【動き出して】
十門に拡充された大筒が、竹束を使用不可能なまでに撃ち砕くのに、そこまで時間はかからなかった。火縄銃の銃弾を防ぐために作られた竹束ではあるが、大筒の砲弾を防ぐには厚みが足りていなかったのだ。
敵兵の身を隠す遮蔽物が無くなったのを確認した元親は、五つの連隊を同時に前進させた。
金管楽器が二連続の短音を三度鳴らすと、識別用に単色に染められた、赤、青、黄、緑、紫色の隊旗が真っ直ぐに敵の方へと進んで行く。その足並みは揃えられており、どの連隊も突出したり遅れたりすることなく横一線に前進していった。
「もう少しで射程内か……」
その元親の呟きの答え合わせをするように、銃撃が始まった。だが、それはこちらのものではなく、敵のものであった。光った発火炎は数十と、五千の部隊が所有する鉄砲の数にしてはかなり少ない。恐らく、複数ある鉄砲組のうちの一つが、射程内に入ったとみて射撃を開始したのだろう。一領具足たちの行進に乱れはない。元親の見立て通り、射程範囲はまだ先のようだった。
釣られるようにして、敵の他の位置からも射撃が開始された。それは戸惑いを感じさせるような散発的なものであったが、それでも、少なく見積もって数百、或いは千を超える筒先から放たれた弾丸は、『雨』のように標的たちに降り注いでいった。
そんな弾雨の中でも、逃げようとする者は彼らの中にいなかった。それどころか、歩みを止めることすらなく、有効な射程距離の更に内へとどんどん足を踏み入れていく。この生存本能を完全に殺した行動は、侍たちのように富や名誉を求めてだけでなく、どんな時でも部隊行動を優先させるための訓練や、部隊内に築かれた絆によるものだった。絆という、尊く、見えない鎖に繋がれた三千は、鉄砲の威力を存分に発揮できる距離まで敵に近づくと、部隊ごとに三段の一斉射を始めた。
行進と同じく揃えられた轟音が、戦場に響き、『幕』のように二次元的に広がった弾丸が、戦場という舞台に上がった演者たちを次々に退場させていく。第一幕、第二幕と回を重ねるごとにその人数は増えていき、第三幕が上がった時には敵部隊の一割弱が退場させられた。その内訳は、数で言えば密集隊形で待機していた足軽が圧倒的に多いが、損害の割合で言えば、騎乗している侍の数の方がかなり多かった。その原因は馬上で目立つため
崩れた敵の前衛分さらに距離を詰めた一領具足は、また同じように三段撃ちを始めた。元親もそれに応じて自らと大筒兵、供回り、そして後方に控えさせている二千の兵を前進させた。いずれ敵は瓦解し、今いる場所から撤退する。その跡地を占領するつもりでの行動だった。それができれば羽柴勢全体の側面を陣取れ、戦場での形勢は、こちら側に有利に傾く。
元親は大筒兵に適当に砲撃の指示を出しながら、左右を見た。正面の敵はほんの一部であり、今の優勢は大勢に殆ど影響がない。未だ戦闘状態に入っていない、残りの敵の動きの方が気がかりであった。
進行方向の左、つまり西の方には川があり、その向こうには農村が広がっている。伏兵や迂回機動をしている敵兵の姿はなく、特に警戒する必要は無さそうであった。右、つまり東の方はというと――
「――遂に動き出したか……」
妙見山一帯に無数に林立している旗印が、慌ただしく移動を開始していた。それと共に、低音の陣太鼓の音が敵の陣地で盛んに鳴らされている。一般的にその音が意味するのは、出撃であった。長曾我部の方でも同じ意味である。どうやら、秀長は戦場の端で行われている緒戦の不利を見て、防御から攻撃に転じたようだった。もっとも、羽柴家がそれに特異な意味を持たせている場合は、話は別であるが。しかし、羽柴家でも同じ意味であったようで、五万の軍勢が一斉に押し出してきた。
秀長が取れる選択肢は大きく分けて二つあった。こちらの脆弱な右翼に向けて攻勢をかけるか、崩れかかっている自軍最右翼に増援を送るか、である。この二つの内、後者の選択肢は負けないようにすることは出来ても、勝つことは出来ない。それならばいっそ一斉に攻撃に転じてしまおう、という考えに至るのは充分に予想できた。
「やはり来たか……。法螺を」
予想が出来たということは当然、対策も取れた。元親は一領具足指揮用の金管楽器ではなく、全軍指揮用の法螺貝を吹かせた。合戦場でお馴染みの鈍い音が響くと、それに呼応して左翼、中軍、右翼と狼煙のように次々と伝播していく。すると、命令が行き届いた部隊から順に、緩やかに後退を始めた。後退といっても真っ直ぐ後ろに下がっていくわけではない。各隊は元親のいる最左翼の部隊を軸に、まさに『時計の針』のように移動していった。こうすることによって各隊は敵との距離を維持でき、交戦中の元親の部隊は孤立しない。
「……うん。良い感じだね」
事前に決めた通りの動きをする自軍を見て、元親は満足そうに頷いた。複雑な機動だが、中軍の親秦と右翼の弥次兵衛が諸隊を上手に率いてくれているおかげで、何とか形になっていた。
「……さて、こっちも頑張らないと……」
当面の撃破目標であった敵最右翼の部隊は、再三に渡る射撃と砲撃によって殆ど崩壊しかけ、その半数は妙見山へと逃げ上っている。
「一気に突き崩すか……。旗を」
元親の指示で近くにいた者が黒い旗を振った。その旗は後方に控えている忠純率いる部隊に、命令を伝える旗であった。その意味は単純で『待機中に振られれば突撃』と『突撃中に振られれば退却して待機』の二つしかなかった。元親は彼らの突撃が成功したのを見届けると、撤退を意味する金管を吹かせた。まだ戦いは序盤である。この先も一領具足に活躍してもらうには弾薬の補給と休憩が必要であった。
元親は干し
「大将自らが……か。いや、それはこちらも同じか」
元親が聞いた所によると秀長は紀伊と和泉の国を領地としているらしい。その石高から推測するに彼が率いている兵力は、最低でも一万は超すだろう。
戦場の広さは無限ではない。中軍や右翼が後退し、敵との距離を維持し続けるにも、距離的、時間的制限がある。つまり、山に籠る倍以上の敵を速やかに撃破することを、元親は強いられたのだった。
次の更新予定
毎日 00:00 予定は変更される可能性があります
蝙蝠亡き島に飛ばされて 昼ヶS @hirugaS
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。蝙蝠亡き島に飛ばされての最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます