サイバーパンク𝓚𝓨𝓞𝓣𝓞

黒江次郎

呪い心

1.01

 新京都ネオ・キョートの夜。


 街はネオンの光で照らされ、未来的な高層ビルと古風な寺院が並ぶ通りストリートを青く染めている。


 だが、空は赤い。乾いた血のように赤い。


 三年にわたる第四次企業戦争の結果、大量の汚染物質がバラまかれたせいだ。あれ以来、世界中の空が赤く染まった。死を思わせる赤い棺衣かけぎがかかったように。


 ネオ・キョートではことさら、空がよく見える。この街に十二階建て以上の高さのビルは一つもない。視界をさえぎる空飛ぶ車エアロダインの運転も許可されていない。


 だからおれの記憶のなかで、ネオ・キョートはいつも赤く燃えている。こうして安ホテルキューブの窓辺に立ち、さざ波のように広がっていく夜を見守る今も。


 不気味な空の赤。路上ストリートしたたり落ちる血の赤や、開いた傷口の赤。先斗ポント町の芸者ゲイシャガールの口もとに浮かぶ赤。サイバーウェアが死の警告を発するときの赤。


 そして忘れたころになって燃え上がり、全身の血をまたたく間に沸騰させる怒りと復讐の赤――


「なあ、おっさん」


 ふり返ると、リサがふくれっ面でこっちを見ていた。


 袖がぶかぶかの作業服ツナギを着て、白い指のなかに仕込んだねじ回しをかちゃかちゃ鳴らしている。その音をおれが嫌っているのは百も承知で。


「あたしの許可なしに、新しいハードウェアブツを入れるなっていったよな? くそったれのサイコ野郎になりたいのか?」


 ひどいきんきん声だ。とくに二日酔いの頭には。おれはサイバー聴覚オーディオのつまみをひねり、音量を下げた。


「ああ、これのことか?」


 そういって、新品のオモチャを見せてやる。いかにも興味がないってそぶりで。


 でも、こいつはクールだ。右のサイバーハンドをひと振りすると、五本の指がフレンチ・ピストルの銃身に早変わりする。


「パリ出身の芸術家アーティストの最新作って触れ込みだ。見ろよ、このスタイル。このクロームの輝きを」


 銃身を回転させると、ベアリングがバターのようになめらかに動く。


「おまけに銃身はダブル・バレル。つまり、装弾数は十発ある。最新流行デルニエ・クリのガン・ハンドの上を行くスペックだ」

検査チェックしてやる」


 リサは吐き捨てるようにいうと、細い腕から診断機テク・スキャナー出現ポップアップさせた。画面スクリーンに目を走らせるたび、ミルク色の瞬膜しゅんまくがまぶたの下を出たり入ったりする。


 リサは先祖返りエキゾチックだ。爬虫類の。


 今もライムグリーンのうろこが輝くしっぽが、ヘビのようにうねり、おれのクローム仕上げの足にからみつく。ご本人は気づいていない。リサがときどき、無意識にやるくせだった。


「なにか問題は見つかったか?」

「ない。ないけどな――」


 リサはため息をつくと、顔を上げておれをきつくにらんだ。


「おっさん、はっきりいうぜ。アホなのか?」


 そこでおれとの距離が近すぎることに気がつき、ぎごちなく離れる。ベッドの金具がきしみ、音をたてた。


「そっちの腕には、あのくそ散弾銃ブームスティックを仕込んでるだろ? 派手な飛び道具ばかりインストールしやがって。サーカスでもおっぱじめるつもりかよ?」

「どっちかというと、パーティーってとこだな」


 リサの瞳の奥で赤いLEDがちらつく。危険な光が焦点を結ぶ。


「おいおい、悪かったって」


 おれはクロームの肩をすくめた。


「理由ならある。ハンドキャノンとか、アサルトライフルが手もとにないときの切り札ワイルドカードが欲しかった。ほら、ビジネス・スーツを着て、お行儀よく仕事しないといけないときだってあるだろ?」


 そういってサイバーアームの上腕部から、木製ストックの三連ショットガンをガチャリとせり上がらせる。ぴかぴかのクロームから、年代物アンティークが飛び出す。


「ご覧のとおり、こいつじゃ少々﹅﹅目立つからな」

「だとしても――」


 リサは納得しなかった。


「なにかを入れたくなったら、まずあたしにいえって。な? 何度も同じことをいわせるなよ」

「わかったよ。くそ、母親の説教を思い出すぜ」

「ああ、そうさ。あたしはあんたのママなんだよ。おっぱいでも飲むか?」


 リサがけらけら笑う。このガキめ。


 まあ、リサがおれを本気で心配してるのはわかっている。おれの状態ステイタスを一番よく知っているのはリサだから。


 おれはリサが怒ると、しばらくの間はおとなしくしている。盆栽ボンサイに水をやり、たまり場ハングアウトに顔を出して、バーテンダーの飼い犬の散歩をかわってやる。


 それでも三日かそこら、我慢できればいいほうだ。おれは遅かれ早かれクリニックに駆け込み、最新のカタログをよこせと叫ぶだろう。


 おれのような傭兵ソロは、いつも漠然とした不安をかかえている。夜の街をさまよい、オゾンのにおいを嗅ぐたび、偏執狂パラノイアじみた考えが頭に浮かぶ。おれは今、世の中のスピードに乗り遅れてるんじゃないかって。


