拝啓、何かが足りない世界へ
暁明夕
「おはよう。もう朝の来ない世界」
その日、日が昇ることは無かった。
いつもなら、もう既に明るくなっている時間。少しずつ、人が行動を始める時間。
駅のホームは暗闇に包まれている。頼りになる灯りは自動販売機の発する光と埃で薄汚れた蛍光灯だけ。
こんな、天変地異な日でも、いつも通り人は電車に乗って行く。臨時休校になんてならないのが当たり前だったかもしれない。
いつも通り、スマートフォンの目覚ましアラームで目覚めて、二度寝の欲求を抑えながらベットを後にした。
外が暗いことには気づいていたのだけれど、どうでもよかった。今という時間を生きることに希望を見出せなかった自分には、そんなことは気にも留まらなかった。
いつも通り、母が焼いてくれた焦げのついた目玉焼きをバターを塗ったトーストと共に口に押し込む。
黄身を守る硬く変性した白身は割れて、中からトロリとしたオレンジ色の液体が溢れる。
ここに塩胡椒をかけて、残りを口に咥えた。
母も父も、外がまだ暗いのが当たり前であるかのように、反応を示さなかった。
それに何処か違和感を感じていたのだけれど、いつも通りを遂行したい自分には何でもなかった。
ただ当たり前の日常習慣を生きて、社会を回す歯車として今日を生きる。それが僕にとっての当たり前なんだ。
だからこそ、今目の前に居る何かが気に入らなかった。
「君だけだよ。この世界に違和を感じていないの」
駅のホームに座るその何かは口を開く。
ボロボロの黒色ローブに身を包んでいる。男か女かもわからない。顔も何もかも。
自分の日常というこの空間に、そんな異常が存在していることが耐えられない。
自分の真後ろを快速列車が通る。
「この世界が
「何が言いたいの」
彼は朽ちた金色の歯車を弄びながら言う。
「君はこれが日常じゃないことを知っているだろう? そう、この世界で君だけがだよ。あぁ、いや、僕もか」
本当に何が言いたいんだろう。だから自分たちは特別な存在だと言いたいのだろうか。
「僕はこの世界に朝が来なくなってから混乱が起きないように、『朝が来なくなったことに対して違和感を覚える人』の中で常識を作ったんだ。凄いでしょう? 君以外、皆の中ではそれが普通になったんだ」
「へぇ、それで?」
顔は分からないけれど、そいつはバツが悪そうに続ける。
「もう少し、良い反応を期待していたんだけどな。本当に君はどうでもいいんだね」
「まぁ、そうだね。こんなになったとしても、それが普通だと割り切って生きるしかないから。例年通り夏の過去最高気温が更新されていくみたいに」
「そっか」
彼は、立ち上がって自動販売機の前に行った。
「ちなみに、これどうやって使うの?」
こいつは自動販売機の仕組みすら知らないのか、だなんて考えには至らなかった。だって、それが
「それはお金を入れて、飲み物を買うものだよ」
「へぇ、便利な時代になったんだね」
耳に入り込む声のトーンは興味深そうなものだった。何もツッコミはしない。どことなく、この時代に生きていた人間ではない気がしていたから。
「......何か飲む?」
「え、いいの? じゃあこの赤いやつを......」
「コーラね」
小銭を二、三枚適当に入れ込んで、緑色のランプが点るボタンを押す。電子音とともに、音を立てて取り出し口にその飲み慣れたものは落ちてきた。それを取り出して、プルタブを開けて炭酸が抜ける音を確認してから手渡す。
彼は手渡されたそれを一気に喉越した。
少し
「なにこれ、今はこんなもの飲むんだね。味はいいけど喉が痛くて仕方がない」
「そんな一気に飲むものじゃないからね」
「そうなのか」
コーラに関する会話はそれ以上続かなかった。
暫く彼は喋らなかった。だから、僕も喋らなかった。
だけど、少し経ってから別れを告げるように彼は言った。
「これ、外した人間に返しといて」
そう言ってコーラの代わりの様に手渡されたのは先程の朽ちた金色の歯車だった。
手渡されて、それについて追及しようとしたときにはもうホームにはいなかった。
これを返しておけって? 外した人間? どこにいるかもわからないのに?
