07 魔女は興味を持たない。

バネッサが目を覚ますと、そこは見慣れた天井だった。明かりはなく、すぐに目は慣れた。

ガバッと起き上がり、寝室から出る。衣服は家を出る前と同じままだった。

(村で魔法を使ったところまでは覚えている。でも、なんで家に戻っているんだ…? まさか、倒れた…?)

足取りは重くないし、体の節々にも問題はなさそうだ。記憶が定かではない以外に外傷もないことを確認する。ふと、ソファに人影があることに気づいた。

近寄ってみれば、クラウスがソファの上で眠っている。

「………」

バネッサは彼の顔をじっと観察するようにして見た。


やはり、少年時代の面影を残している。ガタイは大きくなったが、顔立ちは一気に老けるでもなく、年齢を言われなければ正直自分よりも年下に見えなくもない。

寝顔ですら、美しい。美しさを構成する色素の薄い髪も、白い肌も、長いまつ毛や色の良い唇も、シャープな輪郭や整った鼻筋も全部。

……全て、種族の違いを強く感じさせられるようで、バネッサには恐れ多かった。

治らない傷がつけば、死も同然。触れるのすら躊躇される。人間よりは魔力素のおかげで修復率も高めというが、それでも自分が触れておかしなことになりはしないか、とバネッサは昔から慎重だった。

だから、石を投げられるくらい、遠巻きに見られるくらいでちょうどよかったのかもしれない。


くぅ、とお腹がなり、バネッサはキッチンへと体の方向を変えた。

するとバネッサの羽織っていた黒いローブをぐんと引っ張られた。

「寝込みを襲うのかと待ってたのに」

寝起きのまだ目が開ききっていない顔で、冗談めかして笑うクラウスに、バネッサは眉間に皺を寄せた。

「なぜ私がそんなことをすると?」

「ん? だって俺の顔に見惚れてたんじゃないの? 人間って俺たちみたいな顔が好きなんだろう?」

「私以外の人間に会ったことがあるのかい?」

「ああ、行商人の一行と……隣村と境の山間で人を助けた時と、あと一度だけ首都に行った時。みんな最初は見惚れて、そのあとはもう目を逸らさないで触れてこようとしてたな」

「そうだね、そういう対象なんだろうよ君たちは」

まだバネッサのローブをつまんでいるクラウスの指を解き、スタスタとキッチンの方へ歩き出した。

クラウスは体を起こしてソファに腰掛ける形になると、一度全身を伸ばして凝りをほぐす。

そういえば暗いなと思ったバネッサは、棚に置いていた蝋燭を取り出してテーブルの燭台に3本乗せると、炎魔法で灯した。

「暗いならこっちの方が良くないか?」

とクラウスが言うと、彼はソファの上のクッションから抜け落ちたのだろう糸を3本拾い、それぞれを輪の形にして放り投げたらそこに魔法を唱えた。すると、その輪を中心に光が灯るようにしてふわふわと浮き上がって部屋の中を照らした。

