1.03


 この街の気に入らない点は、通りストリートの幅がやたらと狭いところだ。へいや外壁がぎりぎりまで張り出していて、歩行者以外は通行禁止の区域エリアも多い。


 そういう道には、車よけのためにいけず石﹅﹅﹅﹅ってのが置かれている。これは京都キョートならではの風習だ。一説によると、いけず石の総数は一万個以上。いけず﹅﹅﹅というのは、おまえのことが好きじゃないし、あっちに行けという意味だ。


 夜になると、あちこちからイカレ野郎パンクが集まってくる先斗ポント町もそんな場所の一つ。おれはいつも一時間五百新円ニュー・イェンの料金を払い、一本南の木屋町通りキヤマチ・ストリートにある駐車場を利用している。


 駐車場の所有者オーナーは、さぞもうかっているにちがいない。たいていの傭兵ソロは未来の顧客クライアントにアピールするため、派手な乗り物ヴィークルに乗りたがるからだ。


 見せかけスタイルはそいつの実像サブスタンスを作り出す。それが傭兵ソロの基本となる哲学だ。


 たとえ毎日合成食品キブルを食うような生活でも、「おれは最高に羽振りがいいし、雇うならカネがかかるぜ」という顔をしなくちゃならない。でなきゃ、だれもおまえを重要人物バッドアスだとは思わない。


 おれはクロームの肩を揺らし、青いネオン提灯チョウチンがぶら下がった小路ストリートを大股に歩いた。人混みではぐれないようにガキの手をひいて。血の雨ブラッド・レインがやむ気配はなく、石畳のあちこちに血だまりをつくっている。


〈グレート握り寿司ハンド・スシ〉の文字が七色に輝く看板を通りすぎると、目指す酒場があった。ファサードは典型的なお茶屋ゲイシャ・ハウス風。〝速い楽しいフリップ・アンド・ファン〟と書かれた赤いのれんをくぐり、店のなかに入る。


〈アトランティスサクラ〉はいつも満員御礼だ。総二階建ての小さな座敷ザシキに、一癖も二癖もある連中がひしめいている。


 入口に近い席には、背中が電子ペーパーになった新聞屋メディア。その日の最新のニュースを知らせてくれる。でも、やつを三秒以上見つめるな。七百新円の購読料をせびられたくないのなら。


 全身に球体関節を埋め込んだ遊び女ジョイトイもいる。生きたマリオネットのように、ありえない角度で体を曲げられる女。彼女に個人的な﹅﹅﹅﹅連絡をとりたいって? だったら、その端末でうなじのQRコードをスキャンすればいい。


 すみのほうのテーブルでは、青白く光るドラゴンのタトゥーを彫った若い女と、片腕をアンカーに改造した老人の二人組が花札カードに興じている。


 ウェイトレスはいない。そのかわり、天井から吊り下がったプロジェクターの腕がぐるっと回転すると、動きにあわせてホログラムのメイドが歩いてくる。彼女のファッションは、まばたきする間に刻一刻と移り変わっていく――


 おれとリサはクールを装い、だれにもぶつからないように座敷を通り抜けた。何人か知り合いがいたが、目で軽く挨拶をかわしただけだった。


 銀杏イチョウの一枚板のカウンターにたどり着くと、全身義体フルボディ・コンバージョンのバーテンダーが熱いおしぼりを投げてよこした。


「ちょっとくらい体をいたらどうだ、同胞チョンバッタ


 足もとを見ると、床に雨粒がぽたぽた落ち、ヒノキの無垢材が深紅色カーマインに染まっている。


「おれも歳でね。腰の蝶番ヒンジがすり減ってて、床掃除がこたえるんだ。ほら、そこの嬢ちゃんも」


 リサはアイス・ブルーの瞳にシャッターをおろし、話しかけるな﹅﹅﹅﹅﹅﹅のサインを発した。バーテンダーはそれを見て、総クロームの歯をきらりと光らせる。


 この陽気な男はアイアン・マイク。やつと知り合ってから、もうずいぶん経つ。なにしろ、二〇二一年の海洋戦争オーシャン・ウォーのころの戦友だ。


 そのときにはもう、アイアン・マイクは鉄のアイアンマイクだった。フルボーグ化する前の素性はおれも知らない。だが、おれを同胞と呼ぶあたり、やつもアフリカ系アメリカ人の血を引いてるらしい。


