散歩
ユキちゃんはよく道に迷う。いや、迷うというより、寄り道が多い。ほんの数分先にある自分の家に帰る時ですら、脇道に逸れたり何かに気を取られたりして何十分もかかってしまう。最短ルートで目的地に辿り着きたい僕からしたら、考えられない話だった。
今日も一緒に散歩していたら、いつも近所で見かける縞模様の茶色の猫に話しかけていた。その猫は体が大きく太っていて、ちょっと目つきが悪い。ユキちゃんは「師匠」と呼んでいるみたいだけど、人間と言葉を交わす特殊な能力があるようには見えない普通の猫だ。
「そうですか。なるほど、それは大変でしたね。えー、そうなんですか」
「……猫語分かるの?」
「ううん。分からない」
分からないんだ。ブロック塀の上にいた師匠と話していたユキちゃんは、僕の問いに目をパチパチさせて首を振った。
「分からないけど、分かったら楽しいかなって」
「そういうものか」
「うん。あ、あれなんだろう」
ユキちゃんは僕への返事もそこそこに、細い路地を見つけて曲がろうとする。おいおい、今日は公園まで行くんじゃないのか。特に目的がある訳じゃない散歩だから、別にいいけどさ。
家と家の間の、それこそ猫が通りそうな路地を歩くユキちゃんの背中を追いかける。ここって私有地じゃないよな。僕らが通って大丈夫なんだろうか。
「我々は猫師匠の謎を探るべく、狭く入り組んだ道へと足を踏み入れるのであった」
「何それ」
「探検隊ごっこ」
うん、また何か謎の遊びが始まったね。両側から張り出す家々の壁を見上げながら、ゆるい傾斜の坂道を下る。生活感の滲み出る勝手口や、通常では考えられない所についている窓や扉の形状を、一つ一つ指差して感想を述べ、時々写真を撮ったりしながら、ユキちゃんは楽しそうに歩く。
まるで迷路に迷い込んだみたいだ。そうして幾度か刻みの小さなオモチャみたいな階段を降りたり昇ったりしているうちに、水の流れる音が聞こえてきた。
急に目の前がひらけて、明るい日差しが僕の目を射る。一瞬のハレーションが僕の視界を眩ませ、ユキちゃんの背中が輪郭だけになる。
「わあ、ここに出るんだ~」
「おお……」
目の前には川が流れていた。少し高くなったこの場所から、公園に向かう途中でいつも渡る小さな橋が見える。知っている風景のはずなのに、違う場所に立つとまるで見知らぬ町に来たような印象すら覚える。
「さすが『師匠』、こんなマニアックな道をご存じとは」
「え? 猫に聞いたの?」
「さあ、どうでしょう」
唇の端に謎の笑みを浮かべたユキちゃんは、また先頭に立って歩き始めた。まあ、そんな訳ないよね。ユキちゃんといると飽きない。猫語を理解しているのかどうかは置いといて、いつも僕が気付かない視点や新しい考え方を示してくれる。
ゲームよりもはるかに難解でややこしくて、時にめんどくさいけど、ユキちゃんと過ごす日々は楽しくてささやかな刺激に満ちている。上手く言えないけど、ずっとこういうのが続けばいいなと思う。
僕はユキちゃんの小さな手を取り、川沿いの道を二人並んでゆっくりと歩いて行った。
終
塩と飴 鳥尾巻 @toriokan
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