「バネッサは夜に活動しないのか? 蝋燭の火では原始的すぎるだろう」

「……するにしても、地下でしか作業はしないから、夜にここを使うことはないんだよ」

「そうだったんだ」

クラウスは何かを思い出すようにぼんやりとした目をした。

キッチンを漁るバネッサは、棚や保冷室を開けて見るものも、食べられそうなものは何一つないので結局浄化魔法をかけて掃除するだけで終わった。

一口くらいは何かを口にしなければ、眠ったとしても魔力の回復は見込めない。それならばとバネッサは外に出ようと玄関扉に向かう。

「バネッサ、どこ行くんだ?」

扉を開けようとしたバネッサの手に重ねるようにしてクラウスが行動を止めた。

「森にあるキノコか果実を取りに行こうと」

「食材が欲しいのか? じゃあ俺の持ってるパンはどうだ」

「なんだ、持っていたんなら最初から聞けばよかった。一口もらえるだろうか」

「いいよ」

クラウスの腰に巻いてあるポーチから、小さなかけらが取り出される。

なんだそれは?と聞こうとした瞬間に、クラウスがふっと息を吹きかけると、両手に収まるくらいの丸いパンに膨れ上がった。

「はい」

と渡されると、まるで出来立てのように温かい。バネッサは出来立てのパンを初めて手にしたのでその温度を手のひらで堪能した後に、一口かぶりついた。

「美味しい……」

温度が違うだけでこんなにも質が変わるのかと考えてしまう。

「せっかくなら座らないか?」

クラウスはパンに夢中になっているバネッサの背中を押して、テーブルの方へ誘導した。

魔法で椅子をひかせ、バネッサがそのまま座れば、クラウスはバネッサの正面に位置して、踏み台を椅子がわりにして座った。

「君……器用に魔法を使うようになったんだね」

「20年経っているんだからそりゃあな。でも、バネッサレベルの大魔法は使いたくてもまだまだ知識が足りないみたいだ」

「教えてくれる人はいなかったのかい?」

「あなたほどのせんせいは他に現れなかった。騎士になるためには魔法だけを勉強するわけにもいかなかったし」

クラウスたちの種族であれば、バネッサと違って魔力量も多いはずだった。体全てが魔力素の塊だからだ。

けれどたしかに、持っている財が多くともどう使えばいいのかわからなければ宝の持ち腐れというもの、教えてくれる人がいなかったのなら、新しい使い道に気づくこともない。

それにしたってクラウスは自分が教えなかった魔法の応用をさらりとやってのけるものだから、バネッサは感心したものだった。


「さて、パンのお礼に質問に答えてもらおうかな」

もぐもぐと咀嚼し続けるバネッサを指差してクラウスが言う。

何を言い出すのかとバネッサはクラウスの目をじっと見る。クラウスはテーブルの上で両指を組んだ。

「バネッサ、あなたは村の診療所で眠る患者の病気を、魔法を使って完治させた。それで倒れたんだ。覚えているか?」

バネッサは少し首を傾げるが、魔法を使ったところまでは覚えているのでとりあえず頷いた。

「あの魔法はなんなんだ? 俺でも覚えられるのか?」

「……君たちの言う『砂病』に特攻するものではないよ。その病の根源を消滅させる魔法ではあるけれど、私も初めて人に使ったからまさか成功するとは思わなかった。君が使えるかどうかに関してはわからない」

「……」

バネッサの使った魔法は、時渡り前に編み出した、呪いの根源を自分の血で組んだ魔法を使って消滅させるもの。

自分の血を使うことからクラウスが真似たとしても使いこなせるかどうかは確証がない。

(もしかしたら、血を使いすぎて貧血で倒れた…?)

いつもと違って人に対してだったから、無意識に量を使っていたのかもしれない。


「バネッサは砂病の正体を半分知っていると言っていたな。俺がわからないのは、なぜあなたがここまで頑張っているのかということだ」

「ただ治したいだけだよ」

「村の人間に迫害されていても?」

「そう」

「そこまで村の人間を愛する理由は?」

「別に愛してなんていないよ」

「それじゃああなたを突き動かす感情は一体なんなんだ」


償い

そう言えば、クラウスだったら絶対に「なんの?」と尋ねるだろうと思ってバネッサは口を閉ざした。

その様子にクラウスは目ざとく気づき、食べ終わったバネッサの手を取った。


「何を…」

「全てを教えてくれバネッサ。俺が村の協力者になる」


魔法を教えてくれと言ってきた少年クラウスと同じ眼差しで言う。


「どうか俺を信じて全てを打ち明けてはくれないか」


村人に、境遇を打ち明けてはいけない。

しかし村長は死に、村に協力者はいない。

バネッサは悩んだ。

この世界はもう、バネッサの知る世界が過去のものとなっている。バネッサを理解し受け入れてくれているのは、目の前のクラウスだけだった。

バネッサはため息を吐いた。


「わかった」


誰かに頼りたい気持ちが芽生えたのかもしれない。

バネッサはクラウスに打ち明けることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法に失敗した魔女は時を渡る 巻鏡ほほろ @makiganehohoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