06 魔女は村に向かう。

血液を保存した瓶を再び棚にしまい、棚に鍵魔法をかける。またここに戻った際に、地下に置きに行こうと考えた。


「それで、なんで俺の仕事を聞いた? 騎士だと何か都合が悪いのか?」

「いや、むしろ好都合だと思ったよ」


騎士は魔獣退治を主とするため、当然危険が伴う仕事。傷が残れば死も同然な混血エルフの末裔からすれば、最も避けたい仕事である。しかし同時にその他大勢を傷から守ってくれる尊い仕事だ。だから無傷で生き残った騎士には村一番の賞賛と報酬が与えられている。自分の命をかけた博打な職業とも言える。

騎士になるには高い身体能力と一定ライン以上の魔法操作能力を求められた。傷が残らないよう、身の危険が及んだときに自分を守護するために魔法を使わなくてはいけないからだ。

つまり、エリートにしかなれない職でもある。

クラウスは7歳の頃からバネッサを師として高度な魔法を覚えていたのだから、きっと他の人よりも魔力の扱いは頭ひとつ抜けていたのだろう。あとは実践訓練を積み、磨き上げた身体能力で試験を突破し、騎士となった。

こうして健在なことから、クラウスはかなり強い騎士なのだということが窺えた。


「今日、早速村の様子を見に行きたい。夜に私を周りにバレないように連れて行って、またここに戻してほしい」

「なんで戻る必要がある? 夜は危険なんだからそのままうちに泊まればいいだろ」

「いや、なんでわざわざ夜に行くのかわからないのかい? 周りに私の存在を隠すためだよ。朝までいたんじゃ意味がない」

呆れてバネッサもため息混じりに言う。

「それに……未婚の男がこんな人間を泊めるなんて言うんじゃない」

「……俺のことを意識してる? してないとそんなこと言わないよな?」

「君のためを思って言っているんだよ! 騎士なんて早く結婚して子孫を残すべきだ。それなのに婿の貰い手を無くすような行動を取ろうとするんじゃない!」

そもそも、君たちは絶滅危惧種なんだから、という言葉は飲み込んだ。

これはトップシークレットだから。

クラウスはバネッサの言葉に対してつまらなさそうに唇を尖らせた。

「なんだいその顔は」

「別に」

バネッサにはクラウスの考えはわからない。もう色々と考察するのをやめ、後日の研究でクラウスについて考える時間を設けようと放り出した。


「とにかく、引き受けるのか、受けないのか。君が嫌だと言うなら、私は一人でこっそり向かうことにするから他の村人に公言することだけはやめてね」

「いや、いいよ。わかった。その任務を引き受けよう」


降参だ、と言うように、クラウスが両手を上げた。

ひとまず協力関係が成立したので、バネッサはフンと鼻を鳴らして、夜になるまで部屋の様子でも再確認しようと歩き始めた。

バネッサの行動に雛鳥のようにクラウスが付いてくるのが鬱陶しかったが、どうせ言い訳をして止めないので放っておくことにした。

太陽はもうすぐ沈む。窓からオレンジの光が差し込みつつあった。



***



バネッサは使い古しの黒いローブを箪笥から引き出し体に巻きつけた。20年しまいっぱなしだったせいでところどころ虫食い穴が空いている。

部屋の様子を見るに、日用品全部買い替えないといけないかもしれない…と考えたらまた気が重くなってため息が出る。

「待たせたね。それじゃあ行こうか」

「バネッサ、そっちじゃない。こっちだ」

「え?」

バネッサがいつも村に向かうには家から出て右の小道を使っていた。

けれどクラウスは反対の茂みを指さしている。

「バレずに向かいたいんだろう? 俺が使っていた道を案内するよ」


いつもの道がどんどん遠ざかっていく。別の村に向かっているのでは?と思わされる順路だ。

道とは言えないただの雑木の合間をクラウスが迷いなく進み、余計な枝葉を避けてくれるのでバネッサはその後をスイスイと歩けた。

「村の人にバレないように来なきゃいけなかったからね。21年前から俺はここを使っているんだよ」

「なるほどね」

よくもまあ傷をつけずにここを通ることができたものだとバネッサは感心した。

次第に、薄ぼんやりとした光を捉える。村の光だ。


クラウスの住む村は村と言いつつ面積は大きく、整備されている。白い壁と三角錐の屋根が特徴的でおとぎ話に出てきそうな外観をしている。村人が混血エルフの末裔で美しいこともあって、ごくたまにその景観見たさに人間が訪れることもあるが、水雨量の少ないこの場所はどの街からも隔絶されており、さらには魔獣が村を取り囲むように生息しているため、訪れること自体が困難である。

たどり着いて美しい光景を天国と勘違いしたまま力尽きる。そんな伝承、あるいは事実が遠い地方では語り継がれている、まさにおとぎの国そのものでもある。

村の中に住めないバネッサが周辺の村に住み着こうにも、距離があったため結局森の中に家を建てるしかなかったのはそういった立地も理由にあった。


遠くから、村の景色をぼんやりと眺める。起伏のある場所に家々が並ぶので、見上げるようにしてバネッサは考えていた。

———活気が減ったな……

人口が半分になったのだとクラウスが言っていたのは事実なのだと目の当たりにした。


「バネッサ、このまま林を抜ければ村の地下道と交わる」

「地下道? そんなものがあったのか」

「何かあった時の脱出用に作られているんだよ。かつての大混乱ではここを使って生き延びた人もいたって話がある」

「あぁ………」


バネッサにとっては10年前、クラウスにとっては31年前の出来事のこと言っているのだろう。

31年前……。バネッサはまだ25歳。クラウスは28歳。自分が生まれる前の出来事なんて物語も同然だ。その頃に起きた奇病の蔓延なんて実感がない恐怖話でしかないだろうに、今この村の人たちは再び現実としてその脅威と向き合っている。