なんだか恩を仇で返された気分だ。こんなことになるなら奢るんじゃなかったな。
面倒くさいことに絡まれた。僕はただ、いつも通り過ごしたいだけだというのに。
僕にとっては捨てられすらしない
そうして時間通りやってきた学校方面の電車に乗り込もうとしたときだった。
何かが僕の手首を強い力で掴む。少し爪が食いこんでいるんじゃないかと思う程痛かったけれど、そのままホームに引き込まれた。
なんだなんだと考えが
ただ、彼は先程とは違い、肩で息をしているのが僕にも分かった。何か、焦っているように。
そうして、矢継ぎ早に出てくる言葉が一本に固まって、口から出てきそうになった時、彼は僕より一瞬先に口を開き、僕の言葉を遮った。
「お前、名前は」
名前? こいつ今名前を僕に聞いたのか? ただ名前を聞かれるためだけに僕は一本電車を逃し経っていうのか。
「......
相手に今の内心が分かる程に不機嫌口調で言ってやった。
ただ、相手は僕の期待する反応すら示さなかった。
「まさか、そんな......」
「何だよ」
彼はすぐに黙り込んだ。本当に何なんだよ。
やっぱりまだホームはまだ闇の包まれているのだけれど、昨日の今の時間は電車に乗って学校に向かっている時間に他ならなかった。それは腕に着けている白い文字盤が刻む時計が教えてくれた。
「君、僕と一緒に来てくれないか」
ようやく出した言葉がそれか? 他にもっと言うことが無いんじゃないか?
「君に用事があるのは分かっているのだけれど、もっと大事なことなんだよ。」
ここまで来ると少し興味が湧いてきた。普段非日常を好まないのだけれど、ここまで来たらもう遅いのだから。
「......分かったよ、で、何処に行けばいいの」
「ついてきて、あ、僕のことは何とでも呼んでいいよ」
この際だから、
「じゃあ、夜で」
「......夜かぁ」
彼は少し寂しそうな声で呟く。嫌だったのだろうか。
そうして、何故か駅員すらいない改札を抜けて、駅の入り口に向かって歩く夜に着いていく。
「......は?」
今、僕は瞬きをした。駅を歩いてもいた。呼吸していた。逆に、それ以外は何もしていなかった。
それなのに、今の一瞬で僕の目の前の景色は変わった。
僕のいる場所はもう、駅ではなかった。
まず、目に入ってきたのは鳥居だ。赤くて、神社にあるものより、少しだけ大きい。真ん中には上に続く苔むした石段が何段も連なっている。
次に、木々。周りは森だった。薄暗くて良くは分からないけれど。ただ、緑色の景色が広がっていた。
これは、俗にいう神隠しという奴だろうか。
これが世間を騒がせる神隠しの真相?
夜は何も気にすることもなく鳥居を潜り、階段を上っていく。
僕もそれに続く。
視界の端に写ったのは鳥居に書いてあった文字。
『ツキカゲケニヨリ、コノヤマヲニチゲツノセイイキトス。』
なんだ、これ。
「あ、鳥居を潜るときは耳を塞いで、あと、振り返らないでね。」
こちらに見向きもせずに登り続ける夜を追いかけて、鳥居を潜る。
言われた通り耳を塞いだ。
「グギッ......!?」
頭の中に響いた音。それはこの世に存在するどんな音の中でもひどいものだったと断言できるものだった。
黒板の引っ掻き音など、同じ土俵にすら乗れやしない、そんな甘いものではなかった。
何とかそれに耐えながら鳥居を潜る。
潜り終わった時、音は止んだ。
夜は何事もなかったかのように石段を登っていく。
僕もその後を追って、生えかけの苔を踏み潰した。
どれくらい登ったんだろう。数えておけばよかったな。
数百段前から現れ始めたカラスは段々と数を増し、今では百匹ほどまで増えた。
泣きわめくカラスの声が耳に刺さらないように耳を塞ぎながら登る。
結局景色はあまり変わらなかった。
少しずつ息遣いも荒くなっていく。
まだ終わらないのか、そう思った時だった。
僕は何かの祠の前にいた。
それが何なのかは分からない。
目の前には夜がいる。
また瞬きをした瞬間だった。さっきまで目の前にはまだ無数の石段があった筈なのに、また同じように、また僕は神隠しにあってしまったのか。