 テックの流行トレンドはおれたちを待ってくれない。ある日、路上ストリートでばったり出会ったイカレ野郎パンクが、おれの知らないハイテクで武装していたら? その日がおれの命日だ。


 だからおれは仕事ビズをこなし、新円ニュー・イェンをかき集め、肉体ミート機械メタルに置き換える。自分自身をゼン僧のように作り変えてゼロ・アウトしていく。たとえ行きつく先に、義体化精神病サイバーサイコシスという破滅デッド・エンドが待っているとしても――


 おれが缶入りの炭酸飲料スマッシュに手をのばしたとき、それ﹅﹅は起こった。


 おれの脳の辺縁系のどこかで、マイクロチップがかすかな音をたてた。暗がりに身をひそめ、デリンジャーの引き金をカチッと引くような音が。


 サイバーアイがずきりと痛み、視界の端からグリーンのもや入り込んでスライド・インしてくる。


「おい、おっさん。聞いてんのか?」


 リサの声が別人のように聞こえる。周波数が下がり、音声波形がピッツァの生地のように平べったくなっていく。


「九時――の――仕事ビズ――は――」


 ケレンジコフ。スピードウェアだ。


 どうやら、戦闘モードに入ったらしい。急加速していく時間のなかで、おれはそう思った。


 そして、すべきことをした。サイバーハンドの手のひらで、リサをベッドに突き飛ばす。きゃしゃな体にのしかかり、おれ自身を弾よけカバーにする。


「お――い――!」


 もう一方のサイバーアームは、すでに予備動作に入っている。リールが巻かれ、人工けんがしなやかに伸縮し、ピストンがパワーを生み出す。


 何者かが窓ガラスをぶち破って飛び込んできたのは、まさにその瞬間だった。


 とっくに準備はできていた。〇・五秒も前から。


 五本の銃身がなめらかに回転する。おれの怒りに反応して、神経ニューラルリンクの人工シナプスが咆哮をあげる。


 バン! そして、静寂。


 おれはしばらくの間、リサの上で荒い息をついていた。


 サイバーアイの強化エンハンスドモードをOFFにして、赤外線インフラレッドモードをONにする。赤、赤、赤。くそ。


 襲撃者の体から、赤いウルシのように流れる血のすじ。床の上に広がっていく血だまり。


「おい、どけって。このアホ!」


 そして、赤く火照ったリサの耳もと――


 リサはおれの体の下から這い出すと、街場ストリートでもあまり上品とはいえない悪態をついた。濃密な血のにおいに気がつき、ウルトラ・パープルの唇をゆがめる。


「ちっ、また自殺志願者かよ」

「いつものことさ」


 おれたちは死体フラットラインを検分した。


 見かけは男。四十歳くらい。片手に大型拳銃がにぎられている。ミリテク製の結構いいやつ。


 合成皮革フェイク・レザーのアーマージャックには、五つの穴がきれいに並んでいた。新しいオモチャのデビュー戦は上々だ。真っ二つに引き裂くほどのパワーはないが、そこそこ役に立つ。


 そのとき、壊れたサイバーウェアが空電をよこしたのか、死んだ男の体がぶるっとふるえた。はずみで顔がこっちを向く。


 両目のふちからタールのような液体が盛り上がり、黒い涙みたいにあふれ出す。同時に鼻と口からも。


 リサがあわてて死体から離れた。


「うえっ、気色わりい!」


 おまけにくさい。


 新種のストリート・ドラッグか? おれは鼻孔フィルターを起動しながら考えた。


 でも、こんな副作用サイド・エフェクトは記憶にない。人間の体のありとあらゆる穴からヘドロをまき散らすなんて。


 男のジャケットを脱がせると、ケブラー繊維の高級ネクタイが目にとまった。ホログラム文字で〈保坂ホサカ電子商事〉と書かれた名札ネームプレートも。


 くそ、会社員サラリーマンか。


 厄介な相手だ。しかも、ホサカ。連中との間には因縁がある。血のつながりよりも濃い因縁が。


 おれは表面上クールを装いながら、死んだサラリーマンを部屋の外に放り出した。内蔵型携帯電話エージェントでルームサービスを呼ぶ。あとはホテルが契約する葬儀屋が、十分以内にホトケを始末してくれるだろう。


 おれが〈ネオン宿 月影ツキカゲ〉を気に入っている点の一つだ。ここでは不慮の事故﹅﹅﹅﹅﹅の後始末も、基本サービスの範囲でやってくれる。


 おれが残酷だと思うか?


 でも、これがネオ・キョートの日常だ。

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