番外編 愛を教えるのは
声をかけてきたのは、意外にもアルベルト・シェリンガムだった。いつも私に声をかけてくるときは苦々しい顔つきなのだが、今日は珍しく眉間に皺もなくただただ真面目そうな表情だ。
彼の父親であるシェリンガム侯爵は、宣言通りアッカーソン辺境伯の首を取って来た。それでなんとか侯爵の地位は首の皮一枚つながったのだ。
ただ、一度見捨てられたに等しいアルベルトと父である侯爵との関係は修復不可能となった。口もきかないというウワサだ。
家族の絆や愛なんてこんなものだ。菓子より脆い。
「どうかしました? アルベルト様」
務めて冷静に、アルベルトに質問する。
彼はシェリンガムと呼ばれるのをあれ以来嫌うので、親しいわけでもないのに名前で呼んでいる。もう王女の直属部隊もないので副隊長でもない。現時点で彼は騎士団の一つを任されているから、強いて呼ぶなら団長か。
それにしても以前はネズミかゴキブリ扱いをしておいて、今になって王配殿下となぜ呼んでくるのだろうか。今更媚びてくるタイプではないはずだ。
「あれは愛人狙いの他国の王族です。女王になると王配以外に愛人を置くことも認められていますから。王配殿下は割って入りに行かないのですか」
アルベルトは苦々しい表情で、女王のいる方向を視線で示す。
あぁ、私が王族について知らないとでも思ったのだろうか。
変なところで潔癖で律儀な男だ。私が知らないならフェアではないと教えに来て、焚きつけにきたわけでも嫌味を言いに来たわけでもない。私は彼の指を二本折ったのに。
だからこそ、陛下もこの男を側に置いていたのか。
「そのようなことは存じています。そもそも、王配以外に複数の夫を娶るのが政権の安定には一番の近道でしょう。国王だってそれをするのですから」
そう答えると、アルベルトは信じられないものでも見たような表情をする。ネズミかゴキブリに向ける視線の方が慣れていてマシだ。孤児とはそういうものだから。
給仕を呼んで、アルベルトに何とはなしに飲み物を勧めた。
ここまでの準備も抜かりなくやったのだ。会長は他のところで飲んでいるのだろうが、目の前のこの男にも楽しむ権利はある。
家族と王女の間で板挟みになったのが仇となって、一番大切な場面で監禁されたこの男。
もっと早く決断していれば良かったのだ。家族を取るのか、過ごすうちに魅了されてしまったフレイヤ王女を取るのか。この男はバカげた妄想の家族愛に振り回されて失敗した。
飲み物を手にして、壁にもたれたアルベルトはやがて口を開く。
「あなたはいつも殿下、いや陛下の先回りをした。陛下の心に寄り添って陛下を依存させて周囲から孤立させる詐欺師なんだと思っていた」
「そんな陳腐な詐欺師の手法をあの方に使う訳がないではないですか。あの方が私ごときに依存するとでも?」
「確かに。これは陛下をも侮辱する言葉だった。それに、俺は頭が足らないから正直王配殿下のことが羨ましかったんです」
あの人は他人に依存なんてしない。
私が勝手に力になりたいと思っただけ。フレイヤ王女が、都合の良い奴隷のように父親と兄に使われているのが許せなかった。
「ずっと疑問なのですが、ミトラ地方のことをなぜ陛下に言わなかったのでしょうか。王配殿下は情報を持っていたはずでしょう」
情報がいつも正しいわけではない。
ホロックスの買い込んだ爆薬、魔物の被害が出ていないのに派遣された王女とその直属部隊、王女に負の感情を抱く辺境伯と国王・王太子。
それらの点と点を結んでいけばたどり着く結論。それなのに、美しい計算は愛に邪魔されることがある。
「私は伝えました。魔物の被害はないと。あなたこそ、陛下に早く伝えたら良かったのに。実家からスパイとして派遣されていますと。偽の情報を流しますからご指示を、とか」
