来世が保証されるなら、あなたは自殺しますか?

加賀倉 創作

前編『あなたの前世は、誰ですか?』

【注意】本作は、決して自死を推奨するものではありません。それをご理解いただいた上で、お目通しくださると嬉しいです。もし、閲覧による自身への負の影響がないかどうかなど、不安を覚える方がいらっしゃいましたら、今すぐにブラウザバックすることを推奨いたします。


——さいの目切りの、薄橙うすだいだい


 瓦落多がらくたで雑然としたベランダから見えるのは、海沿いに立ち並ぶ、殺風景なアパート群。 


 景観法によって事務的に植えられた木々の枝は、いびつに、伸びきっている。


 それらの樹皮は、大酒おおざけで臓器を悪くした者の顔のような、土色をしている。

 

 ここは……


 ごくありふれた公営団地。


 この国の庶民は、大抵の場合、この家賃の安く済む上にそこそこ快適な公営団地『ヨワシレンバツカ』で暮らす。各棟の最上階は、ペントハウスのような作りとなっており、ワンフロア全てを、たったの一世帯が占有する。最上階とそれ以外とでは、その質という点で、全く異なっている、と聞いている。建物に備え付けられたエレベーターは、最上階の住人専用となっており、特別な鍵がなければ、動かない。そのため一般の住人は毎日、自分の部屋の階と地上とを、階段でのぼりする羽目になるのだ。私の住むここIアイ棟も例に漏れず、生きるためにはそうすることを強いられるのだが、最上階の人間を、羨ましく思ったことは無い。なぜならば、まず第一に、足腰が鍛えられるからだ。おかげさまで、健康そのものである。そして第二に、最上階に住んでいるのはどんな人間なのか、この目で見たことがないし、そもそも本当にそこに住んでいる人間がいるのかさえ疑わしいからだ。実在するかどうか疑わしいものと自分とを比べても、仕方がない。とにかく、ここ『ヨワシレンバツカ』の最上階は、謎に包まれている。


 外の眺めに飽きて、部屋の中に戻る。


 部屋は、薄暗い。壁にかかった鏡には、左右が反転した室内が、やや濁りを増して映っている。今ぐらいの時間帯までなら、眩しいのが苦手な私には、太陽の光だけでも事足りる。だから、カーテンはいつも全開にしている。それだと他の棟の人からは生活が丸見えだろう、と思うかもれないが、そんなこともない。というのも、私の住む部屋は、最上階の一つ下、十九階にあるからだ。それに、この辺りでここIアイ棟だけが、階が一つ多くなっているので、少なくとも一般庶民に生活が筒抜けになる心配はない。だが最後に、最上階の人間からはどうかという懸念が残るが、これもまた、いるようでいない存在であるため、結局のところ、どうでも良いのである。

 大き過ぎる黒皮のソファの左側に、深めに腰掛ける。右側の背もたれには、私が小さい頃の悪戯でハサミで切れ込みを入れてできた十字の傷。四年前までは、その傷を母の背が隠し、よく他愛無い話をしたものだ。もちろん、時には小難しい話もした。母は大学時代、西洋哲学を専攻していたので、私によく哲学のことを教えてくれた。中でも、ハイデガー哲学の話が、印象に残っているなあ。母が亡くなってからは、ずっと一人暮らし。うちは母子家庭だったが、母は私にたくさん愛を注いで、育ててくれた。自慢の母だった。私の唯一の、心の支えだった。そんな存在を失ったものだから、少し前には……そこのベランダから、いっそ飛んでしまいたい、と何度も思った。手すりの上に立つところまでいったこともあった。でも、今はいくらか、そんな気持ちが抑えられている。その理由は……毎週金曜日の夜七時に、ちょっとした楽しみができたからだ。


『あなたの前世は、誰ですか?』


 それは、ミステリーバラエティ番組のタイトルだ。


 リモコンを握り、電源ボタンを押し、テレビの音量を、限界まで上げる。私は小さい頃から、耳が遠い。近隣に迷惑をかける心配はない。なぜならば、『ヨワシレンバツカ』の壁と天井は、ありがたいことにそこそこ遮音性が高い素材でできているからだ。逆に言えば、隣上下となりじょうげの部屋からの騒音に悩んだこともない。今、画面に映っているのは、先週の放送の録画だ。次の放送までに毎日一回、前回の録画を見て復習するのが、習慣化している。前回の内容は、特に刺激的だった。なぜなら……

「さぁ皆さん、今日も始まりました! ミステリー・バラエティショー『あなたの前世は、誰ですか?』。今夜も一切ヤラセ無しの生放送で、お送りさせていただきます!!」

 画面中央に、司会者のウワベーミズ・ヨワシレンバツが映る。彼は、この国の大統領、ヒョリータイ・ヨワシレンバツの実の弟だ。 

「念の為、この『あなたの前世は、誰ですか?』を初めてご覧の方に向けて簡単な説明を。この番組がお送りするのは、全国から前世の記憶を持っていると自称する人を募集し、その人の前世をくわしーく聞き出して、前世は誰だったか特定、その誰かの、家族や親しい人物に会いに行ってみようというトンデモ企画、それ一本! 前世の記憶を証明するであろう関係者の人々への突撃は、なんと、生放送! このスタジオから、生中継でやりとりが行われます! 今日で通算百十九回目、今夜、主役を務めるのは……こちらの方です、どうぞ!!」

