第38話 秘密の部屋(十)
音もなく静かに閉まった隠し扉をしばらく眺めていたヴァルラは、未練などないような素振りで再びくるりと背を向け、足を踏み鳴らしながら歩き出した。
「なんだよ、偉そうに。部屋に入られたくねぇなら、最初からそう言えばいいじゃねぇかよ。隠してるってことを隠されても、そんなのわからねーだろうが!」
ヴァルラはいらついた様子だが、その言い分が自分本位なものだとわかっていた。彼が主の立場なら「隠し事があるからそれを詮索するな」などとわざわざ言いはしない。
それに、本人から直接聞いてはいないものの、例のノートにはあの部屋についてしつこい程の警告が記してあった。それらを全て理解した上で忍び込んだのはヴァルラ自身の判断だ。
更に言えば主はその言葉通り、頃合いを見てきちんと
「ちっ、クソ面白くねぇ」
自分の非は認めざるを得ない。しかしあの場ですぐに謝ることは、どうしてもできなかった。
そのようにヴァルラを憤慨させたのは、主のたしなめ方だった。普段の彼なら、ヴァルラを追い詰めるような言い回しは決してしない。ましてや脅すような言葉をぶつけるなど、あり得ない事だ。
しかし今回は頭ごなしに、返事に窮するような言葉を浴びせられた。大袈裟かもしれないが、主に散々甘やかされてきたヴァルラはそれを聞き流す事が出来なかったのだ。今になって彼の胸には激しい自己嫌悪が込み上げてくる。
「……あの絵、のせいなのか?」
あの温厚で寛大なルーファウスを「冷徹で意地悪な主」に変えたのは、やはりあの部屋にかけられていた黒髪の女性の絵に対して放ったヴァルラの言葉なのではないかと彼は推測する。
秘密の部屋にそっと飾られている肖像画。それに描かれた彼女は、主にとってさぞ大事な存在なのだろう。いや、「だった」のだろう。
主の様子と描かれている女性の儚げな表情から、その人が今はいないのだとヴァルラは即座に感じ取っていた。
そんな彼女の絵に対して彼が投げかけた言葉は、主を静かにしかし強く怒らせるには充分だったに違いない。
いたたまれなくなったヴァルラは、固く閉ざされた隠し扉を一瞥すると、書斎を出て自室へと戻っていった。
ブランチ with ヴァンパイア 千石綾子 @sengoku1111
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