「家族を裏切れませんでした。まぁ、あっちは兄貴を取って俺を切り捨てたわけですけれども。おかげで俺は立派な死にぞこない、中途半端なクソ野郎です」
彼も父に切り捨てられて心境の変化があったからこそ、私に敬語を使うのだろうか。
家族愛なんて馬鹿馬鹿しい。血がつながっただけの他人でしかない。
視線を上げると、女王が今度は他の男と話していた。
「あれは我が国のホランド公爵家の次男です」
「次男ならば愛人に出すのにちょうどいいでしょう。ホランド公爵家は筆頭公爵家で金もありますね」
「王配の座だって狙ってくるはずですよ」
女王が誰かを探す素振りを見せたので、壁から離れる。
「陛下がお呼びなので」
アルベルトはさすがと呟きながら肩をすくめた。
私は公爵家の次男だという男とアルベルトを交互に見比べる。アルベルトは不思議そうな視線を向けてきた。
「陛下のところに行かないのですか?」
「いえ、あなたを殺しておいた方が良かったと今更考えました」
「は?」
アルベルトの困惑の声を浴びながら、すぐに女王のところへ向かった。
公爵家の次男は取るに足らない。
ただ、アルベルトは女王と同じで家族に裏切られた。周囲には、女王に危険を知らせようとして監禁され拷問されても屈しなかったと思われている。そういう情報操作をしているから、彼が長男・次男を飛ばして次期シェリンガム侯爵最有力候補になったのだ。女王の味方は多い方がいい。
彼は自分のことを中途半端なクソ野郎と言った。同意だが、周囲から見れば彼が最も愛人にするのにちょうどいい男だろう。推薦だってあるはずだ。
直属の部隊にいて腕が立つ副隊長だった男で、侯爵家出身。王配ではないなら侯爵位を継いでも愛人は務まる。
後悔があるから、次こそは陛下のために命を懸けるだろう。嫌なことに、条件をすべて満たしている。やっぱり、彼を衰弱にみせかけて殺しておけば良かった。
彼はその忌々しい板挟みの愛によって、女王と同じ景色を少しでも垣間見ることになるだろう。
そんなことを考えてしまって、一体彼を愛人にすることの何が悪いのかと思い直す。彼なら手のひらで転がしやすいし、弱みも握っているし、手に入れた王配の座が揺らぐこともない。
女王に近付くと、彼女は公爵家の次男をさっさと躱して腕を取った。
「ジスラン、外の空気を吸いに行きたい」
「承知しました」
女王をエスコートしながら、ちらりとどこぞの公爵家の次男に視線を移す。実家に権力があるだけの顔しか取り柄のない男。
戦場では戦わなかった者たち。これからはこんな男たちが女王の周囲に侍るようになるのか。
女王をバルコニーに連れて行く。
パーティーで退屈だったのか、彼女は大きく伸びをするとドレスなのにバルコニーの手すり部分にひょいと座った。タイトだが裾は広がっているドレスが、ひらひらと誘うように揺らめいている。
「危ないですよ」
「そなたは父親のようなことを言う。そなたが支えればいい」
手を伸ばしてくる彼女に近付いて、落ちないように腰を抱くと彼女の両手は私の首の後ろに回った。
「他にもあなたを支える男を迎えるのですか」
「うん?」
会長とアルベルトと会話したせいで、思わず呟いてしまった言葉は女王には聞こえなかったようだ。
腹の奥に押し込めたはずの気分の悪さが後悔とともに上がってきた。
やはり、彼女に近づきすぎてしまった。
単なる武器商人でいれば、この気分の悪さを感じなかったはずなのに。この気分の悪さの味を私は知らない。だが、他人に置き換えたらすぐに理解できる。
これは嫉妬だ。
この世で最も醜く嫌悪されるもの。愛と同じくらい理解できないもの。
彼女の紫の目に見つめられながら、私はその気分の悪さをひたすら味わっていた。
「元国王と元王太子殿下はどうされますか?」
「別々の塔に幽閉する」