救わなければならない。

今度こそ完全に。


地下道を抜けて、人気のない場所に建てられた小さな小屋から二人は出てきた。

なるほど、一見普通の見窄らしい物置のような石造りの小屋が出入り口の役割をしているのか。

「この道覚えておくよ」

「出入りする時は慎重にな。ていうか、バネッサって今まで正直に入り口から入ってきてたのか?」

「そうだけど」

「……門番兵が止めたりはしなかったんだ」

「村長がそれとなく口聞きしてくれていたからね。……そうか、もう入り口から入ることはできないだろうね」

「今の村長に話をしにいくのは?」

「村の様子や私の評判次第かな。どうやら、20年前よりも魔女の評判は悪いみたいだし」


誰かには伝えておかなければならない。この村がどういった危機に晒されているのか。それを自分がどう対処するつもりなのかも。


建物の陰に隠れつつ、クラウスの案内の元村のまじない師の住処まで向かう。奇病患者は呪い師の持つ建物の離れに隔離されているからだ。

その道中、クラウスはたびたびバネッサに話しかけた。


「で、あなたがこの村を救うと言っていたけれど、具体的には何をするんだ? ほぼ確定で砂病のことだろうとは俺も思っているんだが」

「………」

わかっているなら聞くなという視線を向けるとクラウスが小さく笑う。

「バネッサはあの病気の正体を知っているんだな?」

「……正体、については、半々というところかな」

「やはり知っているのか」

「その病を根絶するために研究してきたからね」

病に悩まされている現状なら隠すことでもないだろうとバネッサは打ち明けた。

「なあ、そのことなんだが俺に…………あ、そろそろ着く」

何かを言いかけるが、目的地を視野にとらえたクラウスの言葉に、二人はよりいっそう慎重に歩みを進めた。


建物の中では遅い時間だというのに未だ慌てて活動している人の気配がする。カーテンの隙間をこっそりと覗いて、バネッサは部屋を観察した。

熱に浮かされて苦しむ人々。どうやらこの部屋は初期症状にうなされている人用らしい。

目を凝らし、魔力素の動きを視る。

うなされる人の指や足の先に呪いの気配を感じる。真っ先に砂になっていく場所に集結しているらしい。その部分を起点に、彼らの持つ魔力素に何らかの作用をして、苦しめて、いずれ活動を終えたら石となり、砕けて砂になるのだろう。


「魔力素が見えるならあるいは……」


バネッサは独り言を呟いた。窓に手を触れる。何をするのかとクラウスが声をかけようとしたら、意外にも窓が開いたので隙間が生まれた。

「バレるぞ」

「ちょっとだけだ」

ほんの指一本分が入るほどの隙間で、バネッサが人差し指を窓のサッシに置く。

看病している村人がちょうど部屋を出て水を変えに行ったその隙に、窓に一番近い患者目掛けて、バネッサは魔法をかけた。

それは時間を渡る前に編み出した、呪いを消滅させる魔法だった。


『我が血よ、呪いを祓いたまえ。マナの主はバネッサ・ノーム。連なり、結び、崩れ落ちよ』


指先に、熱がこもる。一瞬、貧血のような眩暈が起きる。

赤い光がバネッサの指から患者の手に一瞬で移動すると、患者の手先が青く光った。

クラウスとバネッサはその光を凝視する。


「う、ううう、ア……」


ただ呼吸を浅くしていた患者は、喉から振り絞るように苦しい声を出した。

部屋に入ってきた看病人が、慌てて患者の元に走り寄る。

バネッサとクラウスは壁に張り付くようにして身を隠し、聞き耳を立てた。


「苦しいのですか!? ああ、また、何もできない…!」

「うう、う、ぐ………あ、熱い」

「熱い? どこがですか?」

「手が、ああ、あっ手だけじゃない、胸、ううっ背中、あたま、ああ、ああああっ」


看病人も恐ろしくなってつい後ずさってしまう。

より大きな声をあげてビクンと体をしならせた患者は、その後は沈黙した。


「……え? こんなの、知らない……今までは、眠るように石になってたのに………」


看病人が恐る恐る患者に触れる。そしてまだ柔らかい感覚に驚いて素早く手を引っ込める。

すると患者は、ゆっくり目を開け、あろうことか体を起こした。看病人が目と口を開けて思わず尻もちをつく。


「あ、れ………? 治った……?」


外で身をひそめるバネッサは安堵し、クラウスは驚いてバネッサを見た。

「さっきのは魔法か? 治した、のか…?」

「よかった。うまく行った、ようで………」


バネッサの目が虚になり、膝から崩れ落ちる。

クラウスが慌てて抱き止めると、バネッサの血の気がひいていた。

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