲が浮かんでいた。

なんとか山を登り切り、中に入る。

そこは思ったより広いのと、何故かエアコンが効いていた。

「あれ、なんでこんな涼しいんだろう」

「なんでだと思う?」

ニヤニヤとする君に君の望み通り「なんで?」と聞く。

「じゃじゃーん! これ、日頃のお礼だよ」

君が指差す部屋の真ん中に置いてある少し大きめの段ボール箱。

平静を装いつつ、心躍らせながら開けてみる。

中には大きめの製氷機が入っていた。

「いつもありがとね。これからもこれを使ってわたしをもっと涼しくしてね」

「あぁ、本当にありがとう! 欲しかったんだよ」

そういうところも、大好きだ。


 その後、全身に保冷剤を巻きながらキャンプファイヤーをした。

美味しそうに肉に齧り付く君はとても可愛かった。

夜、もらったばかりの製氷機に水を注ぎ、仕込みをしてからベッドに入る。

明日、できている氷は君がこの山を下りるためのものだよ。

とても楽しかった、その思いと伴に、僕の意識は自然と落ちていった。


 翌日、山を下った。

下りは上りより、君の融解の回数はさらに少なかった。下りは楽だったからかな。

帰りに寄った出店でかき氷を食べながら車で帰る。僕はイチゴ、君はブルーハワイだ。


 そうして、製氷機を背負いながら家に着く。鍵を開けて入ったあと、直ぐにあらゆる部屋のエアコンのリモコンボタンを押して、風量自動で冷房をつけた。これで家中融解する心配は無くなった。その時の時刻は大体十時半くらいだった気がする。


 少し休憩してから、僕の作った冷やし中華をお昼として一緒に食べた。それから、一時間くらい経ったあとのことだった。


『現在の都内の気温は40℃を超え、外に出ることすら危険と言えるほどにまで上昇しています——』


 テレビが発するアナウンサーの声。それを聞いた君は僕に話しかけた。

「——は私のことどれくらい知ってるの?」

「いきなりどうした?」

「いや、ちょっと気になってさ」

どれくらい、どれくらいか。

僕は君の色んな姿を知っているんだ。問題はどんな言葉で表すか……。

そうだ。

「この世界で誰よりも一番——のことを知っているよ」

「本当に?」

「うん」


「誰よりも?」

「うん」


「私よりも?」

「それはどうだろう。でも色んなことを知ってるよ」

「ふーん」


 君のそのニヤけた顔。何かを思いついた顔だ。

「ちょっと外出てくるね」

僕もそれに黙ってついていく。この暑さだと、君はすぐ溶けてしまうだろうから。


そうして君が玄関の扉を開けて、涼しい空気と伴に外に出た瞬間、君はいなくなった。


本当に、何処にも。


……あぁ、そうか。


「君の沸点まではまだ知らなかったな」



君は夏の空に昇華してしまった。

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