第21話 真の敵
早くセイレーンの姿を探さないと、飛翔魔法が解けて墜落する。
広い海面に目を凝らし、はやる気持ちを押さえてレイナはセイレーンの出現を待った。
やがて、黒い波がうねり、一定方向に波打ち始める。水面の中央が縦に盛り上がり、レイナは不気味な緑に輝く波を割って同色の何かが飛び出してくるのを見た。
それは鞭のようにしなり、上空へと突き進む。
「ッ」
咄嗟に身を翻し、鋭い槍の様なそれに目を見張る。
(セイレーンの髪だ)
反転し、水面に視線を落とせば、そこを貫いて何本もの鋭い髪の束が突き出してきた。
(髪に掛けてもダメージは少ないはず)
ひらひらと直線的な攻撃をかわし、大きな水珠を引っ張って海面をひたすらにセイレーン本体を探すべく目を凝らす。
「先に魔力切れ起こしそうだな」
喚くようにジョイスが叫び、レイナは手繰り寄せた水珠を両手で胸元に抑えた。
海水に混じっても聖水は威力を保てるだろうか。このまま髪の先へと潜れば、セイレーン本体に辿り着けるのではないだろうか。どちらにしろこのままでは魔力切れを起こして堕ちる。
「ジョイス副隊長!」
髪による攻撃をかわし、レイナは叫ぶ。
「水珠をください! 副隊長は髪の中心に向かって剣気を飛ばしてください!」
たった一撃で良い。
海水を割ることができれば、その先のセイレーンが姿を表すはずだ。そこめがけて水珠を率いたレイナが突っ込めば上手くいく。
瞬時にそのことに気付いたジョイスが顎を強張らせた。
「俺に隊長みたいな真似をしろと!?」
怒鳴り返すジョイスに、レイナははっと短く笑った。
「無理なら結構です」
「言うね」
ぽーん、と浮かぶ水珠を押し出され、レイナはそれをどうにか片手で押し止めると居住まいを正す。軽く頷き返すと、ジョイスがすらりと剣を引き抜きゆっくりと上段に構えた。
「アレクシスなら一刀両断なんだろうがな」
「隊長は化け物なので」
「違いない」
不敵に笑い、ジョイスが自身の魔力の残りを剣へと込めた。
「三、二、一」
ゼロ。
バリバリバリ、と空気を引き裂く雷の音がして、雷撃を纏ったジョイスの一閃が海面に向かって放たれる。
白光を伴った衝撃に海が割れ、レイナは二つの水珠を引っ張ったまま一気に中へと飛び込んだ。
自身を護る、粘性のある水が割れたことで露になったセイレーン。彼女のぎらぎらした眼差しが驚愕に歪むのを見て、レイナは「勝てる」と確信した。
ぶん、と一つの水珠を前に手繰り寄せ、押しながら上部に指輪を当てる。大きな水の塊が、むき出しの顔面に落とした……その瞬間。
自分に向かって降り注ぐ聖水をものともせず、セイレーンが愉悦に塗れた笑みを浮かべた。ぞっとレイナの背筋が総毛立つ。
同時に強烈な殺気を左手側から感じ、咄嗟に身を捩れば、割れた海の側面を突き破ってもう一体のセイレーンが喜色満面の笑顔で突入してきたのだ。
(しまっ)
聖水を顔面に浴びた、最初のセイレーンが苦悶の声を上げるが、次にはケタケタと耳障りな笑い声をあげ始める。
ダメージはあったが、レイナが食われることが楽しくてたまらないのだろう。
咄嗟に胸の前に引き寄せた水珠と一緒に、セイレーンの長い手がレイナを掴み、骨が砕けるほどの強さで握り締められる。
「ぐあっ」
血を吐くような声が漏れ、胸の辺りで大きな水珠が割れるのがわかった。ガラスというわけではないので、風船が破裂したような感触だが、圧迫感が酷い。
水珠も握りつぶしたせいで聖水を手に浴びたセイレーンが、鋭い痛みを覚えたのか手を振り払い、レイナもぽーんと高く空に舞い上がった。息を吸えば焼けるように肺が痛く、肋骨がいかれていることを悟った。
(ッ)
ひどくゆっくりと世界が逆さまになり、レイナを放り出したセイレーンが一度水に潜り、次いで口を開けるのが見えた。
(……死ぬ……わけには……)
にんまりと喜色を滲ませて口を開ける魔族にせめて一矢報いたい。
口の中に落ち、噛み砕かれる瞬間に火焔魔法を発動させれば、あるいは。
(いちか……ばちか……)
もし。
もし、この場にアレクシスがいたら。
(もっとスマートに……)
それこそ一撃で。
(倒せるのかな……)
ああ、こんなんだから彼に心配をかけるのだ。無茶をするなと言われるのだ。それでも、無茶をしなければここまで来ることはかなわなかった。
いつだって……いつだって、彼の隣に相応しい
ぐ、と丹田に力を籠め、レイナは嬉々とするのセイレーンに血の混じった唾を吐く。
「ふざけんなよ、肉食魔女……このっ……私がッ!」
ぶちのめしてやる。
その言葉が漏れるより先に。
「あいつは俺がぶちのめす」
物騒すぎる内容の台詞を甘い声が囁き、急降下する身体がふわりと浮き上がった。空を切る音が耳元を掠め、唐突に口元から消えた得物を追うようにセイレーンの髪が伸びる。
それをすいっとかわしてぐんぐん身体は上昇し、ぽかんとした視線を動かせばいつの間にかレイナを横抱きに抱いたアレクシスの真剣過ぎる横顔が目に飛び込んできた。
大きく目を見開く。
「た、いちょ……」
「レイナ」
背中と膝裏を抱えるアレクシスは、逃げる得物相手に巨大なカラスが喚くような声を上げるセイレーンのを綺麗に無視し、まるで何事もなかったように笑顔を見せる──……目が笑っていないが。
「怪我したね?」
その一言に、がくん、と周囲の気温が下がった。体感、ではないのはレイナの浅い呼吸が真っ白に凝ったことでわかった。
「い……いえ……あの……」
「どこを傷めたの?」
にこにこ笑うその笑顔が怖い。咄嗟に視線を逸らせば、バキバキバキという音を立てて眼下の海が凍っていくのが見えた。
アレクシスを中心に、強烈な冷気が吹き荒れ、マーブル模様の海を凍結させていく。
「ど、どど……どこも……」
傷めていない。
そう嘘を吐こうとして、顔を近寄せるアレクシスの炯々と輝く朱金の瞳に捕らわれた。
「……レーイナ?」
こて、と首を傾げて告げられて、レイナはじわじわと腹から自分が凍っていく気がした。
「あ……えと……その……」
「うん?」
甘い声と視線。さらっと彼の前髪がレイナの額に触れ、気が遠くなる。
「け……怪我は……あの……」
「うん」
「し……しし……して……」
その瞬間、レイナの声に被るように二体のセイレーンが引き攣ったがなり声をあげた。
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