後編『工作員』

——取材から数日後。


 私はネット上に、ある投稿をした。


 〈私は、来世の存在を確信した。その境地に至るには、とある一つの経験、それで十分だった。私はなんと、母の生まれ変わりを見つけたのだ。きっかけは、誰もが知っているであろう、金曜夜七時のあの番組だ。私は、テレビ番組『あなたの前世は、誰ですか?』の突撃取材を受けた者だ。顔を見れば一目瞭然だろうから、証明として、ここに私の写真を添付しておく。


◎raisetheworld19.jpg(613.71KB)


 あの番組は、決してやらせではない。正直に言うと、私はつい最近まで、あの番組を、単なるエンタメに過ぎないと考えていた。しかし、自分と親しかった人間の生まれ変わりが実際に現れたら、あたかも本人であるかのような内容を話し始めたら、信じざるを得ない。私の方はと言うと、神に誓って、嘘をついてはいない。ヤラセなぞに、番組の演出に、何一つ加担していないのだ。タルコフ少年は、外見こそ幼いが、確かに、私の母そのもの、よくハイデガーの話をしてくれた聡明で優しい母、そのものだったのだ。

 ハイデガーは、人間は自身の決断によって、自身の存在のあり方を、つまりは生き方を、自由に選択できると考えた。そしてその性質は、他の動物にはない、人間だけの特徴であるとも言った。また、人間の存在とは、本質的には死に向かっており、事実、私たちの人生には真の意味での目的はなく、この世に生を授かった瞬間にすぐ、死に向かって歩んでいくに過ぎないのだ、とも言った。そして、『ダス・マン』。それは、死と向き合わず、没個性的に生きる人間のことを指す言葉だが、『ダス・マン』は、死を恐れ、死を直視せず、没個性的に、人生を無為に、生きている。愚かな人間が、豊かさの象徴とあがたてまつっている技術の進歩や大衆文化といった存在のせいで、個々人が個性を失い、元々自身が思い描いていたはずの人生の理想像をどこかへ捨て去って、同調圧力に屈し、社会と他者とに付和雷同ふわらいどうし、平均的な生き方をして、自己欺瞞じこぎまんおちいり、満足したつもりになっている。ハイデガーは、そのように言った。そんな存在忘却の時代に毒された自分を一度この世から消去し、汚れ無き、へその緒を胎盤に繋いだ姿で再び産み落とされることを望むのは、いけないことだろうか。私は、そうは思わない。来世に、希望を見出しても、良いのではないだろうか。〉


 世界中に発信された、私の思想。それが、ウイルス感染のように伝播して行くのには、そう時間を要さなかった。私の考えに共感を示す人はみるみるうちに増えていき、一つの、小さくはない界隈ができた。そしてそこで私は『来世教らいせきょう』の開祖を名乗った。

 来世教には、テレビ番組『あなたの前世は、誰ですか?』の影響で来世を信じるようになった人々が集まってきた。私のように、実際に番組に出た人も少なからずいた。そして、ついには現れた。


 自殺者。


 来世教を信じ、来世を信じ、生まれ変わろうと、自ら命を断つ者。


 人間は、想像以上に、脆い。


 こんな暗い世の中では、来世に一縷いちるの望みをかけてしまうものなのだ。


 自殺の波は、庶民の集まる公営団地『ヨワシレンバツカ』を、瞬く間にむしばんでいった。



*** 



 私は、部屋にかかった鏡を見つめる。

 鏡に映った、私の顔。

 あまり、顔色がいいとは言えない。

「お前は誰だ?」

 私はそう、私に問うた。

 私は本当に私なのか? この顔は、この肉体は、前世の別の人間の魂が入った、単なるうつわに過ぎないのか? では魂が本体か? 魂は肉体を失っても、来世で新しい肉体を得るのだろう? そうならば、私よ、一度死んでみろ。来世があるのなら、怖くないのではないのか? 他人にそう吹き込んで、自殺を幇助ほうじょしたのはお前自身、私自身だろう? 火付け役アジテーターであるお前自身はなぜ、しないのだ? さぁ、私よ、はやく、死んでみろ!!!!


「うるさい!!!!」


 私は思わず叫び、自分の顔が映った鏡を、拳で殴りつけた。痛い。血がにじんでいる。自分でも驚くほどの、かなりの力だったと思う。鏡は、粉々に割れ、床に落ちた。すると鏡の後ろには……


 空間、があった。


 私は、部屋の窓から外へ顔を出すように、その空間を覗き込む。


 壁に沿って、細い通路があった。


 大人が一人、入れそうな幅。


 とてつもなく、嫌な予感がした。


 私はすぐに、知り合いの中に腕利きの建築士がいたのを思い出した。



***



 私は、『ヨワシレンバツカ』のIアイ棟のエレベーターホールを歩く。すぐそこには、十九階まで続く階段が見えている。


 私は、とある一級建築士の友人の伝手つてで、公営団地『ヨワシレンバツカ』の極秘設計図を入手した。これは、誰かに見られていい品物ではない。と言うのもこの国では、ハコモノの類は、その建設の工程の多くが、秘匿ひとくされる傾向にあるのだ。私は設計図の入ったハードケースを、大事に胸の前に抱え、中身を早く見たいという気持ちを抑えるのに必死だった。


