あやまらない あやまる

ヤマシタ アキヒロ

第1話

  あやまらない



「ケンちゃん。こんなとき、なんて言うんだっけ?」


お母さんはケンちゃんの顔をのぞきこみ、すこしだけ眉をつり上げます。


ケンちゃんは口を真一文字にむすび、そっぽを向いています。


どうやらスーパーの売り場に積んである缶詰めの山を、ケンちゃんがまちがって倒してしまったようです。


お母さんが聞きたいのは「ゴメンナサイ」の一言。しかしケンちゃんはどうしてもそれが言えません。


わたしは倒れた缶詰めをもとに戻しながら、微笑ましくこの光景を見ています。


「ほら。お姉さんになんて言うの。ケンちゃん」

お母さんはさらに言いつのります。


わたしは「お姉さん」ではないのにな、と思いつつ、ケンちゃんになるべく優しい笑みを送ります。


ケンちゃんはチラチラとわたしを見ながら、それでも閉じた唇にギュッと力をこめます。


ケンちゃんにしてみれば、わざとじゃないのに、ただお母さんと買い物に来て、うれしくて走ってただけなのに、という思いが、胸にいっぱいなのでした。


ついにケンちゃんの顔はみるみるしわくちゃになり、店ぢゅうにひびく声で泣き出してしまいました。


わたしはあわててケンちゃんに言いました。


「うん。聞こえたよ、ケンちゃん。いまゴメンナサイ、って言ったよね?」


わたしにはケンちゃんの気持ちがよく分かります。かつて自分の息子にもこんな時期がありました。


悪くないのにあやまるのって、つらいよね……

でもね、お母さんもつらいのよ。


お母さんの腕にすがって泣くケンちゃんを、お母さんは困った顔で見つめ、わたしに苦笑いを浮かべました。


わたしは泣き笑いの表情で、この若い親子にしずかな声援を送りました。







あやまる



ウマの合わない奴がいた

ことごとく意見がぶつかった


お互いがお互いを

下に見ていた


あるとき私は

自分にも非があることを知りながら

むりに自分の意見を押し通した


彼の方にはもっと

あくどい非があると思えたからだ


ヤツは牙をむくように

とても憎々しい顔をした


私はそのとき

腕相撲に勝った気分だった


しかし腕相撲には勝ったものの

後味のわるい思いが

その後長らくつづいた


その後何年も

そいつの顔が頭に浮かんだ


面白くない気持ちに

幻影が油を注いだ


もうとっくに

付き合いもないのに


憎たらしい顔が

頭から離れなかった


ヤツは私にとって

敵意の象徴だった


私は心の中で

さらに悪態をついた


ヤツも頭の中で

私に言い返す


胸糞の悪さに

拍車がかかる


なんとか私の記憶から

消えてはくれないだろうか


そんな矢先

私はなんとなく気分のいい日に


思い立って彼に

あやまってみることにした

心の中で……


あの時は

オレが悪かった


あんたの意見も

一理あるね


いちど試してみても

よかったね……


すると彼も

めずらしく和やかな顔で


いやいや こちらこそ

ちょっと根性悪すぎた


もっとちがう角度で

見るべきだったね 


譲歩の色を

見せるではないか


私はとたんに

はつらつとなり


彼のことを

許す気になれた


以来そいつは

私の夢に出て来なくなった


たまには

あやまるってのも

いいもんだ


十何年ぶりに 彼の幻影は

すっかり成仏してくれたらしい


ひょっとして彼は

思ったより

いいヤツだったのかもね


           (了)

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