第22話 氷結の一閃



 はっとして視線を向ければ、逃げ惑う魔女の髪と長い尾っぽが凄い勢いで凍っていくのが目に飛び込んで来る。


 ぎらぎらした眼差しを空中に浮かぶレイナとアレクシスに向け、二体が真っ赤な口を開いてここぞとばかりに喉から圧のある音を迸らせようとした。


 のだが。


「……煩い」


 レイナを抱えたまま、目にもとまらぬ速さで腰から剣を抜いたアレクシスが輝く軌跡を描いて刃を振るった。


 ひゅっと、空を切る音が響き、続いて剣筋に沿って大気が……海が……凍り付く。


 次いでドン、という音と共にアレクシスを真ん中にして、同心円状に爆風が発生。あっという間に村の上空を覆っていた水槽は一面、白銀の世界へと姿を変えていた。


(ひいいいいいえええええ……)


 底のない魔力と、それを剣に乗せて自在に扱うアレクシスの戦闘に、レイナは肝を冷やす。自分を支える両腕は熱く、見上げる先の横顔は普段と何も変わらないのにどこか……ヒトナラザルモノのように思えた。


「レイナに怪我をさせたというだけで万死に値するけど……」


 すうっと形のいい瞳を細め、アレクシスはゆっくりと銀世界を後にする。


「この魔族ごと海を運ぶ技術は必要なんでしょ?」


 空を飛びながらちらりとアレクシスの視線が落ちる。彼の力量なら木っ端みじんどころか灰燼に帰すことも可能だろう。


 がくがくと首を振ると、彼はふうっと嘆息した。


「ならそうだね……本来であれば跡形もなく吹っ飛ばすところを、レイナに免じて許してやろう」

「あ……ありがとう……ございます……?」


 免じても何も、宵闇騎士団第一隊隊長なのだから……魔族の技術回収は必須なのではないだろうか。

 ここは少しでも釘を刺しておくべきでは? などと地上に降り立ち、抱えられたまま考え込んでいたため、事後処理を頼むアレクシスの言葉に対応が遅れてしまった。


「骨折してるレイナは俺が運ぶ。その際に結界塔から魔術師を派遣してもらうから、お前らはこの奇怪な水槽を死守しろ。あと、使い切った聖水分を補給しなきゃならないから、後方に伝令を走らせて。いいね?」


 はい、と短い返答が来てアレクシスが満足気に微笑む。それを見上げながら、レイナが慌てて口を開いた。


「わ、私も残ります! 聖水搬入の責任者は私で──」


 身を捩るレイナを抱え直したアレクシスが、脇腹に腕を押し付ける。


「ぁう」


 痛みが体内を走り、ずきずきと広がっていく。恨みがましい目つきでドS上司を睨み付ければ、彼は非の打ち所のない笑みを浮かべて見せた。


「その責任者が肋骨折って肺に刺さってるかもしれないのに、こんな場所で待機して、挙句勤務を続けたらどうなると思うの?」


 ぐうの音も出ない。


 唇を引き結び、うろ~っと視線を泳がせる彼女を抱いて、アレクシスはさっさと村を出た。


 というか……。


「あの……そもそもどうして隊長がここに?」


 抱えていたレイナを下ろし、応急処置だと脇腹に治癒魔法を施す。それから彼女が乗ってきた馬に跨るアレクシスが、手を伸ばして淡々と答えた。


「その首の印」


 はっと片手をあげて、出発前に触れられた部分に当てる。


「それが知らせてくれた」

(そんな効果があるの? 聖呪に?)


 未だ鏡で確認していないが、触れた指先からは特に魔力の流れや熱量なんかを感じない。どういう仕組みなんだろうかと考え込むレイナを抱き上げて前に乗せ、彼は件の痕に額を押し当てた。そのままぐりぐりされて、レイナの体温が上がる。


「ち、ちょっと隊長!?」

「少し黙って」


 ぴしりと言われて閉口する。前回同様背筋を伸ばし、鯱張って座っていると、ゆっくりと顔を上げたアレクシスが聖呪があると思しき位置に唇を寄せた。


「ふぁ!?」


 かすかに熱く、湿った吐息と柔らかなものが触れてゆっくりと離れる。


「間に合わないかと思って焦った」


 低い声が拗ねたように告げ、レイナは身じろぎした。


「後学のために知っておきたいのですが、この聖呪はどのような時に発動し、どうやって隊長に危機を知らせるのでしょうか」


 誤作動とかないのだろうか。


 そう思って尋ねると、ゆっくりと馬を進めだしたアレクシスが「そうだねぇ」と妙に間延びした返事をする。


「これは掛けた相手と強制的に繋がるものだから……異変が起きたらダイレクトに俺に衝撃が来る」

「じゃあ」


 さあっと蒼ざめ、レイナが後ろを振り返った。


「セイレーンに握られた時に……」

「そうだね」


 けろっとした顔で肯定するアレクシスに、レイナはぽかんと口を開けてしまった。


「え? じゃあ隊長にも……血を吐く痛みが……?」

「……どうだろう? 血を吐くほどの痛みはなかったけど、君の身に危機が迫っているのはわかった。それに俺の肋骨が折れてるわけでもないしね」


 くすっと笑うアレクシスに、レイナは心底戸惑う。掛けた相手の衝撃を……多少なりとも身に受けるなんて……隊長だから平然としていられるのか、それとも伝わる力が弱くなるのか、それはわからないが、どちらにしを常用していいものではない。


「ちなみに持続時間は……」


 恐る恐る尋ねると、彼はぱちぱちと目を瞬いた後。


「一度発動したら消えるから、レイナみたいに目を離すと無茶する相手にはこまめにかけ直すのが鉄則かな」

「今、掛け直しましたよね!?」


 出立直前に同じ位置に唇が触れた。ということは今もそうされたということだ。


「ていうか、聖呪が刻まれて防御が上がるっていう話ではありませんでしたか!? 危機を知らせるって、防御とは関係ないですよね!? おまけに、私がセイレーンに握られた時から隊長が駆け付けるまで物凄い間が空いたわけではないのにどうやって来たんですか!?」


 矢継ぎ早に飛び出す感想と質問に、アレクシスはあっさり告げる。


「ちょっと……転移魔法をね」


 ちょっと……転移魔法……だと……?


 その単語に、レイナは真っ青を通り越して真っ白になる。


 騎士たちでもレイナや他の部隊員のように魔法が使える者がいるが、やはり軍の結界塔所属の魔術師部隊のエリートには劣るのが当たり前だ。


 そのエリートの中でもトップの者がようやく使える魔術があり、そのうちの一つが転移魔法だ。


「け……結界塔の筆頭が使える魔法デスヨネ……それ……」


 そんな魔術まで使えるのか、この最強、最凶、最恐の騎士様は……。


 いったい何者なのだ。確かにこの国で一番強い存在だが、そんな魔術まで使えるなんてどうかしている。



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