「もう大丈夫、振り向いてもいいよ」
やっと彼は口を開いた。そう言われ、振り向いた後ろには階段などなかった。というより、
「ここ、何処だよ」
出口がない。ただ一つの隔絶された洞窟空間。至る所にツタが生え、上には鍾乳石が連なり、そこから水滴が定期的に落ちて、この洞窟の地面を湿らせていた。
「やっぱり、もういないか。ここに居るように言っておいたんだけどね」
正面を埋めつくす無数の歯車。こんな洞窟には似合わないほどの巨大な装置のようだった。
ただ、それらは見栄えだけで、動いてはいなかった。
「ここはね、現世で太陽と月から一番近い場所なんだ。あと、カラスサマはね、月と太陽を見てくれる存在なんだ。だからあんなにいっぱい居たんだ。現にいつも、昼も夜も夕方も見かけてたでしょう?」
なんと非科学的なことを言い出すのだろう。だけど、今僕の目の前にいる夜という何かは存在が既に非科学的だったのだから、その言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。
彼の話を聞いている時、とあることに気づいた。そして、今何が起こっているのかをこのちっぽけな頭でようやく理解できた。
「歯車が......外れてるんだね......。」
酸化して錆付いた沢山の歯車の中で、二つだけ、空いている場所がある。
「......うん」
でもなんで二つ何だろう。一つは持っている。けれどあともう一つは?
「......世の中は、間違えた人間が間違えを正さなきゃいけない。仕事でミスをしたら責任を取るのはミスをした本人だし、宿題を出すのを忘れても、悪いのは自分だ。だから、これを戻すのも外した人間じゃないといけない」
「......もし、それ以外の人間が戻そうとしたら?」
「多分、この歯車は全部壊れて弾けちゃうだろうね。」
成程、全部繋がった。だから、外した人間に会わなきゃいけないのか。
「こうなった時、歯車を正すのが僕の仕事なんだ。」
「......外した人間に心当たりはあるの?」
「あるというか、会ったよ」
なんだ、それなら簡単じゃないか。
「......ん?」
視界が歪む。いや、
世界が歪んでいるんだ。
僕は元居た駅にいた。
「あー、時間オーバーだ」
「時間オーバーって?」
「あの空間にはずっとはいられないんだ。時間が経つと強制的に元居た場所に戻されてしまう」
「つまり、外した人も元居た場所に?」
「そういうことになる」
「でも、何処に?」
「それを今から考えるんだ。あの場所には今の手順を踏まないといけない。かといって、あの子に何か力があるようには見えなかった。だから、あの子は何らかの原因で偶々辿り着いちゃったんだろうね」
「あの子?」
「うん、男の子だったよ」
「そう」
偶々......か。
「ねぇ、さっきはどうやって常世と現世の狭間に行ったの」
「うーんと、強制的にこの場所を常世に一番近い場所にしたんだ」
一番近い場所......。
「この世界で、今一番常世に近い場所って?」
「......そうか、烏丸神社......」
「烏丸神社?」
「カラスサマを祀る神社だよ。本来はあの石段のてっぺんにある場所。ちょっと眼を瞑って」
言われた通りに瞑る。
不意に、隣を暖かい風が吹き抜けていった。
目を開ける。
いまだに真っ暗なこの世界の中で、その場所は少しだけ明るかった。
それが何故かは分からないけれど、烏丸神社、その名前に相応しいほどのカラスの数。
周りを見渡した時、右の手水屋の角に、十歳くらいの半袖シャツ、短パン姿の男の子がいた。
逆に、その子と僕ら以外に、人の気配はなかった。
夜もそれに気づいたようで、狛犬の代わりに作られたであろう烏の石像を撫でながら男の子に話しかける。
「君、名前は?」
「......月影悠磨」
僕はその名字を知っている。いや、つい先程知ったのだけれど。
月影......鳥居に刻まれた文字の中にそれはあったはずだ。