 大それた扉が左右に開き、現れたのは、年端もいかぬ、少年。

「おっと! なんて言うことだ! 今日の主役は、可愛い少年! これはこれは、珍しい展開です! ほらボク、こっちこっち、おじさんの所までおいで!」

 少年は、ぎこちない足取りで、ウワベーミズの元に駆け寄る。

「それじゃあボク、自己紹介をお願いします!」

 膝立ちになったウワベーミズが、マイクを少年の口元に向ける。

「ぼくタルコフ。よんちゃい」

「よ、四歳だってぇ!? 史上最年少記録更新だ! じゃあ、もう一言いただきましょうか、タルコフ君の、好きなことはなんだい?」

 タルコフ少年は、むちむちの両手を、ピースの形にして……

「がようし、チョキチョキぃー!」

 指を、カニのハサミのように、開いては閉じてを繰り返してみせた。

「なーんてキュートなんだああ! と言うことで、今日の主役は、工作が得意な、タルコフ君です! そちらのソファへどうぞ!」

 タルコフ少年は、黒革のソファに案内され、その向かって右側に、ちょこんと座った。

「ではタルコフ君、早速、おじさんがいくつか質問をしていくから、答えてくれるかなあ?」

「うん! こたえるぅー!」

 そう元気よく返事して、両手を大きく広げるタルコフ少年。ソファの高さで床についていない足を、バタバタとさせている。

「じゃあまず、こんな質問はどうだろう? タルコフ君は昔、どんな名前だったんだい?」

「んーとね、それはおもいだせないの……」

 演出として、ひどく大袈裟な、落胆の声が挿入される。

「ほぉ、そうかそうか。そういうこともあるよなぁ。タルコフ君は決して、悪くないからね? じゃあどんどん行ってみよう! タルコフ君は昔、どんなおうちに、住んでいたんだい?」

の、あいとうの、じゅうきゅうかい!」

 タルコフ少年は、はっきりと、そう言った。

「そうかいそうかい。やけに具体的だねぇ。じゃあ、お部屋の中は、どんな感じだったか、教えてくれるかな?」

「おへやはね、ちょっとくらかった! カーテン、なかった!」

「ほうほう、ちょっと変わったお部屋だね。ちなみに、お部屋の中には、どんなものが置いてあった?」

「んーとね、ソファ!」

「どんなソファだった?」

「このソファと、いっしょ! おおきいの! でもぼくがこわしちゃった!」

「なるほど。そのソファみたいに黒くて立派なのがあって、タルコフ君がイタズラしちゃった、と言うことだね?」

「うん、そう!」

「そうか、それは奇遇だねえ。それに、ソファを壊すだなんて、前世はとんでもないパワーの持ち主だったのかもしれない。じゃあ、そのお部屋には、誰かと一緒に住んでいた?」

「うん! おんなのひと!」

「女の人は、どんな人だった?」

「おじさんよりも、わかい! とっても!」

 そこで、会場には爆笑の渦が巻き起こった。これに関しては、演出で挿入された音ではないようだ。

「参ったなぁ! タルコフ君、なんてジョークがお上手なこと!」

「じょーくじょーく!」

 上機嫌な、タルコフ君。

「じゃあ、次が最後。他に、どんなにちょっとしたことでもいいから、思い出せることを、タルコフ君が好きなだけ、教えて欲しいな!」

「なんでもいいの?」

「うん、なんでも。よくない言葉じゃなければね!」

「わかった! えっとね……そんざい! てつがく! はいでがー! だすまん! ぼつこせい! げんそんざい! なちす! はんゆだや!」

「おーっとそこまでぇ!!!!」

 ウワベーミズは慌てて、口を塞ぎに、タルコフ君の口元へ手のひらを飛ばした。

「あれ? どうしてぇ?」

「え? ああ、タルコフ君が、とーってもたくさん言ってくれたから、おじさん、頭がパンパンになっちゃってね。もう、十分だよ。十分過ぎるくらいに。とにかく、ありがとう!」

「はい! どういたちまちて!」

「うん。それでは……以上、今日の主役、前世の記憶を持つとされるタルコフ君でした! 次回までに、番組スタッフが一丸となって大調査! 世界中を駆けずり回り、タルコフ君の前世と深い関係を持つ人々の元へ、突撃します! もちろん、番組をご覧の皆様の中に、心当たりの方がいらっしゃいましたら、こちらの番号、『6134649ライセヨロシク』まで、お電話お待ちしております! はたして、前世の記憶は、証明されるのかー!? 次はあなたの元に、前世の記憶を持つものが訪れるかもしれない。では皆さん、ご機嫌よう!!」

 そこで画面は、暗くなった。

 

 の少年。ヨワシレンバツカの十九階。薄暗い部屋。全開のカーテン。壊れた大きな黒皮のソファ。一人の女の同居人。女は若い。そして……ハイデガー哲学。母とここに越してきて以来、部屋に誰かを招き入れたことはない。哲学なんてものに詳しい人間は、全人口のどれほどを占めているだろうか。偶然としてはあまりにも、話が出来過ぎている。先週からこの録画を、一日に一回とは言わず、何十回も見ているが、どう考えても、タルコフ少年が私の母の生まれ変わりであるとしか思えなかった。そして今日は、待ちに待った……


 金曜日だ。


 『あなたの前世は、誰ですか?』が放送される、金曜日だ。


 私の期待が現実になるならば、この後、七時前に、玄関のチャイムが鳴る。

 

 そして……


 その通りになった。


 私は、番組の取材班を快く部屋に迎え入れ、スタジオでのタルコフ少年の発言と寸分違わず、生前の母のことを、つらつらと語った。


 番組終了後…… 

 

 私は、私の身に降りかかった出来事に、興奮した。

 

 そして同時に、ある決意をした。


〈後編『工作員』に続く〉

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