例えば明日、死ぬかもしれないのなら。

川中島ケイ

その日がいつ訪れるか? なんて、わからないから。



 2004年10月23日。



 ソイツは突然に訪れた。



 建物を巨人の大きな手が直接掴んで揺さぶっているような感じ。バリンバリンと甲高い音を立てて破裂する幾つもの皿。


 それに遅れて、入っている食器類も含めると大人4人でも持ち上がらなそうなスチール製の業務用食器棚が斜めに倒れる。私の立つ、その真後ろで。


 もしその棚の前に洗い終えた食器を戻しに行ってる所だったら、死んでいたかもしれない……そう思うと背筋に冷たいものが走った。



 そんな私の動揺などお構いなしに、次の揺れが襲ってくる。店の天井がミシリと嫌な音を立て、大型の食器洗浄機が聞いたこともない音を立てて軋む音を聞いたとき、ここにいては危ないと咄嗟に判断して店の外に走り出した。


 ちょっと待てと叫ぶ店長の声が聞こえたが構わない。揺れが収まって平常時に戻った後「アイツあの時さっさと逃げたからなぁ」なんて笑いのネタにされたとしても、そんなのは安いものだ。もし『そうじゃなかった場合の可能性』を考えたら。



 だがそんな私の行動を嘲笑うかのように3回目の揺れが襲ってくる。ひどく酩酊した時のような、まっすぐに立っているのも難しいくらいの足元のおぼつかなさ。見上げると道路標識を支えるポールが充電コードの先でも曲げるようにグニャグニャと曲がっている。アレがもし折れて、標識のプレートが頭の上にでも落ちてきたら……即死間違いなしだ。


 そんな想像に怯え、本能からか頭を守るようにしてその場にしゃがみ込む。



 どうして、こんな目に遭わなければいけないの?ここで死んでしまうの?



 まだ何ひとつ、出来ていないのに。



 中越地震が起こる4年半前、私は生まれ育った故郷を離れて東京の地を踏みしめた。理由はありきたりだけれど音楽で、バンドで成功を手にしたいと思ったからだ。 

 

 上手くいかなくて塞ぎがちだった高校生の自分を感動させ、奮い立たせ、励ましてくれた歌たちを生み出してくれたアーティストたちと同じ様に、自分の日々思う感情を込めた音楽で、誰かを感動させたり生きていくための力を与えられるような、そんな存在になれたら。


 そんな憧れと承認欲求の混ざった、ありきたりな理由を手に上京して音楽の専門学校である程度はシンガーソングライター的な事をひと通り学び、卒業後はバイトとバンド練習に明け暮れる日々。そんな生活の甲斐があって少しずつライブ来てくれるお客さんやライブを開催できる日数が増えてきた矢先のことだ。


 父が、病気に倒れた。余命は持って半年といわれた。


 自分の夢を追いかけて、でもそのために応援してくれた父の死に目に遭えない事と、せめて生きている間に父に恩返しをする事。その二つの選択肢を私なりに物凄く真剣に悩んだ結果、私は東京にいる事を諦めて地元へ帰ることにした。

 

 地元に戻ってから選んだ仕事は、東京に居る4年間ずっとバイトしていた調理という仕事。正直に言えばやりたい仕事ではなかったのだが『やりたい事<自分ができる事』と考えればそれしかなかったのだから仕方ない。



 そうして幾つもの後悔や妥協を残しながら選び取った日を、あの時、瞬間最大震度6弱の揺れが3回立て続けに襲ってきた。


 【災害】というそれまでの価値観という足場を崩される様な、脳を搔き回されるような出来事で引っ搔き回されてみて気づいた事は一つだけ。


 

 例えばここで死んでしまったとしたら、私はきっと後悔しかしないだろう。それを私は『仕方ないよ、そういう人生だった』と納得してしまえるのだろうか?



 いや、それだけは絶対に嫌だ。



 一度もたげてしまったその感情は『でもこんな地元で他に道なんてある?』と問いかける現実にも抑える事は出来なかった。そして私は、地震の後片付けやあれこれが終わって一段落した時に、やっと見つけた仕事を辞めることにする。その事にもいろんな葛藤はあったけれど、間違ってはいなかったと今でも自信を持って言える。




 今年で、あの地震から20年が経った。



 私は結果として今、音楽で生活をできているわけではないけれど、後悔を背負い込むことなく生活できている。日々思うことを家族や共に生きる人たちに共有しながら、伝え残したことが無いようにと思って生きていけている。


 『できる限りの事を、出来る限りの間で』と思って駅前でアコースティックギターを抱えて歌ってみたり、パソコンで作った自作演奏に自分の歌を録音してアーティストオーディションに音源を送ってみたり、社会人バンドに紛れてみたりもしたけれど結局、そこで誰かの心を大きく掴めるような才能が自分にはなかったのだと自覚したのだ。


 でもそこで「やり切った」といえるだけの自分がやりたい事、伝えたいことに没頭できる時間を使えた事は、私の人生において決して無駄な時間ではなかったと思う。



 そしてそれは、私の人生において今でも大切な宝物だ。




 あなたは今、後悔のない人生を送れていますか?


 例えば、明日大きな地震に襲われて、命を落とすかもしれないとして『自分の人生は間違っていない。後悔しない方を選びきった』って胸を張って言えますか?


 説教臭いことを言うようで気恥ずかしいけれど、もしそうじゃないのなら。

 

 すべてをかなぐり捨ててまで、とはさすがに言えないけれど『できる限りの事を、出来る範囲の方法で』頑張ってやってみようよ。



 だって、その日がいつ訪れるか?なんて、誰にもわからないのだから。


(了)

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例えば明日、死ぬかもしれないのなら。 川中島ケイ @kawanakajimakei

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