振動

小余綾香

第1話

 自分のうめきを聞きながら美香は目を覚ました。視界に目玉が浮き上がる。ベッドのパイン材が軋み、彼女は息をこらした。天井の節が豆電球に照らされ美香と兄に覆い被さり、夢現ゆめうつつに払い除けたケットが引きずられて落ちる。

 いつもの子供部屋を装う夜がそこにあった。

 しかし、美香の体はそれが偽装と知っているのだ。骨から肉へとみ出す不快感が自分を暴れさせたことを彼女は知っている。鬱陶しさはまだ四肢に残り、身をよじり、かきむしり、また、手足を振り回し、転げたい衝動が彼女の内でうなっていた。にもかかわらず、手が、顔が、髪が酷く重い。

 ミキッ、ギ……ギギ、家鳴りが静寂の程を告げ、おねしょ痕のある隣のベッドで兄は深い眠りに捕らわれた儘。その丑三つ時の気配に美香は悟った。


——来る。


 だるさを深い息で紛らわせながら美香は身を固めた。

 ゆさ……ゆさゆさゆさ。部屋が震え出す。

 ガタン! ガタガタガタガタガタ! キシッ! キュー! キシキシッ! カタン、パタン、カチャ。

 床が弾み、引き戸がたけって外れたがる。激しくいましめに抗う扉は暴れる度、周囲に隙間を生み出し、消した。胎動するとじめの向こう側から闇がのぞく。美香は顔を伏せ、シーツをギュッと握った。壁と天井が騒ぎ、小動物めいた一鳴きが異質な響きで暗がりを貫く。棚の扉が軽く開閉し、マグネットが再び引き合った。

 一分程度のことだろう。

 やがて騒ぎは静まり、美香はそろそろと視線を辺りに漂わせた。吊り下げ照明の紐が余韻に揺れている。しかし、夜は唯の夜の気配に戻り、彼女は体をほどいて行った。手足をさすると、もうあの衝動は体内にない。

 隣で兄は深い眠りに落ちた儘だった。


 美香を起こす不快な夜。小学生の頃には始まっていたそれは彼女が忘れることを許さないかの不規則さで訪れる。兄に別室が与えられ、美香一人の部屋になっても現象は年に二度、三度と彼女を悩ませた。

 それどころか、家を出ても睡眠中、不気味な焦燥と共に来る揺さぶりは彼女を解放しない。どこへ行っても突然、体が不快に耐えられず乱れ、声を上げて美香は目覚めた。その瞬間は何事もない。しかし、すぐに窓が壁が床が震え始め、カタカタと室内の物は音を立てるのだ。

 隣で寝ている男達はいつもそれに気付かず、現象を目撃するのは美香だけだった。振動は嘲笑うかに何の痕跡もなく去って行く。県外へ出ても戦慄わななく夜は決して彼女を離さなかった。



「あぁぁあ゛ぁぁぁぁ!」


 また美香は喚く自分を知覚しながら目覚めた。それにも気付かず、健二はイビキをかいている。この鉄筋コンクリートの家は鳴らない。

 しかし、美香は知っていた。この感覚。自分の骨格をイメージできそうな骨のかゆみ。皮と肉にはばまれ掻きようもない部位からにじむ得体の知れないものはじわじわと肉体を侵食して怠い。その違和感と異質さを振り払いたくて仕方のない衝動。間違いない。それは――


『ウィー、ウィー、ウィー。地震です。ウィー、ウィー、ウィー。地震です』


 スマホが警告音を叫び出す。三度目の警告が終わる頃、健二が寝ぼけまなこで仰向いた。


「んあ……? 地震?」

「そう」


 彼女は憮然と答える。

 美香、またの名を、Sleeping EEW眠る緊急地震速報。自分がP派を捉えて覚醒しているらしい、と気付いたのは彼女が社会人になる頃だった。その命中率は特技として履歴書に記したい程である。

 ゆさゆさと揺れ出した部屋の中で美香はぼやく。


「なんで男は皆、起きないのよ」


 兄に始まり、男達は地震に反応しなかった。

 P波に気付かないのはやむを得ないとして、震度4の震動は生物として目を覚ますべきではなかろうか。だが、電子音で起きる人間が起きない。男は母なる大地の動揺で死にいざなわれるよう設計されているのか。

 それとも。

 不意に美香は唇を笑ませた。

 美香の傍らでのみ男は目覚めなくなるのだろうか。彼女の無意識に応える見えざる手によって。


 彼女は導眠剤の眠りを得て、今、Sleeping EEW緊急地震速報オフとなっている。

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振動 小余綾香 @koyurugi

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