女王となった彼女は、そう言いながら私の胸に顔を埋めた。
息が一瞬止まりそうになる。
あなたのためなら地獄に行っても構わないと思っていたのに、この状況は私に都合が良すぎた。彼女が周囲に向ける救いを、彼女自身にも向けて欲しかった。ただ、それだけだった。彼女は彼女自身の救世主意識でボロボロだったから。そんな彼女を救いたかった。
「私が、あなたを愛していると言ったらおかしいですか」
きっと笑われる。だって、彼女は私の能力を買っているのだから。孤児ならではの観察眼と先回り能力、そして武器商人の地位。それらの能力で同じ景色をみることができると判断されたのだろう。それか孤児出身の武器商人が物珍しいから。
「知っている」
胸のあたりで彼女の声がした。
「ジスランが私を愛していることは知っている」
私は愛を知らないのに、どうしてこれが愛だと彼女は言うのだろうか。
混乱していると、やっと顔を放して彼女が私を覗き込む。
「私がどれだけ視線を浴びて生きてきたと思っている。尊敬・嫉妬・羨望・悲しみ・憎悪。その全てだ。そなたほど熱く、苦し気に私を見た者はいなかった。憎悪でも何でもない。それに私に許しをくれる者もジスランが初めてだ。そなたは紛れもなく私と同じ志で同じ景色が見れる」
私はあなたの力になりたかった。あなたを救いたかった。影でもなんでもいいから。私が死んでもいいから。
他人がいくら死んだとしても、あなたには生きていて欲しかった。苦し気な表情ではなく、幸せそうな表情を浮かべて欲しかった。
彼女に依存していたのは、私だった。
彼女の腰から手を放して、彼女の前に跪く。
白い彼女の右足を軽く持ち上げて、足の甲にキスを落とした。
「ジスラン?」
「私の女王陛下。私に愛を教えてください」
「そなたはもう持っているではないか。私だけに向けているそれだ」
私を見下ろす紫の目は面白がるように細められた。
足の甲にキスしたにも関わらず、彼女は恥ずかしがりもしない。戦場にいすぎて何かいろいろと狂っているのではないか。
いや、それは私も同じか。孤児だからよく分からない。
彼女に引っ張り上げられて、立ち上がる。再び彼女の両手が首の後ろに回った。
「私の武器商人」
彼女の声が柔らかく耳をくすぐる。九年前のような苦し気な声ではない。
彼女は平民や騎士たちには殊更優しいが、家臣を前にすると苛烈だ。それは謁見の間でシェリンガム侯爵に対しての態度に見た。
「明日死ぬとしても、私と一緒に生きていくように」
女王は私を引き寄せて唇にキスをした。
単純なことに、たったそれだけで先ほどまでの気分の悪さはどこかへ行ってしまった。それどころか頭の片隅のどこかがじんじんと熱を持っている。
「そして足の甲ではなく、私の唯一の夫ならここにするように」
彼女の額に自身の額を合わせる。先ほどの言葉を彼女はきちんと聞き取っていたらしい。
紫の目が至近距離にある。そして私が贈った翡翠のイヤリング同士がこすれた。
その音を合図にどちらともなく口付ける。
お互いの息が上がり始めた頃にやっと冷静になった。パーティー会場からバルコニーに出て、時間が経ちすぎている。
「戻りますか?」
「部屋に行こう」
「しかし……」
「文句がある貴族は足を撃てばいい」
「それでは暴君女王と呼ばれてしまうでしょうね」
「もう挨拶は終わった。あとは愛人の斡旋しかないのだから。私が背を預けられない弱い男など必要ないのに」
その言葉に笑いながら、彼女を抱き上げた。
「愛しています。九年前に最初にお会いした時からずっと。私の女王陛下」
私はあなたの影になりたい~軍人王女の武器商人~ 頼爾 @Raiji
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