後編


 あかねさす放課後ではなく、月の光がつつむ時刻。わたしは、自分の座席についていました。

 普段は閉めているカーテンを開けておきます。教室の電灯を点けるわけにはいきませんから、自然採光です。

 ところで、殿村くんは本当に来るのでしょうか?

 呼び出しておきながら来ないのは失礼だとおもいますが、それでも本当に来るのかは甚だ疑問です。

 だって夜ですよ? 時間を考えるべきではありませんかね。


 すると、教室の前扉が開きました。

 現れたのは、殿村くんです。外は肌寒かったのでしょうか、なにか羽織っていらっしゃいます。

 近づいてきますが、まるで足音がしません。

 なんでしょう、特殊技能の持ち主なのでしょうか。

 抜き足差し足忍び足。


「なんと。殿村くんは忍者だったのですか」

「そんなわけないだろ……」


 なにやらアンニュイな雰囲気を見せる殿村くんは、学生服姿でした。時間が時間とはいえ、校舎に立ち入るからには、合致した服装であるべきだということなのでしょうか。

 しかし、その上に羽織っているものが不可思議です。


「では、なぜ狩衣かりぎぬのようなものを着ていらっしゃるのでしょうか?」


 襟元からは黒い学生襟が覗いていますし、下半身も学生ズボンです。その中間に位置するところに、なぜ狩衣的な装束があるのでしょう?

 薄むらさき色のそれが、窓から射しこむ月明りに淡く照らされ、とても幻想的でした。ふわりと漂う香りは、ラベンダーです。


「わかりました。殿村くんは未来から――」

「たしかに僕は転校生だけど、そうじゃない」


 最後まで言わせてくれませんでした。

 ミステリアスな殿村くんですから、ありえそうでしたのに。


「なんか、もう……。本当に自覚がないよね」

「……えーと、なんのおはなしでしょうか?」


 おひとりさまは、他人とのコミュニケーションに不慣れなのです。

 殿村くんが、わたしを見据えました。

 黒い瞳が、わたしに向けられています。


「キミは、もう死んでいるよね? 霊魂だ」


 おまえはもう死んでいる。

 そう告げた殿村くんの瞳に、わたしの姿は映っていませんでした。




 窓際のうしろの席は、クラスにおいても勝ち組の座席です。

 今、その栄誉を手にしているのは、いつだってぐーすか寝ている殿村くんなのです。


 って、あれ? でもわたしは殿村くんのうしろに座って――。



 くらりと視界が暗転しました

 わたしの体は、ぐるりとねじれてしまったようです。


 わたしは、おひとりさまです。

 教室の一番うしろの席にいますが、もともとそこは無人でした。

 空いているなら、わたしが座ってもいいとおもったのです。

 わたしの席になりましたからね、お片付けだってしますよね。置き忘れたものは、きちんと各人の机にお返ししています。

 だって、わたしの席ですから。





「地縛霊にしては怨念も持っていないし、邪気がないなら放置でいいかなって思ってたんだ。無駄に祓うのも面倒だし、手間がかかるし」


 殿村くんがなにかを言っています。

 どうも愚痴らしいです、聞きましょう。


「ただ座ってるだけだし、誰にも干渉しないし。だんだん憐れに思えてきて、声をかけたんだ。そうしたら、すごくうれしそうな顔するじゃないか、霊のくせに。ますます放置でいいって思った。でも、最近になって変わってきた」


 わたしが変わったとすれば、それは殿村くんとの会話がきっかけでしょう。

 おひとりさまのわたしが、『ひとり』ではなくなってしまったのですから。


「なんていうか、執着というか、念が強くなった。いままで吹けば飛ぶぐらい薄っぺらかったくせに、が強くなったんだ」


 ――それは誉め言葉ではありませんよね。さすがにちょっと傷つきますよ。


「気配が濃くなれば、影響が出る。寒気を感じるほどともなれば、他の奴らだって、おかしいと感じるようになる。そうなれば、おのずと噂が立つ。そうなれば、消される」

「消さ……れる?」

「以前にも霊体がいたと聞いている。祓われたそうだけど」

「桑原くんは、退学したわけではなかったのですね……」

「野郎だったのか、その霊は」


 殿村くんの声に怒気がまじりました。わたし、なにかマズイことをくちにしたでしょうか?

