1.02

 ホテルの地下一階は、フロア全体が宿泊客専用の駐車場になっている。エレベーターで地下に降りると、ひんやり冷たい空気とCHOOH2チューツーのかすかな残り香がおれを出迎えた。


 一流の傭兵ソロには、クールな乗り物ヴィークルが必要だ。仏典バイブルにもそう書いてある。多少の車体装甲と防弾ガラス、それに火炎放射器フレイムスロワーか機関銃のオマケつきなら、どんな乗り物でもいい。


 おれも特別仕様のスーパーバイクを一台持っている。


 シンゲン・カタナ24W-G。ハイパワーなマシンで、0-100km/hゼロヒャク加速はわずか二・二六秒だ。インターフェイス・プラグを差し込むと、超高速のスピードを全身の細胞で感じられる。反射神経を増強ブーストしていなければ、まともにカーブを曲がることさえ難しい。


 駐車スペースに近づくと、カタナのシステムが主人を待つ猟犬のように目覚めた。


 暗闇のなかにソウル・レッドの鮮烈なカラーリングが浮かぶ。ボディラインは徹底的に無駄をそぎ落とされ、伝説のサムライが操るカタナのようにシャープだ。


 駐車場には、ついさっきまで先客がいたらしい。出入口のゲートにぱっと光が差し込み、黒塗りのリムジンに黄金色ゴールデンの宮殿をのせた霊柩車デッド・ワゴンの後ろ姿が見える。


 リサが合成シンセミントのガムを口に入れ、くちゃくちゃ噛みながらいった。


「なあ、あいつの名前ハンドルなんだっけ。今出ていった葬儀屋」

武内タケウチだ。いつも会ってるだろ」

「タケ=イチ?」

タケウチ﹅﹅﹅﹅

「だから、そういってるだろ。で、そのタケ=イチだけどさ――」


 リサは欧州地域ユーロシアターの生まれで、日本人の名前の正確な発音には無頓着だ。


「あの野郎、クスリでもやってんのか? 目つきがおかしいんだよ。あたしを見るときの目が」


 リサがぶるっと身ぶるいする。


「なんというか、すごくヘンなんだ。でっかいレンチで、あたしの体をバラバラに解体したがってるみたいな」

「そりゃ――」


 タイヤの空気圧を点検チェックする手をとめて、薄暗がりに目をこらす。サイバーアイが低光量ローライトモードに切り替わり、リサの姿がくっきりと浮かび上がった。


 ド派手なメタリック・ゴールドの人工毛髪テックヘアに、無菌室クリーンルームを連想させる白い化染皮膚ケムスキン。全身を曼荼羅マンダラのように覆う爬虫類の人体彫刻ボディ・スカルプト


 そしてアイスのような冷たさの奥に、ひとつかみの孤独を秘めた目つき――


 リサをアニメのキャラクターみたいに崇拝してるのは、なにもタケウチ一人のことじゃない。なにしろ、非公式のファンクラブがあるくらいだ。もっともおれからすると、ガキんちょすぎて食指しょくしは動かないが。


「おい、なに見てんだよ?」

「いいや。やつのことなら忘れろ」

「どうしてさ」


 おれはカタナのさやにキーを差し込もうとして、シリンダーを探した。


「やつが病気だからだ。人間なら、だれでも一度はかかるタチの悪い病気さ」


 タケウチ。やつとの付き合いはもう二、三年になる。見た目はえないが、腕はたしかな男だ。


 おれの脳内の路上紳士録ストリート・ジェントルズじゃ、危険度はCプラス。まずまずの重要人物バッドアスといったところ。


 機械いじりもお手の物で、自分で修理した一寸法師ジャック・スプラットをいつも三体つれている。チップをやると、そいつらを使ってパーティー会場の後始末もしてくれる。血とかあぶらとか、その他もろもろ。


 タケウチは霊柩車に乗ってやってくると、床の上のホトケに手を合わせ、決まってこういう。


このたびはご愁傷さまですアイム・ソー・ソーリー

「よう、おまえか」


 おれはホテルの廊下にもたれかかり、にやっと笑う。


「なぜいつも謝るんだ? そいつはおれの友だちチューマじゃないぜ」

「ええ、知ってますよ」


 タケウチはオノ=センダイ製の瓶底メガネミラー・グラスのかげで、はにかんだような笑みを浮かべる。


「でも礼儀として、ひと声かけることになってるんです」


 ここまではいい。やつの調子は、リサが部屋から顔を出したとたん狂いはじめる。


 しかもリサのやつ、おれの前じゃ服装なんて気にしないから、ほとんど裸同然の格好でいることも多い。さっきもシャワーを浴びたリサが、裸に作業着ツナギをひょいっとひっかけて現れたもんだから、やつをショックで心停止させるところだった。


