10. 人生の終わる頃
「ついにこの日が来たか」
私は卵型の装置の中でモニターを滲む視界で見つめている。
最初は左手首のデバイスで「オシラセガ、アリマス。モニターヲ、カクニンシテクダサイ」とだけ通知が来た。今まで数度しか見たことのない通知であり、何事かと思って瞑想中だった自分が思わず跳ねるように立ち上がって、卵型の装置の中に入ったのだ。
「ここまでがんばってきたが……」
そこには「セイサンセイノテイカニヨリ、ショブンガケッテイシマシタ」とはっきりと書かれていた。たしかにこの頃は激しい運動もできず、動きも緩慢だった。頭のキレもどこか鈍く、得意としていた精度向上の業務も遅延を発生させるほどに作業効率が落ちていた。
何不自由ない生活だった。
住むところは快適で、食べるものに困らず、服も好きなものが着られ、仕事のストレスは少なくて、あったとしても自分ができないから生じるストレスだけで、対人関係なんてものは存在しない。
実に、何不自由ない生活だった。
しかし、老いてから、別の考えも生まれ始めた。不自由がないは、自由であることなのか、と。私には、自由と不自由が二つのものに分かれていて、つまり、独立して存在しているものではないかと思うに至った。
不自由な中でも自由はあるし、不自由がない中でも自由もまたない、なんてことがあるのではないか。
「考えても仕方ない……か……」
私ははたして自由だったのか。
分からない。独りで暮らしてきたのだから、比較するものがない。AIに聞けば、絶対に分かるわけでもないし、その答えが本当か嘘かも分からず、そもそも私に判断基準が存在しないのだから聞いても無意味だ。
こう考えるのには、理由がある。
「さて……どうするか」
目の前のモニターは次に、処分の内容について、2つの提案をしてきた。
1つはこの卵型の装置の中でガスを吸って安楽死を選ぶこと。
この場合、私は、一人の人として、アーカイブの1つとして、AIに記録される。その記録は今後の人類の発展のために使われるようだ。
実に喜ばしい。独り暮らしで私自身は人と関わることなどなく、煩わしさもなかったが、私の記録が人に影響を与えられるなら、これほど嬉しいことはない。
それはおそらく、エゴの押し付けというものなのだろう。だが、AIが最適化してくれるならそれでいいじゃないか。
「もう1つは……」
もう1つはこの部屋の外に出てAIに頼ることなく生きることだ。
今まで考えてもみなかったが、この部屋に外はある。それは他人も生きているのだから、言われてみると当たり前と言えば当たり前なのだが、すっかりとその認識が抜け落ちていた。
この場合、私は、AIから逸脱したものとして、アーカイブにすら残らない。もちろん、私の遺伝子を持った次代の子どもたちはいるはずだから、私の痕跡がまったく残らないわけではない。
だが、私は消える。消えてしまう。生活スコアを意識して、規則正しい生活を送ってきた私は、同世代よりもきっと生産性が高く、きっと長く生きてきたであろう。
そのような自分の記録が1つも残らず消える。
「私は……ここで死ぬよ」
私は死を選んだ。AIに頼らず生きるという選択肢はほとんどなかった。私と言う存在が消えてしまうことをひどくためらってしまった。
私は何かを残したい。そう本心から思った。
年老いた自分が今さらAIに頼ることなく生きることは難しいだろう。仮に生きたとして何年だろう。仮に生きたとして何が残るだろう。
考えれば考えるほど、AIの出した選択肢に意味などないと確信した。
「今までありがとう」
私はAIにそう呟いた。卵型の装置の中、ふかふかのシートに包まれ、モニターには「オツカレサマデシタ」の文字が表示されている。いつも仕事の後にしか見ない表示だったからか、まるで人生が長く続く仕事だったと言わんばかりだと思った。
さて、死とはどういう感覚だろう。痛くなければいいが。
不安と安堵の綯い交ぜになった複雑な胸中は隠しきれない。考えごとをしていないともたないと思っていた。
しばらくして……目が霞んできて……まるで私は……いつもの就寝と……そう同じ……ように……眠く……なって…………。
【完結】遠い未来は独り暮らし 茉莉多 真遊人 @Mayuto_Matsurita
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