番外編 家族は血のつながった他人
「まさか王配になるとはな。ったく、うちの後継者は誰にすればいいんだか」
「実子に譲ればいいでしょう」
煌びやかな城の結婚披露パーティーで、ギルモア商会の会長で養父であるクレメンス・ギルモアはその顔面の怖さから異様な威圧感を放っていた。そのおかげで、アッカーソンではない方の辺境伯と仲良くなっていたのは良かったと言っていいのだろうか。
「どれにだよ」
「私はルーデウスを推薦します」
「あいつは男なのにドレスにしか興味ねぇじゃねえか」
「そんなことはないでしょう。以前城に忍び込むドレス調達のために陛下に会わせたら軍服にも興味を持ち始めましたし、男性ものの礼服も陛下に似合いそうだと開発を始めました。陛下の美しさを知って目覚めたばかりです」
「悪化してるじゃねぇか。うちはフレイヤ女王陛下専属の仕立て屋じゃねぇんだよ。陛下の結婚披露のドレスまで依頼しやがって。おかげであいつは今人生で一番調子に乗ってる」
「良いではないですか。うちではノウハウがないことも、他の商会とも手分けして陛下のドレスを仕上げたんですから。その手腕はギルモア商会の後継者としてふさわしいのではないですか」
「ちっ。お前が全部お膳立てしたくせにな。あいつにはそんなこと思いつく頭はあっても、実際の交渉まではできねぇよ」
喋っている会長の威圧感で、王配になった私の側には誰も寄ってこない。
「大体、あいつはトップなんて向いてねぇ。トップに向いてるのはジスラン、お前みたいなやつだ」
会長のグラスの中身の減りを見て、すぐに給仕に合図をした私に向かって小指をピンと立ててくる。
「人の顔色ばっかり読みやがる」
「孤児院では当たり前のことでしたから」
「顔色が読めても、その後それに沿うような行動ができるのは一握りだ」
「お褒めに預かり光栄です。しかし、すべて会長と会長夫人に叩き込まれた教育のおかげでしょう」
商売のすべては会長から、マナーやらダンスやらは会長夫人が教えてくれた。その他はいろんな商会の人間や出入りする傭兵たちからだ。
「バカか、お前は。それなら俺の子供たち全員が優秀じゃなきゃおかしいだろうが。誰がお前みたいに暗器の訓練までやるんだよ」
「武器商人になるのですから、武器くらい使えないといけません。どうにも長剣は苦手ですが」
「お前がどんどん吸収するから調子に乗って教えまくった俺や他の奴らだって悪いけどな」
「今日の酒は会長がお好きなものをたくさん用意しました。たくさん飲んでいただいて大丈夫ですよ」
急に会長に凝視されたので、珍しくもう酔ったのだろうかと思いながらも確認のために彼が大好きな酒を促す。まさか、私の前で酔った演技などしないだろう。そういう駆け引きも商人にはある。
「いや、お前が本当に立派になったなと思ってな」
「会長と会長夫人の教育の賜物です」
「いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってた。まさか本当に王配になるとは」
本当に酔ったのだろうか、会長は。同じ話を何度もするのが嫌いであるはずなのに、最初の話に戻っている。
「私は王配を目指していたわけではありません。ただ殿下のお力になりたかっただけです」
本音を言っているのに、会長は鼻で笑った。
「お前は冷静で常に先を読んで行動できるし頭も大層切れるが、今のセリフに関してだけはお前は自分のことをまるで分かってない」
「どこがでしょうか」
「俺は、ガリガリなのに目だけ異様にギラギラさせたお前がうちの商会に来た時に将来を嗅ぎ分けたんだよ。あぁ、こいつは俺の実子たちや側近よりも大物になるって。そうしたら王女殿下のために働きたい、だと。来るところを間違えてるのかと思ったぜ」
突然始まった九年前の思い出話にただただ困惑した。
「王配になりたいわけじゃなかったって? あんな目をしておいて? お前な、どうでもいい女のために命懸けるバカがどこにいる。お前は俺に会った時から王女殿下を愛していたんだよ。商談の時のお前だって見ていられなかったぜ。あんな熱い目で王女殿下のこと見ておいてまぁよく言えるもんだ。冷酷なお前にしては王女殿下には甘いしな」
「尊敬する方を見るならそうなるのではないですか」
愛? 愛なんて不確かで、最も信じられない感情だ。
