第23話 二度目の聖呪の正体



 今更ながら、自分が三年間仕える相手の偉大さに、腹の底から震えがくる。血の気の引いたレイナを、その綺麗な夕焼け空の瞳に映した彼がどこか……色気を孕んだ表情でうっとりと笑った。


 そのままレイナの柔らかなペールベージュの髪に唇を寄せる。


「すぐ無茶をする補佐官を護るためならこれくらいどうってことない」


 ふふ、と楽しそうに笑われるが、こちとら全然楽しくないし、むしろ喉から悲鳴が出そうになった。


(いやいやいやいや……いやいやいやいや……いやいやいやいやいやいやいやいや)


 否定の言葉が脳裏をぐるぐる巡り、今すぐ全力で逃げ出したい。


 だってそうだろう。


 結界塔の筆頭魔術師に匹敵する魔力と技術を持ち、更には王立軍のトップエリートである宵闇騎士団の第一隊隊長で、剣の腕で敵う者は一人もいないという、言ってみれば国の頂点に立つ最強の人間に、「補佐官を護るためなら」という謎の理由で力を使わせているのだ。


 もしこんなくだらない理由で一人息子がにこにこ笑いながら敵を蹴散らしていると知ったら、彼の父であり、騎士団の総帥である公爵様が何と思うか……。


「変なこと考えてるでしょ、レイナ」


 ふと、低く甘い声が耳朶を打ち、びゃっとレイナが背筋を正す。


「な、なな、何も……」

「本当?」

「ほ、本当です、間違いないです、あ、改めて隊長って強いなって……」


 その瞬間、彼はぱっと手綱を離し、後ろからしっかりとレイナを抱きしめた。頭に顎を乗せられてホールドされ、ますます身を強張らせる。


「そうだよ、俺は強い。だからレイナが気にすることは何もない」


 ゆっくりと手が持ち上がり、そっとレイナの頬を撫でる。


「ただ……己の力量を顧みず、誰かのために無茶をするのはいただけないな」


 先程とは打って変わってひんやりとした声がし、ばくん、と心臓が暴れる。


「あ……えっと……」


 あの場面で、レイナが油断したのはその通りだ。もう一体、もしくは複数体、セイレーンがいることを想定しておかなければいけなかった。それを怠ったのはレイナ自身の読みの甘さだ。


 力量が足りない──そう判断されても仕方ない。


「申し訳ありません。もっと強くなります」


 決意も新たにそう告げると、アレクシスがふーっと長い長い溜息を吐いた。


「そうじゃあないんだケド……まあ、いいかぁ」

「?」


 首を傾げるレイナの頬をふにっと摘まんで、アレクシスが背筋を正す。そのまま彼の広い胸にもたれかかるよう促されて、レイナは困惑気味に寄りかかった。


「ねえ、レイナ」


 ゆっくりと馬を進めながら、アレクシスが楽しそうに笑う。


「このまま二人でデートでもしようか」


 ふっと朱金の瞳が妖しく輝き、心地よい振動と、痛みから逃れるように意識が落ちそうなレイナを捕らえる。だが彼女は低く掠れた声できっぱりと告げた。


「王都に帰りますよ、隊長」

「えー」

「我々はまだ輸送の最中です。ていうか、懇親会はどうしたんですか? 隊長は精霊の都に滞在予定でしょう!? なに帰路についてるんです!?」


 再び意識を上昇させるレイナの目に手を翳し、アレクシスが全身で溜息を吐く。


「俺の可愛いレイナが緊急事態だからって抜けてきた」

「そう説明したんですか!?」

「うん」


 なにやってるんですか、あなたはああああああああ!?


 頭を抱えそうになるレイナの、その目を塞いだまま、彼は弾んだ声で続ける。


「そういうなよ。精霊帝は心の広い方で、それは仕方ないですねって快く送り出してくれたよ。ま、向こうにしてみればミス・ダイヤモンドがいれば文句ないんだろうしね。護衛にはシシリーと、あとはジョイスに戻るよう伝えたから問題ない」


 しれっと答えるアレクシスに、レイナは肺の他に胃も痛くなる気がする。


「王都に戻ったらすぐに精霊の都にお戻りくださいね。最終日にはパレードがあるんだから」


 渋面でそう告げるも、見えていないアレクシスには伝わらない。


「気が向いたらそうする」

「……ちなみに気が向く可能性は?」

「レイナが行くなら行く」


 この上司、ほんっっっとうにめんどくさいッ!


「私は行きませんよ。聖水をガラス管に移す作業があるんで」

「レイナが注ぐわけじゃなくて、結界塔の連中にしっかり渡るのか監督するだけでしょ?」

「スケジュール管理しないと、夏至に間に合わないなんて最大の失態を起こすでしょうがッ」

「じゃあ俺も監督する」

「五歳児か、あなたは!」

「いいから! レイナは寝る!」


 強引に腕の中に抱き込まれ、彼女は溜息を吐いた。


 この後の予定と一体どうやってこのドS騎士を精霊の都に帰そうか脳内で考える。だが答えは一向に出ず、何もかもめんどくさくなり、果ては「辿り着くまでは」と自分の中に条件を付けて眠りに落ちるのであった。






 こうして王都に帰り着いたレイナだがアレクシスから「聖呪」をその目で確認したのは、治療院で骨折の治癒を受けた後、鏡に向かって衣服を直した時であった。


「……なにこれ?」


 神語を刻むと言っていたが、鏡に映るレイナの首筋にあるのは赤い虫刺されのような痕で。


「? これが聖呪? にしては肌が赤くなってるだけのような……」


 するとレイナの治癒に携わっていた女性の医療魔術師がひょいっと処置室のカーテンの向こうから顔を出し、肩を竦めた。


「それ、鬱血の痕ですよ」

「……鬱血?」


 反対方向に首を傾げるレイナに、彼女より五つ年上のお姉さまは意味深に笑って見せた。


「ええ。嫉妬深い彼氏を持つと大変ですね」

「????」


 くすくす笑う彼女の言葉の、本当の意味を知ったのは赤くなった第一隊の女性騎士から絆創膏を手渡され、こそっと耳打ちされた時なのである。


「アレクシス隊長おおおおおおおおッ」

「きこえなーい」


 彼女の絶叫とけらけら笑う彼の声。

 聖水輸送終了まであと十日。


 この後には魔族との一大戦線が待ち受けているのだが……今のところ宵闇騎士団第一隊隊長とその補佐官は平常運転中なのであった。



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戦闘ではドSな騎士様の補佐官ですが、そのお願いはきけません! 千石かのん @cenjyu

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