夜は、さらに男の子との距離を縮めた。
「悠磨くんね、さっきのやつ持ってる?」
「これ?」
夜の姿に少したじろぎながらも、男の子は何かを差し出した。それをもっと近くで見てみようと近寄ってみる。
それは、何か巻物のようなもので、夜は手慣れた手つきでそれを開いてみせた。
『ハズ――シハグルマ、ミギヲヨウ、ヒダリヲイントシテ、オ――メヨ』
僕が読めたのはその文だけだった。
他にも文章が書いてあったが、その文献自体、かなり昔のもので、読めない部分が多かったことと、夜がすぐに閉じてしまったことが僕がそれを読むことを遮った。
「あと、あの歯車あるよね」
「はい、これ」
再び手渡されたもの。それは銀色の歯車だった。
鉄の色などではなく、ただ銀色のものだった。
金色の歯車よりは新しく、最近作られたものであるかのように輝いていた。
「朝陽も出して」
慌ててバッグを下ろして中を漁る。夜のゆっくりでいいという言葉に宥められながら、教科書の間に挟まった金色の歯車を取り出し、手渡す。
それを見て、夜は深刻な顔をした。
「どうしたの」
「いや、ちょっとね......。悠磨くん、お母さんたちからお日様とお月さまのお話聞いてたりする?」
男の子ははっとしたように頷いた。
「よし、じゃあ今からそれを直しにいくよ」
「この子は月影家の人間だ、ただ本家の人間ではないと思う。説明は申し訳ないけど省くよ」
夜は何処か、かなり急いでいるようだった。行動の一つ一つに焦りが見られ、それが何故なのかは何となく分かっていたから、僕もできるだけ急ごうとしていた。
「さ、行こう」
そうして立ち上がった。
時計の時刻は普段なら日が沈み始めている時間になっていた。
あっという間、いや、やっぱり時間の経ち方がいつもより早い気がする。
いつもならこの神社は橙色に染まっているんだろう。
手水屋の影から出た時だった。
何処から飛んできた分からない矢のようなものが夜の右手を貫いた。
彼の手から血は出ていない。ただ、
音を立てて彼の手から落ちた金色の歯車は、地面の上で散逸となっていた。
それに呆気をとられていた。だからこそ、目の前に僕ら以外の人間がいることに暫く気がつけなかった。
「さて、初めまして。貴方は日凪の方ですよね」
「え、そ、そうですが」
「会いたかったですよ」
その男の顔は三日月のマークの書かれた布で隠されていた。彼の声のトーン、態度からは矢を放ったのは男側の人間であること、そして彼らが月影家の人間であることは僕にも理解ができた。
ただ、何故僕の名字を知っているのか、それだけは分からなかった。
隣で呻き声をあげる夜。その声質には怒りが渦めいていた。
「なんで、なんでなんでなんで」
その声と伴に左手の拳を地面に叩きつける。辺りには砂ぼこりが立ち込め、少し喉を傷つける。
「こんなになるのは、僕だけでよかったのに」
夜は泣いていた。
頬を涙が伝っていた。
顔が真っ暗で見えなかった時、男か女かもわからなかった。けれど、顔が見えている今も彼が男か女かを判断することはできなかった。
眉まで伸びている前髪、何処か引き込まれる瞳、存在を強調する泣き
整った顔立ち、一度見たら忘れられないであろう顔。
「まさか、お前はユヅキか......」
「あぁ、そうだよ、久しいね。会いたくなかったよ」
ユヅキ、彼の本当の名前。
木々の隙間から差し込む薫風は彼の前髪とローブを揺らす。
「もう、あんな風習はやめろって、僕で終わりにしろとあれ程言って、その上で引き換えに僕はお前らの言う通りにしたってのに」
「......俺らの仕事はもう終わった。お前が居ても歯車を作り直す以外に朝が来ることはない」
「......ふざけんな! 朝陽に俺と同じ
「それでもいいよ、どんなに足搔いたって、お前の力だけじゃ朝は来ない。」
そういって、男は消えていった。
「......内心、何処かこうなるって分かっていたのにな」
彼は上を向いて、これ以上涙が零れないようにしていた。
「とりあえず、行こう。一番近いここならあの場所に直ぐ行ける」