それでいて最も理性的にはじき出した計算を阻害するのもまた、誰かの愛だった。なぜそんなことをするのか、私には理解できたことがない。
エジルを通じて、私は王女殿下に警告した。ミトラ地方に魔物の被害はないと。それで、彼女が私を信じてくれれば良かったのに、彼女は家族と辺境伯を信じた。だから彼女は他の部下を失ったのだ。
王女自身でも、部下でもなく家族を信じたから。家族が嘘を言うはずがないと盲目的に信じていたから。
フレイヤ王女殿下だって愛していたから家族の裏切りにあれほど傷ついた。愛してなんかいなければ傷つく必要もなかったのに。
私の周りに愛などなかった。もしもこの世界に愛があったならば、親に捨てられず、外国に売られそうになることもなかったはずだ。
だから愛などと言われてもピンとこない。
「お前、想像してみろ。女王は愛人を置けるんだぞ」
「そうですね」
「耐えられるのか、お前。女王陛下が他の男と過ごしても」
「会長は会長夫人がそうしたら許さないでしょうけれども」
「当たり前だ。男は必ず殺す」
物騒な顔と同様に物騒なことを言っている会長から、会場の前方にいる女王となった彼女に視線を移す。明日死ぬなら私と同じ景色を見ていたいと言ってくれた彼女を。
白いタイトな動きやすいドレスは会長の実子であるルーデウスがデザインしたものだ。私は会長の実子の中で彼と一番仲がいい。
軍服で動き慣れている女王のために流行りを完全に無視して作ったものだ。恐らく、今度からはあれが流行るだろう。ただ、あれはスタイルの良い彼女のためにあるようなドレスだ。貴婦人たちはあのドレスを着るために体を絞らなければならない。
そして、彼女の耳には翡翠のイヤリングが光る。この国では翡翠は珍しく、私自身がつけているものも偶然手に入ったものだ。女王はいつもこのイヤリングに戯れるように触れるので、この前やっと手に入れて贈ったのだ。
ちょうど、女王は他国からの来賓と話しているようだった。その来賓は熱心に若い男を会話の随所で女王の前に押し出そうとしている。愛人候補か、それとも私が平民出身だから王配の座を奪えると舐めているのか。
胃もたれするものを食べたわけではないのに、訳もなく胃のあたりが重くなった。
おかしい。他人を引きずり落とす計算ならこんな風にはならないはずだ。それなのに、なぜ私は女王が他の男と話しているだけでこんなに気分が悪いのか。
私が彼女のものであるだけで、彼女は私のものではない。彼女は私の光で、神や太陽に等しい女性なのに。
「その男が陛下のために命を懸ける者ならば、何の問題もありません」
気分の悪さを腹の奥に落とし込んでそう答える。
「まったく。お前、そっちは本当に駄目だな。これじゃあ俺も引退なんてしばらくできねぇよ。いいか、一人の女も愛せない奴はどんなに頑張ったってトップにはなれねぇ」
さっきと言っていることが違うではないか。
グラスの中身を飲み干すと、会長は追加は要らないと手で示した。
「俺は良い男だが、良い父親じゃなかったからな。子供ができても、父親とは何たるかだけは俺以外に聞けよ」
自分で言うのか、なんてツッコミはこの人にしても意味がない。
「会長は、最高の商人で最高のボスです。そして、今まで見た中で最高の大人です」
「これだからお前は嫌なんだよ。そこはせめて、最高の父親ですって言う所だ。いつまで経っても会長としか呼ばないしな」
そこが可愛くないんだよ、とぼやきつつ会長は手を振って離れていく。
彼を万が一にでも父と呼べたら、どんなに良かっただろう。
ただ、彼の実子が何人もギルモア商会で働いていたのでそれはできなかった。実子と彼の関係を徹底的に損ねるわけにいかなかったから。
孤児で家族のいなかった自分でも分かる。後から入って来て養子になった者が、後継者の座も父の視線も独占するなんて許されない。
だから、私は選んだ。どうしても譲れない一方を。王女を支えるために必要なのは父親ではなく、商会の後継者という身分だったから。
愛なんて簡単に変わる。切り捨てられる。そんなものは信用できない。
「王配殿下」
会長の広い背中を見送っていると、そう声がかかった。
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