光殻を割って
地崎守 晶
光殻を割って
卵を割らなければオムレツは作れない。
しかしその殻が世界よりも大きいとしたら。
誰がこの大きな卵を割れるのだろう。
朝、目を覚ましてカーテンを開ける。窓の外は灰色と群青。
「今日もいい天気」
じっとりとした目覚めの悪さをぶつけるように、たっぷりと皮肉を込めてそう呟く。
リモコンを探り当ててテレビをつける。天気予報。この地区も、この国にも、映っていない他の国にも、赤い太陽の記号はない。曇天か雨天。空模様はその二色で染められている。
昔見た古い映画は、太陽が眩しかったからという理由で人を殺したと主張する男の話だった。少なくともそんな動機は最早成立しないわけだ。
映像メディアで晴天を表現するのにCG処理が必須となった今は――それすらコストカットにために省かれているものが多くなってきた――誰も本物の青空を見ることが出来ない。
『それでは、気候変動のニュースです。気象庁によると、平均気温は前年比マイナス〇・三パーセントで推移しており、このまま温暖化抑止効果が進行しますと――』
アナウンサーの騙るおためごかし。この閉塞的な曇天にも意味があるのだと言い聞かせるような。
前時代の人類のやらかしのために温暖化した地球を冷やそうと検討されていた、太陽光遮蔽計画。その実験に盛大に失敗し、人工的に生成された雲が永遠に消えない世界となってしまった。
政府関係者以外で失敗だと知っているのは、私だけだ。あの計画には私も深く関わっていた。しかし、あくまでも一つの街の上空を覆うはずだった実験が失敗したのは、精密に計算したはずの数値が誤っていたのは、私のせいではない。私のせいではない、はずなのだ。
「そうだ……私は、わたしは悪くない……」
震え出した手でものが堆積したデスクから錠剤を探り、苦労して口に運ぶ。かなり以前から、これと酒以外は体が受付けない。
『慢性的な不作の影響で、米・穀物の価格は上昇を続けており――』
『日光を浴びないことによる心理的影響により、業務能率の低下が――』
目を逸らしても、雲に閉ざされた空からは逃げられない。あの眩しい日差しを奪われた世界は、テレビで、ネットで、農産物の不作、人々の不健康、計画で期待された効果が少ないという事実で、ずっと私を苛んでくる。
錠剤を奥歯で噛み砕く。舌を麻痺させる苦味と同時に、まやかしの安心感が全身を満たす。
世界をどうしようもない曇天の殻で覆ってしまった私は、避難を恐れて表舞台から行方をくらまし、こうして世捨て人としてのうのうと生きている。
デスクに積み上がるガラクタの中に、かつての研究資料が皺だらけで転がっている。何度も読み返したそれは、温暖化に苦しむ世界を救う希望から、呪いそのものになってしまった。ここまで広がってしまった人工雲を解消する方法が、どうしても考えつかない。いくつものアプローチは全て破綻した。
無為に重ねた日々。いつしか浸るようになった無気力に耽溺していた。
ふと、叩き割るようなノックの音が聞こえ、私は体を硬直させる。居場所を突き止められたのか。足取りは消したはずなのに。
「なあ、いるんだろ!」
どんな悪罵が飛んでくるのか、恐ろしくてたまらない。
ところが、
「頼む、出てきてくれ!
おれにはアンタの研究が必要なんだ、この生成メカニズムの生データさえあれば!」
閉じこもり、固く閉ざした鍵を開けないでいた私に、その言葉は響いた。
「“晴れ”にだってできるんだ!」
私は、唾を飲み込んで、錆びついた鍵を捻った。
軋んだ音で開いたドアの向こう。そこにいたのは、かつての私のようで。
希望と野心と自信に満ちた、若い顔。
「できる、というのかい」
枯れた声で、尋ねる。すがるように。
「ああ、アンタの経験と、おれの発想さえあれば」
エビデンスのない、感情による断定。
それでも私は、曇天を背にまっすぐ見つめてくる若者がまぶしく見えた。
わかった。君に賭けよう、共に力を尽くそう。そう伝えようと口を開いたが、彼にあてられたのか、それとも薬のもたらした偽の高揚感のせいか、口から出たのは違う言葉だった。
「君は、卵を割るのは得意かな?」
光殻を割って 地崎守 晶 @kararu11
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