そして、再び視界は歪んだ。周りに見えていた社も、青々とした木々もすべてが
歯車の場所に来た。
「朝陽、今から全部話す。その後、君がどういう判断をするのか、それは君次第だし、どんな判断をしたっていい。」
そうして、彼は深呼吸をして話し出した。
「僕は、本来ならこの世界に居ない存在だ」
「どういうこと?」
「僕は百年前くらいに歯車を依り代とする存在となった。金色の歯車は太陽を登らせて、朝を迎えさせる歯車。銀色の歯車は月を導いて、夜を深くする歯車。ただ、それらはそれだけでは動かない。それを依り代とする存在がいて初めて動くんだ。僕はそのうちの銀色の歯車を依り代とする存在だよ」
「そのうちの金色の歯車が壊れたってことだよね」
「そう、これを見て欲しい」
そうして、持っていた巻物を広げた。
「ここ」
ある部分を指さす。
文字が掠れていた部分はあったものの、何とか読むことはできた。
『コワレシハグルマ、アラタナヨリシロヲモッテ、ウゴキダス』
「つまり、金色の歯車を作るには歯車を依り代とする新たな存在が必要なんだ。これ一つ一つがそうなんだよ。本来、ここに
たくさんの歯車。朽ちかけているものもあるけれど、その全てはまだ動くものであるようだった。
「ただ、この金色、銀色の二つの歯車だけは誰でもなれる訳じゃない。銀色は月を祀る月影家、そして金色の歯車は......」
彼は言葉に一瞬詰まった。
「太陽を祀る、日凪家の人間にしかなれない」
なんとなく、何処と無く、話を聞き始めたときに勘付いていた。
親にはよく「お天道様はいつでも見てるんだよ」と言われていた。
それだけなら、何処の過程でもよくある光景かもしれないけれど、その頻度はかなり多かったような気がする。
月影家ほど、教えが広まっているわけではないんだろうけど、太陽は自分の家系を象徴するものなのだと、物心ついた時から分かっていたんだ。
「......あの男たちは月影本家の人間だよ。あいつらは歯車を依り代とする僕らのような存在を定期的に入れ替えようとするんだ。何故かは知らないけど、多分に宿る存在は常に穢れていないようにしないといけないみたいな古臭い考えが根付いているんだろうね。だから、本当は日凪の人間と月影本家の人間は仲良くはないんだ。それで、その......」
「僕が歯車となればいつも通りの日常は来るんだね」
彼はバツが悪そうに言う。
「僕はもうユヅキと呼ばれる存在じゃない。歯車に宿る存在となると、取り換えられるまで、ここにずっと縛られる。そんな存在になる。さっきも手から血出て無かったでしょ? それに、誰からも忘れ去られてしまうんだよ。さっきは月影家の人間の中では僕のことが残ってるみたいだけど。多分君は誰からも忘れられてしまう。だから、無理してまでなってほしくはない。僕が歯車に戻っても、朝を呼ぶことはできないけれど、でも今、この世界では日が昇らないことが普通なんだ。だから、君はこの世界でも生きていける。だから......」
「心配してくれてありがとうね。でも大丈夫」
そうして立ち上がる。
「僕はこの世界で必要不可欠な歯車になりたかった。日常の中で、欠けたら困るような、そんな存在に。だから、大丈夫だよ」
「本当に......?」
「うん、ここに来た時から覚悟はできてた」
本当は少し怖い。けれど、僕にしかできないこと。それを成し遂げることのできる自分に誇りを持てたんだ。
二人で歯車の前に立つ。
いつの間にか、僕の右手には真新しい金色の歯車が輝いていた。
「ねぇ、夜」
「なに?」
「ユヅキって、どう書くの?」
「最後の質問がそれ?」
彼は笑みを浮かべる。
そうだよ、節目くらい笑顔でいなきゃ。
「ユヅキはね――」
そっか、そうだったんだ。
二人で同時に歯車を嵌め込む。
巨大な地響きと伴に、それは動き出した。
心の中を落ち着かせて呟く。
「おやすみ、僕のいた日常」
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