誰だって良いんでしょうと君が言う他には誰もいない私に
学校を出たときからかすかに雨のにおいがしていたけれど、乗っているバスが山間に入ったときにとうとう降り出して、まのんは思わずため息をついた。隣の席に座っているミカモちゃんが、
「夕立だねぇ」
と呑気に呟く。
「この勢いだとゲリラ豪雨ですね。すぐにやんだら良いんですけど」
「折り畳み傘持ってきたから入れてあげる」
「二人ともぐっしょり濡れてしまいますよ。魔法短歌で晴れにできないんですか?」
ミカモちゃんが珍しく真面目な顔で窓越しに空を見上げた。
「あのね、最近雨が全然降ってなかったの。虫さんたちもお花さんたちも、みんな水が欲しくて苦しんでた。だからね、私はきょうは魔法を使わない」
まのんははっとして、ミカモちゃんの横顔を見つめる。いつもおちゃらけているけれど、ミカモちゃんはとても優しい子だ。
「見直しました……」
ミカモちゃんが、むふーっとドヤ顔をする。その表情を見て、まのんは思わずひっくり返りそうになった。
山の中を蛇行して走る道路沿いのバス停で、二人は降りた。今にも崩れそうなぼろぼろの屋根の下、狭いベンチにぴったりと身を寄せ合って座る。濡れた土の柔らかなにおいが心地良い。木々の上には白いもやがかかり、昼間の焦げ付くような太陽が幻だったみたいに、辺りは湿ってひんやりとしている。まのんは目をつむった。雨に濡れるのはあまり好きではないけれど、湿度の高い冷たい空気を吸っていると心が落ち着く。遠い遠い昔の、小さかった頃のことを思い出す。あの頃から私はずっと、この世界が好きだ。ミカモちゃんのいる、この世界が。
「やっぱり魔法使っちゃおうかなー」
とミカモちゃんが言い、まのんがやれやれと頭を振ったとき、どすんと振動が響いた。待合室の壁に、何か重いものがぶつかったみたいだ。おろおろするまのんの肩を「座ってて良いよ」と押し、ミカモちゃんが雨の中に飛び出す。
「大丈夫!?」
ミカモちゃんの悲鳴のような声がして、まのんもたまらず屋根の外に出た。そして、目の前の光景に息を呑む。
しゃがんだミカモちゃんに、一人の見知らぬ少女がすがりついてた。少女は体のあちこちに真新しい切り傷があり、鮮血が流れ出している。ミカモちゃんの白いセーラー服に血が染みて、じわじわと広がってゆく。
「のおとちゃん、しっかりして!」
ミカモちゃんに抱きしめられ、少女が薄っすらと目を開けた。
「私の血が、ミカモちゃんを汚してゆくみたい……ごめんなさい」
そして、少女の体から力が抜けた。崩れ落ちそうになる体を支えながら、彼女が呟く。
「どくどくと心が脈打つ証の血を集めて傷に注ぎなおした」
ゆっくりと少女の傷がふさがり、浄化されるように赤い染みが消えていった。
まのんの家の客室に布団を敷いて、のおとちゃんを寝かせた。彼女はまだ目覚めず、苦しそうに息をしている。枕元でその呼吸音を聞きながら、まのんとミカモちゃんはぽつぽつと小声で言葉を交わす。
「まのんちゃんのお父さんとお母さんがフランスから帰って来るの、いつだったっけ」
「二週間後です」
「じゃあ、しばらく大丈夫だね」
暗い顔でうつむいているミカモちゃんに、思わずマノンは手を伸ばした。彼女の冷たい手を両手で包んで温める。
「のおとちゃんとは、どこで知り合ったんですか」
「あのバス停で。あそこに行けば、私とまた会えると思ったのかな」
ミカモちゃんの目が、きらりと光る。悲しい涙なのに、とても美しかった。
「泣かないでください……」
その時、床に置いてあったまのんのスマホが震えた。手に取って、画面に映されたニュースに言葉を失う。
【速報】〇〇通りのバーで従業員と客の十数人が殺害される。犯人も負傷した模様。
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