 おれはおしぼりをリサに放ると、カウンターにひじをついた。


「ニッキーは?」

「一日中ジャック・インしてる」


 ニッキー。彼女は世にも珍しいハッカー犬だ。明るいグレーの体毛のジャーマン・シェパード・ドッグ。この店のマスコットでもある。


「かわいそうに。最近、散歩につれてってやれなかったからな」

「ああ。おまえさんが会いにこないから、すっかりヘソを曲げちまってるよ」


 だから、ニッキーはNETネットへつながってるわけだ。散歩の代用品として。


 ニッキーのサイバーデッキは、電脳空間サイバースペースでの経験が筋出力として生体バイオフィードバックされる特注品。一時間駆けるランするごとに、三十分の駆け足トロットに等しい運動量が得られる計算だ。


 シェパードのような犬は、毎日たくさんの運動を必要とする。運動不足の大型犬は、いつ爆発するかわからない時限爆弾みたいなものだ。近いうちに、肉体空間ミートスペースでもたっぷり走らせてやらなきゃ。


 アイアン・マイクがおれのジョッキにキリンのナマを注ぐ。リサのグラスには、本物の牛乳をたっぷり泡立てたミルク・シェイク。


「ほら、そいつを持って奥に行けよ。お二人さん」


 そこで身をかがめ、ざらついた電子音声のボリュームをわずかに落とす。


「マダムムラサキがご機嫌ななめだ。急いだほうがいい」

「わかったよ。でもな――」


 おれはジョッキに目をやり、にやりと笑った。


あわはよく切っとくもんだぜ、マイク。おれとあんたの仲は、そんなにケチくさいものじゃなかったはずだが」

「よせよ、チョンバッタ。ここの経営はカツカツなんだ。さあ、行けって」


 おれは代金を払うと、座敷の奥のブースに向かった。すると、好奇の視線が背中にまとわりつくのを感じた。その先でだれが待っているのか、ここにいる全員が知っているからだ。


 マダム・ムラサキ。彼女は裏社会に君臨する女狐めぎつねだ。この街の女王だ。


 先斗町は長さ四九〇メートルの通りストリートにすぎないが、その裏にはアメリカの大都市メトロポリスとは比べ物にならない暗黒が広がっている。そして、彼女の手はそのすみずみにまで届くのだ。


 ブースに入ると、低いブーンという音が聞こえた。盗聴妨害装置ノイズ・ジェネレーターだろう。マダムは自分の話をよそ者に聞かれることを嫌う。


 ボックス席の壁際には、朱塗りの煙管キセルを口の端にくわえた花魁オイランふうの女が一人。まだ三十代半ばに見えるが、実際はもっと年を食ってるはずだ。


 二つの目は閉じられている。だが、トレードマークの第三の目サード・アイがおれをじろりとにらんだ。


 額の真ん中に移植されたマース生命工学バイオ・ラボの最高傑作の一つ。眼球に埋め込まれたレンズは、時の移ろいとともにありとあらゆる紫色のグラデーションを描く。


「ずいぶん遅いじゃないか、ジョー」


 マダム・ムラサキは紫煙をふっと吐き出すと、その日はじめておれの通り名ハンドルを呼んだ。


 おれはジョー。生まれたときから、ただのジョーだ。


 ソファにすわろうとすると、紫檀シタン色のマニキュアを塗った爪がおれの脇腹を小突く。


「立ったままでいな。このわたしを三〇分も待たせた罰さ」


 おれはマダムを無視して、ボックス席にどっかり腰をおろした。ジョッキをひと息に飲み干し、げっぷをする。


 マダムの目が三つとも険悪な光をたたえる――


「気に入らないなら、ほかの傭兵ソロに仕事を回せ」

「ふん、相変わらず生意気な坊やだね」


 マダムは舌打ちすると、あっさり引き下がった。リサに向かって、手ぶりですわるようにうながす。


 やっぱりな。あんなに急いでたのは、おれたちにしか頼めない緊急の仕事ビズだからだ。


「単刀直入にいうよ。今回の依頼は要人警護だ」


 マダムがテーブルの上にさっと顔写真ヘッドショットをすべらせた。


「あんたの雇用主は会社員サラリーマンお偉いさんハイ・アップってほどじゃないが、とある巨大企業メガコーポ下級管理職エグゼクさ」

「そいつのチームはどこで道草食ってるんだ?」

「自分の手下よりも、もっと腕利きの用心棒ハイヤード・ガンを欲しがってるんだ。しかも、かなり切羽詰まってる。ということは、金のなる木マネーツリーということさ」


 そこでおれもリサも顔写真に目を落としたが、表情は変えなかった。だが内心では二人とも、ヤバいことになったと冷や汗をかいた。


 その写真の男は、ついさっき冥土メイド送りにしたあのサラリーマンだったのだから。

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