 ちょっとした事故クラッシュも起きかけた。やつの手もとが狂い、死体フラットラインのうなじにまちがったケーブルを突き刺しそうになったのだ。ログを消去デリートするケーブルではなく、没入ジャック・インするためのケーブルを。


 おれに一瞬見えたのは、電脳破りハッカーが使うようなネオンピンクのケーブル。もし死んだ会社員サラリーマンの脳みそと直結ダイレクト・リンクしていたら、不愉快な臨死体験を味わうハメになっていただろう。


 タケウチは死体の記憶痕跡エングラムを消し去ると、あわてた様子でホテルを出ていった。いつもとちがって、腰を直角に折りまげてのお辞儀ジギはなかった。


 回想終わり。リサがガムをぺっと吐き出し、ホンダのミニバンの窓に指でくっつける。


「まだ出発しないのかよ? 夜が明けちまうぜ」


 大きなあくびを一つ。こうしてるところは、ほんとにガキにしか見えない。


 おれのクロームの指先が、ようやくシリンダーの穴を探り当てる。キーをさっとすべり込ませる――


「待て」


 視線を落とすと、おれの腕に緑色のしっぽが巻きついていた。リサの瞳の奥で、赤いLEDが複雑なマトリックスを描く。


「ブービートラップだ。よく見ろ、このアホ。ご自慢の鉄腕ストロング・アームが吹っ飛ぶところだったぜ」


 リサの白い指先から、五本のレーザーのやいばがひらめく。解体作業には三分もかからなかった。


 くそ。おれはまぶたの裏で、自分がキーを差し込むシーンを再生した。


 キーシリンダーを横切るように、細い仕掛け線ワイヤーがぴんと張られている。ちょっと見ただけでは気づきっこない。ワイヤーの先には、ダクトテープで固定された超小型爆弾。おれがキーを回すと、信管が作動し「ドカン!」という仕掛け。


「プロの仕事か?」

「さあね」


 リサが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


初心者ルーキー以上、熟練者テクニシャン未満ってとこ。あたしに一発で見破られるようじゃ、プロの仕事とはいえない。でも、あんたの三輪車ベビーバイクのDNAロックにひっかからない程度の知恵はある」


 おれの脳裏に一瞬、タケウチののっぺりした顔が浮かんだ。まさか。でも、やつはついさっきまで駐車場にいた。


 この安ホテルキューブのセキュリティは値段相応だが、ドアのいくつかには宿泊客の生体情報とリンクした電子錠デジタル・ロックがかかっている。エレベーターを降りて、駐車場に向かうドアにも。


 街場ストリートに掃いて捨てるほどいるゴロツキどもを追い返すには、十分なしろものだ。もっともホテル内部の人間なら、たやすく通り抜けられるだろうが――


 そのとき、耳小骨が激しくふるえて、内蔵型携帯電話エージェントがけたたましく鳴った。通話を切っても、しつこくかかってくる。


 おれはそいつをミュートすると、軽く舌打ちした。あのアマ、相当おかんむりらしい。


「考えるのはやめだ。あとにしよう」


 おれはカタナのシートにまたがると、あごでリサに合図を送った。


「乗れよ。奥方マダムがお待ちかねだ」

「けっ、自分の所有物モノみたいにいいやがって。そのじゃじゃ馬を整備してるのはあたしだぜ」

「だが、運転はおれの担当だ。おまえじゃ地面に足がつかないもんな? わかったらさっさと乗れ、ちびっ子」


 リサはおれの背中を二十センチは突き抜けそうな視線をよこしたが、おとなしく後ろにすわった。しっぽがシートベルトがわりにおれの腹に巻きつけられ、ライムグリーンのうろこがネオンの光できらめく。


「さあ、行くぜ」


 アクセルをふかすと、血の雨ブラッド・レインが降る夜の街がおれたちを呑み込んだ。

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