最終回

 夕立かと思われた雨は、日付が変わっても降り続けた。ミカモちゃんもまのんの家にお泊りし、二人は客間でタオルケットだけをかぶって横になった。苦しそうなのおとちゃんのことが気になって、まのんはなかなか寝付けなかった。雨の音を聞きながら、目をつむって考え事をする。

 まのんも短歌を詠むが、魔法を使うことはできない。魔法短歌は、ミカモちゃんだけに与えられた奇跡の力だ。

 あの日のことを思い出すと、まのんは今でも身の毛がよだつ。学校からの帰り道、まのんとミカモちゃんが交差点に通りがかったとき、一人のおばあさんが道路をわたろうとしていた。足が悪いらしくしんどそうによたよたと歩くので、青だった信号が途中で点滅し始めた。ハラハラしているまのんの隣で、ミカモちゃんが「危ない!」と叫んだ。引き留める間もなかった。猛スピードで突っ込んできた赤いスポーツカーがその勢いのまま旋回してガードレールに乗り上げ、何度も回転して空き地にさかさまに落ちた。目の前で起こったことを受け止めきれず、まのんはしばらくの間立ったまま意識を失っていた。はっと正気を取り戻し、ミカモちゃんの名前を呼びながら道路に飛び出す。そのとき、まのんは確かに見た。コンクリートの上に広がってゆく赤い液体を。あまりの凄惨な光景に耐えきれず目をそらし、一縷の希望にすがるように再び

「ミカモちゃん」

と友の名を呼んだとき

「まのんちゃん、大丈夫―?」

 そんな、呑気な声がした。横断歩道の真ん中で、ミカモちゃんとおばあさんが抱き合っていた。二人とも無傷で、服の汚れさえなかった。

 おばあさんが、ふうっと息を吐く。そして、右手をミカモちゃんの頬にそっと添えた。

「ゆづりはは何も持たずにゆくものと神に誓いし我の人生」

 その日から、ミカモちゃんは魔法を使えるようになった。平凡で、ささやかな人生を送っていた少女が少しずつ人ではなく女神へと変容してゆく様を、まのんはずっとすぐ傍で見ていた。たまに、彼女がとても遠い人に見える。けれど、そんなときにまのんが必死で呼びかけると、ミカモちゃんは昔と何も変わらないドヤ顔で笑うのだった。


 雨の音が、ゆっくりと近くなって来る。まのんは、自分が目覚めつつあることに気付いた。いつの間にか、眠っていたらしい。目を開ける。二人の様子を確認しようとして寝返りを打ち、思わずひゅっと息を呑んだ。

 布団の中も、タオルケットの中も、空っぽだった。ここにいるのは、まのん一人きりだった。

 全身の血が沸き立った気がした。まのんは飛び起き、二人の名を呼びながら家じゅうを探し回る。

 空っぽの家。点滅する蛍光灯の下、床に脱ぎ捨てられた靴下がまるで生き物の死骸のように横たわっていた。

 まのんの目から、熱いものがぽろりと零れ落ちた。

「残される人の気持ちがあなたには分からないのと思います。私の大切なミカモちゃん」

 その時、薄暗い廊下にぼんやりと光が浮かび上がった。その光はみるみるうちにまぶしい一本の矢印へと変化した。まのんは直観した。この光は、私をミカモちゃんの元へと導いてくれている!

 靴も履かず、パジャマのまま、まのんは雨の中へと飛び出した。

 前がほとんど見えないほどの、激しい雨だった。白くぼやけた世界の中、なぜか矢印だけはくっきりと見えた。車道も信号も関係なく、導かれるままがむしゃらに走った。

「あ……」

 光が弾けた。そのとたん、まるで海が割れるように雨雲が切れ、月が顔を出す。

 そこは、まのん達が住む町全体を見下ろせる展望台だった。崖の際に立てられた柵に背中を預けて、のおとちゃんが立っていた。彼女と向き合うように、ミカモちゃんが仁王立ちしている。

 のおとちゃんの両目は、ぐっしょりと濡れた前髪に覆われて見ることができなかった。だから、月光を反射しながら頬を流れてゆく透明な液体が雨水なのか涙なのか、まのんには分からなかった。

 のおとちゃんが、わーっと叫ぶ。

「妹が死んだの! 急性薬物中毒で! 妹に薬を勧めた人を探してるうちに、協力してくれる人たちが現れた。武器を提供してくれて、誰をやったら良いかも教えてくれて……」

 それはただ、便利な駒として使われただけなのでは、とまのんは考える。

「ミカモちゃんがくれた魔法で私、なんてことを」

 汚しちゃった、と呟く。

「真っ白できれいなミカモちゃんを、私……!」

 どす黒い血で。忌まわしい血で。

「違うよ、のおとちゃん。魔法短歌を使えるのは私だけなの」

 髪の間から、のおとちゃんの目が露わになる。何を言われているか理解できないという顔をしている彼女の、目だけが救いを求めているように、まのんには見えた。

 そうだ。魔法短歌を使えるのはこの世でミカモちゃんだけ。

 それはつまり、のおとちゃんが自分の罪を魔法で隠蔽していると思い込んでいたのは間違いで。

 ずっと、ミカモちゃんがのおとちゃんを守っていたのだ。

「ね、一緒に帰ろ」

 ミカモちゃんが、右手を差し出す。

「結末の悲しい本は閉じましょう。一緒に無限の図書館へ、さあ」


 駅前にあるマクドナルドの窓際の席で、私と妹のおとは、そして最近友達になったミカモちゃんとまのんちゃんの四人は、もう一時間以上おしゃべりをしている。

「私、ポテトおかわりしようかなぁ」

 ミカモちゃんが指をぺろりと舐めて言った。すかさず、まのんちゃんが

「塩分の摂りすぎです。高血圧になりますよ」

と、突っ込みを入れる。やれやれと呆れる表情が面白くて、私は思わずくすっと吹き出した。

「太らない魔法が使えたら良いのにね」

 私の言葉に、ミカモちゃんとまのんちゃんがきょとんとする。あれ、私、何かまずいことを言っただろうか。

「魔法、魔法ねぇ」

「そんなものがあったら、ミカモちゃんはますますアホになってしまいます。そんなことより、次の歌会で出す短歌、できましたか?」

「恋の歌でしょー。私、あんまり上手くできなくて。才能ないんだぁ」

「そんなことないですよ。自信持ってください」

 私は、通学鞄から縦書きノートを取り出した。

「私はできた!」


 散る様が美しいとは古の……迷信やろがい!満開が至高!

【おわり】

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魔法少女あたらよ歌集 紫陽花 雨希 @6pp1e

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