第3話 とある夏の日。

 学校行きたくないなー。

 もぞもぞと布団から這い出ると、冷蔵庫から牛乳を取り出す。

 パンはトースターにセットする。

 昨日は結局、飛斗くんと話ができなかった。

 なら今日話せばいい。

 昨日のわたしはそんな楽観的な意見を持っていた。

 でも今日になれば億劫おっくうになるというもの。

 鏡を見ると酷い顔。

 ゆっくり眠ることもできずに充血した目。

 何度も寝返りを打ってできた寝癖。

 乱れた衣服。

 楚々として治すけど、目の下のクマも酷い。

 でも行かないと。

 ちゃんと飛斗くんに謝らないといけないよね。

 気合いを入れ直し、わたしは簡単なメイクで調える。

 パンをかじり、牛乳で押し込む。

 牛乳を飲めば胸が大きくなるって聞いたけど、一向に育たないんだよね。

 まあ今、それはいいや。

 髪をくしでとかし、準備万端。

 いつもよりも早い時間だけど、いいよね。

 そわそわした気持ちを押し殺すようにわたしは通学路を歩く。

 人も少ない早朝だからか、澄んだ空気が美味しい。

 誰にも邪魔されることもない朝。

 そうだ。飛斗くんにも教えてあげよう。

 早起きは三文の得だって。

 誰にもいじめられないって。

 燦々さんさんと輝く太陽が雲一つない青空に浮かんでいる。

 今日もまた学校に通う。

 なんでだろう。

 でも巫女ではないわたしには勉強をして、いい大学に入るしか道はない。

 親の仕事を継げないのなら……。


 ――使えない子ね。


 頭の中に反響する声。

 やっぱり、わたしは使えない子なんだ。

 ツーッと頬を伝う涙。

 ようやく飛斗くんと会話できたのに、それさえも無碍むげにした。

 見下げ果てた浅ましい心。

 わたしは傷つけるだけで、誰にも何もできない。

 やっぱり使えない子なのだ。

 勝手に傷つけて、勝手に舞い上がって。

 何かできたように感じた。

 わたしにも可能性があると思ってしまった。


 ――笑った神子ちゃんが大好き。


 それは誰が言った言葉だったか。

 わたしはそんな些細なことも思い出せない。

 教室の席につき、何をするでもなく、ただ待ち続ける。

 待ち続ける。

 にわかに人が集まりだし、わたしとは無関係な会話が雑音として入ってくる。

「わたし、何しているんだろ……」

 外を見つめる。

 夏のむあっとした空気が流れ込んでくる。

 ああ。最悪な夏だ。

 今年も猛暑日が一ヶ月を超えるんだろうね。

 巫女の力でも気温までは変えられないから。

 人間の業が生み出した過ちなんだろうけど。

 わたしには関係ない。

 関係なかったんだ。

 彼が来ない。

 わたしはなんで謝ることができると思ったのだろう。

 無理だったんだ。

 もう切れてしまった縁なのだろう。

 また結び直せると思い上がっていた。

 また仲直りできると思っていた。

 でも無理だった。

 神様に全て見られていたんだ。

 わたしが自分勝手で、使えない子だから。

 だから――。


「お、おい。何泣いているんだよ」

 変態くんが珍しく慌てている。

 隣に居た矢本も渋面を作っている。

「あんた、保健室行きなよ」

「大丈夫」

「教室の空気が悪くなるんだって」

 そっか。そんなことも分からないから、わたしは捨てられたんだ。

「うん。ごめん」

 そっと立ち上がり、保健室に向かう。

「誰かついてやって」

 先生がそう言うが、誰も名乗り出ない。

「大丈夫です。一人で行けます」

 青空を汚すように分厚い雲が塗り固めていく。

 保健室にたどりつくと、わたしはどうしていいのか分からずにベッドの上でうずくまる。

 それを見ていた保健室の先生も困惑している。


 わたしはまた大切な人を失った。

 失ったんだ。


 彼の夢、笑顔。どれだけ後悔してももう取り戻すことができない。


 ――俺は医者に、神子ちゃんは巫女になって……


 そんな言葉がフラッシュバックする。

 聞き慣れたはずの声が遠い。

 輪郭があやふやになっていく。

 聞き漏らした言葉の続きは覚えていない。

 わたしは何を求めて生きているのだろう。

 他の動植物を食い荒らし、二酸化炭素をき、彼を傷つけた。

 わたしは……。

「待ちなさい!」

 保健室の先生がわたしの身体を抱き寄せる。

「どこに行く気?」

「高いところ」

 わたしの身体は勝手に屋上を、青空を求めていた。

 あそこに行けば、何か分かる気がした。

「ダメよ。あなたまだ十六でしょう?」

「関係ない。関係ないんだよ! わたしは要らない子で、人を傷つけて――っ!」

 ぱんっと頬を叩かれる音が鳴り響く。

「痛い……」

 身体が反応するよりも先に言葉が出た。

「あんた。死にたいの! そんなの許すわけないじゃない!」

 先生はメガネの奥で泣いている。

「私たちだって分かっているわよ。あなたのこと。でも死んでいい理由にはならない」

 断固として受け付けない意思を感じた。

「先生、二月に子どもを亡くしているの。子どもって宝なんだよ。だからわたしは先生になっているの! 分かる?」

 わたしの肩を抱き寄せる先生の手は温かった。

 でも、

「分かりません」

 今度こそ、本当に先生は泣き出した。


 むせるような、夏の暑い日だった。

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無能なわたしは根暗な彼と恋を思い出す。 夕日ゆうや @PT03wing

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