 私がいつものように、階段を上ろうとすると、向かいから、一人の男が歩いてきた。コツコツと革靴の踵を鳴らし、サングラスをかけ、ピタッとした黒スーツを着ている。明らかに、庶民の集うこの場にはそぐわない格好だ。男はエレベーターの前で立ち止まると、ポケットから、おもむろに鍵を取り出し、鍵穴に差し込み、右へ九十度、回す。

 私はそこで、自分が男に釘付けになり、階段の前で凍りついているのに気づく。

「乗るか?」

 威圧的な声色にも思えたが、親切な提案。

「あ……はい。じゃあ、お言葉に甘えて」

 私は男に言われるがまま、重い鉄のかごに、一緒に乗り込んだ。そして男は……


 最上階のボタンを押した。


 やはりそうだ。初めて見る、最上階の住人。私は男に続いて、一つ下、十九階のボタンを押した。密室の中、私は重圧に押しつぶされそうになりながら、早く着かないものかと、歯痒はがゆくなる。

 二階、三階、四階、五階、六階、七階、八階、九階、十階、十一階、十二階、十三階、十四階、十五階、十六階、十七階、十八階、そしてようやく……十九階に到着した。普段、階段を上るのに比べれば、遥かに早いはずなのに。

 扉が開く。

「あ、お先にすみま——」

「いや、同行する」


 なんと男は、エレベーターを降りる私に、着いてきた。



***



 私の部屋。

 私と、大好きな母の部屋。


 黒革のソファに座るのは……


 私ではなく、黒スーツ姿の男。

 

 男は一言も喋らず、足を組んでいるが、私はその前で、背筋はいきんを限界まで伸ばして、直立不動している。テーブルの上には、さっきまで私が大事に抱えていた、極秘資料の数々。『ヨワシレンバツカ』のIアイ棟の一室の間取り図が目に入る。私と母の部屋だ。しかし、その周囲に、謎の空間が広がっているのを確認する。先日私が見つけた、隠し通路だ。図によると、通路は、お隣、そのお隣、ひいては上下のフロアにまで、繋がっているようだ。そうか、やけに防音性が高いと思っていたが、それは、部屋と部屋の間に空間があったからだったのか。それに、怪しい文言も多い。『巡回用通路』、『盗聴用回線』、『マジックミラー』、そして『陰部屋かげべや』。陰部屋には、人の影が描かれ、椅子、机、電源、水道、そしてトイレまで、組み込まれている。つまり……『ヨワシレンバツカ』に住む人間の生活は、全て筒抜けだったと言うことだ。


「来世教の教祖よ……」

 男はやっと口を開いた。

 でもやめてほしい、もう、その名で私を呼ぶのは。

「はっ、ははい……」

 私の声は震えている。

「君は、実に良い働きをしてくれた」

 聞き間違いだろうか。今男は、『良い』と言った?

「と……言い、ますと?」

「君は、我々影の政府ディープ・ステイトの人口削減計画に、大きく貢献してくれたじゃあないか」

 そうか……そう言うことだったのか。

「……」

 私は、無力だ。何も、口答えできない。

「そう怖がるな。感謝しているのだぞ? 君の情報を、番組に流す。君の母の生まれ変わりを用意する。君は来世の存在を信じる。そして、来世教が生まれる。おかげで、世界の人口は五億人まで減った。我々に仕える奴隷を残す必要もあるからなあ。そろそろ、次の段階へ移る時か……」

「な、なんて奴だ! お……お前の前世は、きっと悪魔だな!!」

 それが、私がやっと、発することのできた、言葉らしい言葉だった。

「冗談はよしてくれ、やったのは、君だぞ? だから、むしろそれはこっちの台詞せりふだ。『あなたの前世は、誰ですか?』というのはねえ!!」

「……」

 体が、動かない。

「フッ、答えられないのか。なら俺が代わりに言ってやろう、悪魔以下の、邪教教主め!!!!」

 男はそう吐き捨てると……


 テーブルの上に、拳銃を放り投げた。

 

 私は無心で、そちらへ手を伸ばした。


 銃把グリップを握り、銃口を自分のこめかみにあてがう。


 そして、ソファの、十字の傷を見つめる。


「来世教の教祖よ、君は用済みだ。そこで、最後に一つ問う……」



 来世が保証されるなら、あなたは自殺しますか?



〈完〉

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来世が保証されるなら、あなたは自殺しますか? 加賀倉 創作【書く精】 @sousakukagakura

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