第16話 軍人王女の武器商人

「もしもあなたが死ぬなら、私はあなたを許さない」


 普段は胡散臭い笑みを浮かべる警戒しなければならないほど賢い男の言葉は、心臓のすぐ近くに届いたかのようだった。


 言葉もだが、ひと際目を引くのはジスランの表情だ。

 どうしてそんなに苦し気な表情をしているのか。許さないと言うのなら、もっと憎悪に燃えた色を目に宿してくれなければ。なぜお前は傷ついたような表情をしているのか。


 今日一日、背中を無意識に預けていた男の顔に手を伸ばした。

 私の行動の邪魔になることは一切せず、初めて一緒に戦ったのに連携を完璧に取った男。途中で何度も疑ったが、まさに私の影のような存在だった。


 彼の翡翠のイヤリングに指が掠めた。しゃらしゃらと揺れるそれをぼんやり眺める。


 まだ私は長い長い悪夢の中にいるようだ。力が覚醒してからずっと。

 実は私は十二歳の頃にブラックウルフの群れに襲われて死んでいて、これは私の勝手なバカげた幻想の中なのだろうか。


 そう考えるくらいに、私は誰かを救えないたびに死にたくなった。自分のことはどうでもいいから、他人に生きていて欲しかった。私はよく戦った。そうすることが当たり前になるほどに。


 あぁ、ジスラン。お前も同じなのか。

 お前も私と同じで苦しんでいるのに、私を許すと言ってくれたのか。

 お前みたいに賢い男でも過去の呪いに振り回される。


 お前はベアトリス号から下りた後で普通に生きてくれれば良かったのに。

 武器商人になどならず、真っ当で凡庸な生活を。普通に生きて、普通に結婚して戦場ではないところで病気か老衰で普通に死ぬ。爆薬で吹き飛ばされることも、他国の騎士に撃たれ斬られることも、魔物に食い殺されることもなく。


 お前も私に同じことを思ってくれるだろうか。

 十二の頃から、血なまぐさい世界にいる私に。力があるのだから戦うことを当たり前とされた私に。


 きっとジスランだけは私と同じ世界を、景色を見てくれるだろう。今も見ている。お互いの目の中に。


 この日の記憶は私をこの先もずっと苦しめるだろう。でも、同時にジスランの言葉と表情も思い出す。


 ジスランの視線を感じながら、私はそっと目を閉じた。

 瞼の裏にはやはり犠牲になった部下たちがいた。これまで無表情に私を見つめ続けていたはずの彼らは、今は笑って手を振っていた。



 翌日執務室のソファで目覚めてから、私は好むと好まざるに関わらず動かなくてはいけなかった。


 まず、アッカーソン辺境伯を捕えなければならない。辺境に情報はまだ入っていないだろうが、私が父と兄を牢に入れたことを知れば辺境伯はホロックスと手を組むかもしれない。そうなれば、開戦しなくてもホロックスが攻め込んでくる。そして、私の部下たちの死は無駄になる。それだけは許すことはできない。


 どうするか考えていると、明日集まるように告げたにも関わらず私に忠誠を誓ってくる貴族たちが謁見に訪れ始めた。


 私がわざわざ二日後と言ってしまったことがあらぬ憶測を呼んでしまったようだ。二日で調べて徹底的に開戦派の粛清を行うとでも思われたらしい。躊躇なく父と兄の足を撃ち抜いた私の姿がそれに拍車をかけた。


 私が遠征に行った地域の貴族たちや中立派がほとんどだったが、やって来た中にはアルベルトを切り捨てたはずのシェリンガム侯爵もいた。開戦を声高に叫んだ貴族たちも何人かいる。


 私が国境にまた行くわけにはいかない。今、私が城を離れたら国王と兄を支持する貴族たちがすぐに動き出すからだ。


「シェリンガム侯爵は三男アルベルトを切り捨てたのに、本当に私に忠誠を誓うのか」

「はい」

「お前の長男は王太子の側近。お前の忠誠ほど信じがたいものはないな。どうやってその忠誠を目に見える形で私に示すのだ」

「長男の企みは私も全く知りもしませんでした。知っていましたら、わが国の英雄である王女殿下を切り捨てることなど絶対に止めておりました」


 今度は長男を切り捨てるつもりだろうか。あるいは、兄は側近にさえ何も言っていなかったのか。

 真実はどうであれ、ここはシェリンガム侯爵を開戦派の見せしめにしておく必要がある。私を裏切るとこうなる、ということを。


「しかし、こう発言しても忠誠は疑われてしまうでしょう。ですので、私がアッカーソン辺境伯を討ち取ってまいります」


 アッカーソン辺境伯はすぐにでも捕らえた方がいいので正直助かる。誰を行かせようかと思っていたところだった。元から私を支持していた貴族たちを送るのもためらわれた。今はこの王都で早急に基盤を固めたかったから。


「では、シェリンガム侯爵にアッカーソン辺境伯のところまで行ってもらおう。辺境伯の首を私の元に持ってこい」


 居合わせた貴族たちが本当にシェリンガム侯爵を信用するのかという疑惑の視線を投げてくる。礼をしてすぐに踵を返した侯爵の背に私は投げかけた。


「もしお前が裏切ってアッカーソン辺境伯と結託し、ホロックスと組んで攻め込んでくるならば私はお前を容赦しない。これはお前にかける最後の恩情だ。アルベルトが副隊長として務めたことへの恩情と言ってもいい。裏切れば、お前の首を部下の墓にそなえることにする。もちろんアルベルト以外の一族全員一人残らず。お前の溺愛する末の娘も含めて全員だ。ついでにその婚約者の首も添えてやろう」


 思ったよりも冷たい声が出た。私たちのいる謁見の間がシィンと静まり返る。


「それか、ホロックスとは反対の隣国であるゼールフォン王国と組んでホロックスに攻め込んで火の海にする。かの国は王子が何人かいるから王配に迎えると言えば同盟を組みやすい」


 昨日、私は絶望と苦痛の中にいた。

 しかし、ジスランの言葉と部下たちの笑顔を見て決めたのだ。彼らの死を無駄死には決してしないと。私が今死ねば、彼らの死は無駄になる。


 どうせ、私はみっともなく生きていく。必死に戦って命と苦しみを抱えて生きる。明日死んで今日のことが全て無駄になるとしても。


「ちょうど、部下の墓にそなえるのにふさわしい首を探していたところだ。新しい狙撃銃の具合も試したいしな」


 開戦する気などさらさらないが、脅しでは使う。

 シェリンガム侯爵は私を舐めてかかっているのだ。兄と父の泥船から私の船に乗り移ることができると。長男を兄の側近、三男を私の副隊長にしていたのは賢いが私はそういう二枚舌は好かない。


「早く行け。私の気が変わらぬうちに」


 他の貴族たちとも今後をそれぞれ話し合い、謁見の間にはやがて人がいなくなった。

 そのタイミングでやっとジスランを呼びつける。


「ジスラン。そなたにはとても世話になった。褒美は何がいい?」


 彼は私から見て左手側の壁にもたれて、ずっと貴族たちとのやり取りを見守っていた。その姿を私は時折視界に入れていて、あることを思いついたのだ。


「ギルモア商会を今後も大いに贔屓にしていただければ」


 彼は昨日の言葉など忘れたかのように、いつもの胡散臭い笑顔のままだった。


「では、早速商談をしよう」

「すぐに何かご入用ですか?」

「近くへ」


 私はそう言いながら、謁見の間にある玉座に座った。昨日まで父が座っていた最も高い場所だ。


「私のような者はそこへは行けません」

「今は誰もいない。一度ここからの景色を見ておくと良い。濃密な城の見学の一環だ」


 足を偉そうに組んだまま見つめると、やがて観念したのか恐る恐る玉座への階段を上り始めた。

 近衛に魔力銃をぶっ放し、皿まで投げた癖に変なところで律儀だ。彼の狙撃と投擲の腕前は目を見張るものがある。武器商人は狙われることが多いから護身術を身に着けているのも不思議ではないが、彼のは護身術の域を越えているだろう。


 あと数段というところでジスランは笑みを浮かべたまま足を止めた。

 変なところで線引きをする男だ。私の表情をよく読む癖に。


「何をご所望ですか、フレイヤ王女殿下」

「そなたを私のものにしたい」


 玉座に座ったせいか、私の口からその言葉は滑らかに出た。

 初めて彼の顔に困惑が広がり、すぐに消える。


「そのようなことを仰らずとも、私はすでに王女殿下の武器商人です」

「そなたを私の夫にしたい、という意味だ」


 今度は困惑ではなく、目が一瞬細められる。彼はすぐさま頷いた。


「女王になられる方の愛人の一人ということですか。光栄です、卑しい孤児の私を夫の中の一人にしていただけるとは」

「いくら払えばいい? 金庫破りもできて、狙撃も投擲もできる武器商人の夫に」


 私はわざとらしく肩をすくめて聞いた。まるで、彼自身が商品であるかのように。


「光栄なことですので、そのようなものは要りません。商会から商品を購入される場合はもちろん商品代はかかりますけれども」

「そうか。では、遠慮しない。そなたは私の王配になるように」


 彼の表情は今度こそ抜け落ちた。反対に、私は口角を上げる。


「殿下は貴族から王配を迎えるべきです。シェリンガム副隊長だっていらっしゃいますし、ゼールフォン王国の王族から王配を迎える可能性もございます。シェリンガム侯爵がもし裏切ったとしても副隊長を侯爵にすればいいのですし」


 武器商人なのに、まるで大臣のようなことを言う男だ。

 デンゼル病が流行してから、魔法の能力を誇ってきた貴族の立場は大きく揺らいでいるというのに。私の考えでは、先頭に立って戦う者は皆等しく偉大だ。安全地帯から文句を言っている貴族よりもずっとずっと。


「私はまだ、自分を許していない」


 長々と反論する気にならず、端的に告げた。彼の顔からはいつもの胡散臭い笑みが消え去って、翡翠色の目には警戒と困惑が見える。


「私が私を許すまで、そなたは私の側にいてくれるのだろう?」


 私はジスランに向かって手を差し出す。昨日も、私を死の淵から助けたあの時も平気で近付いて来たのに今日はそうしない。


「殿下、私はあなたの影でいられれば良かったのです。王配など、孤児で武器商人の私には……」

「もしも明日死ぬのなら」


 なおも言いつのるジスランの腕を取って引き寄せる。


「私はそなたと同じ景色を見ていたい」


 彼は翡翠色の目を大きく見開いたまま、簡単に玉座に座る私の前まで引っ張られて残りの階段を上って来た。さらに私が引っ張ると、しなやかな筋肉がついているはずの彼の体は簡単に私の体に覆いかぶさる。


「そなたを私のものにする」


 お前だけは私と同じものを背負って、見てくれる。

 戦いの道のみ残された私にずっと知らないうちに寄り添ってくれていた男。


 ジスランの目元を撫でて、翡翠のイヤリングを触り、彼の首の後ろに両手を回した。

 彼はしばらく驚愕で動けなかったようだった。ただ、玉座に座ったままの私が顔を覗き込むとやっと目を狐のように細めて笑った。


「私は九年前からすでにあなたのものです」

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