 ですが、言いたいことはわかりました。

 呼び出された理由もわかりました。


「つまり、わたしはゴーストバスターズの手にかかるのですね」

「どうしてこの装束で、外国仕様になるんだよ」


 殿村くんは、両手をひろげました。横へ伸ばした腕から、たらりと垂れるたっぷりとした袖。

 下に学生服を着ているとすれば、なんだか暑そうですね。


「でも、ですね。学生服を着た陰陽師というのは、聞いたことがないのです」

「まだ学生なんだから、仕方ないだろう」


 おや、陰陽師という言葉は否定しませんでした。冗談でしたのに。


「信じてないよな、その顔。いや、僕だって陰陽師とか言いたくないけど」

「言わなければよいのでは?」

「末端の末端にぶらさがる組織人でしかないくせに、その言葉をありがたがる親戚に強制的にやらされているので、僕はできれば辞めたいと願っている」

 

 でも、今は僕が任に就いていて、よかったと思っている。


 そっと呟いた殿村くんが一歩、踏み出しました。

 重々しい気配が漂ってきます。どろっとした、ねっとりとした、梅雨の空気のようないやーな気配です。

 肌がチリチリしたので、わかりました。

 これがつまり『消される』というやつですね。


「消えると、どうなるのでしょう……」

「消えたいのか?」


 わかりません。

 なにしろ、ついさきほど自覚したばかりですから。

 ですが、消えてしまうとなれば、さみしい気がします。

 おひとりさまのくせに、なにを言っているのでしょう。

 まったく、これもすべて殿村くんのせいなのです。


「ならば、願え」


 強く言い切った殿村くんの言葉が、視覚化されてわたしへ向かってきました。周囲を取り巻き、月光のように輝きます。

 わたしの体は光に包まれ。

 そして、消えました。



     ○



「匠の技ですね」

「僕の名前は、技巧のほうだよ」


 殿村くんは、あくびを噛み殺します。

 夜更かしは美容の大敵です。素敵メンズの殿村くんだって例外ではありません。

 今宵も、霊退治のお仕事です。

 月明かりの下、舞うように袖を振りかざし、音も立てずに忍び寄る姿は美しく、ドキドキが止まりません。心臓は動いていませんが、ニュアンスというやつですよ。察してください。

 わたしは、彼のお手伝いの役目を仰せつかりました。

 そのおかげで、消えることがなくなったのです。

 しかし、まだまだ新米ですからね。アシスタントには程遠いです。しかも殿村くんときたら、わたしに手伝わせてくれないのです。

 意味がわかりません。いったいなんのために、わたしを使役したのでしょうか。


「……わたしはお役に立ちませんか? 使役されるということは、この体をすべて投げだし、身も心も、殿村くんに捧げ預けるということではないのですか?」


 ぶほっと、飲んでいたジュースを噴きました。汚いですねぇ。

 器官に入ってむせたのでしょう。顔がとても赤いです。


「あ、あほかっ、そんなことしなくていいんだよっ」

「でも、わたしは――」

「契約はひとつ。僕の傍にいる、それだけだ」


 そうです。わたしは殿村くんに縛られてしまいました。

 彼の命が尽きるときまで、傍にいることがさだめです。

 だからまた、前後の席にすわって、学校生活を送ることだってできるのです。

 なんだかワクワクしますね。

 二人というのは、こんなにもうれしいものなのだと、初めて知りました。

 おひとりさま、脱却です。


「――逃げるなよ。まあ、逃がさないけど」

「大丈夫です。わたしは一生お傍にいて、せいいっぱい務めます」

「そうじゃなくて――、今はそれでいいや」


 殿村くんの考えることは、よくわかりません。やっぱり頭の良いひとは、脳の構造がちがうのでしょうね。感服です。


「さくら」


 殿村くんが言いました。

 それは、わたしの名前です。

 契約に際して殿村くんがくれた、わたしの名前なのです。


 殿村くんの力によって、わたしは『存在』を得ました。

 近づいてきた殿村くんの黒い瞳に、わたしの顔だって映るのです。

 そのことが、とてもうれしいです。

 しあわせです。



 だけど、やっぱり、慣れません。

 呪法の重ね掛けとかいう儀式に、なぜくちづけが必要なのでしょう?

 わたしは恥ずかしくてならないのです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おひとりさまなわたしが、殿村くんに呼び出された理由 彩瀬あいり @ayase24

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