海火ーumibiー

sorarion914

新月

 ――これはね。

 船乗りだけが知っている話だ。


 風も、月も、星明りさえもない暗い夜に、沖を漂っているとね。

 海の中から小さな光の玉が浮いてくることがある。

 青く光るそれは、まるでホタルイカのようだが、でもそうじゃない。

 海面からスーッと浮いてきて、船の周りを漂い始めるんだ。

 1つだけの時もあるが、数十個に及ぶこともある。

 場所によっては、無数に出てくることも――

 俺たちはそれを「海火うみび」と呼んでいた。

 漁火いさりびとは違う。

 蒼白くて、そうだな……まるで火の玉だ。

 キレイなんで、つい手を出して捕まえようとする奴もいるが、それは絶対にやっちゃダメだ。

 間違っても捕まえたり、おかへ上げたりしちゃいけないよ。

 それは海で死んだ人間の魂だって言われてるからね―――



 それを聞いたのは、もうずいぶん昔の事だ。

 まだ幼かった僕は、一度でいいからその光の玉を見たいと思ったが、1人で夜の沖に出るのは危険だし、そんな度胸もなかったので、結局大人になるまで一度も確かめたことはなかった。

 何故、そんな話を急に思い出したのか……


 僕は、夜の大海原をじっと眺めていた。

 乗っていたフェリーが座礁し、救助ボートで脱出を試みたものの、高波の煽りを食らって転覆。

 自分は何とかしがみ付いてボートに残ったが――


 自分以外の避難者は全員海の中に沈んでしまった。

 他の救助ボートの姿も、闇に紛れて見えなくなった。

 声を出して呼びかけてみるが、応答する声はない。

(自分はもしかしたら、ここで死ぬのかもしれない……)

 ふと、そんな絶望的な思いに駆られた時に、思い出したのだ。

 子供の頃に聞いた話を。


(よりによって、こんな時に……)

 そう思うと、こんな状況なのにおかしくて笑ってしまう。

 空を見上げると、月も星もない。

 風もない、漆黒の闇。

 荒れていたとは思えないほど凪の海だった。

 僕はボートに寝そべり、じっと空を見上げた。

 どうせなら、ひと思いに死んでしまえばよかったのに……

 こんな所で、じわじわ弱っていくなど――これほど残酷な事はあるまい。


(あの船乗りの話は本当だろうか?)





 もし本当なら――この手で捕まえて、あの世へ連れて行ってもらおう……






 僕がそう思った時、海面から不思議な光が上がるのを見た。

「?」

 横になったまま空を見上げていると、ボートの周囲から蒼白い光の玉が、ヒューン、ヒューンといくつも浮き上がり、目の前を横切っていく。

「あ……」

 僕は起き上がって周囲を見回した。


 辺りには、無数の光の玉が飛来していて、それはさながら蛍のようだった。

「わぁ……」

 僕は思わず感嘆の声をあげた。

 不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、自分がこの世で見る、これが最後の光景なのかと思うとあまりの美しさに涙が溢れてきた。

「僕を、迎えに来てくれたのか?」

 僕は両手を差し出して、光の玉を触ろうとした。

 しかし思う様に掴めない。必死に腕を伸ばして、何とか捕まえようともがいていると、ふいにどこからかピィーという笛の音が聞こえてきた。

「ん?」

 僕は周囲を見回した。

 ピィィィ―という細い音色が、闇の中から聞こえてくる。どの方角から聞こえてくるのか分からないが、カモメの鳴き声のようにも聞こえる。

(こんな夜の海上で?)

 まさか、というように僕は辺りを見回した。すると、そのか細い音色に誘われるように、光の玉が一点に向かって動き始めた。

 シュ―ン、シューンと、光の玉が集まり出す。その蒼白い光の中に、ぼんやりと佇む人の姿を見て、僕は思わずギョッとした。


 白い制服姿の男が海面の上に立ち、じっとこちらを見ていた。

 白い制帽を目深に被り、詰襟姿に肩章を付け、胸元には勲章の様な物がたくさん付いている。

 その男を取り囲むように、無数の光の玉が浮遊していた。


 僕は呆然と見つめていた。

 そして、船乗りに聞いた話の続きを思い出す。




 ――その光の玉は、海底に沈んだ兵士の魂だそうだ。

 彼らは新月の夜に迷い出て、帰る場所を見失う。だからむやみに捕まえて連れて帰ると、海に引きずり込まれるのさ。

 でもな。そんな彼らをちゃんと導く人がいる。俺たちは何度も見ている。

 そいつは、白い軍服姿で号笛ごうてきを鳴らしながら、迷える魂を連れていくんだ。

 だからな。

 そういう時は、何もせず黙って見送れ。そうすれば、お前の命は助かる。

 彼らは、――



 僕は、ただぼんやりと見つめていた。

 軍服姿の男は、最後に号笛を高らかに鳴らすと、ゆっくりと右手を額の前に掲げた。

 そして、光の玉を伴って、暗い海の中へと消えていく――



 ―――次の瞬間。




 眩い光を正面から浴びせられて、僕は目を細めた。

 海上に白波が立ち、拡声器から「大丈夫ですか⁉」という声が飛んでくる。

 上空にはいつ来たのだろうか。ヘリコプターが旋回しており、投光器の明かりで一気に昼間の様な明るさになった。


 僕はそこで気が緩んだのか、そのまま意識を失った。




 *******


 僕は今でも、夜の海には近づけない。

 特に新月の夜には。

 

 だから、あなたも気を付けた方がいい。


 彼らは未だ、あの暗い海の底で彷徨っているのだ。

 帰る場所を無くし、頼るべき人を失い。



 そんな彼らを、死してなお導くあの男は、今もどこかで号笛を鳴らしているのだろうか。



 誇り高き思いを掲げたまま―――……






 ……END

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