首吊りマンション

坂本 光陽

首吊りマンション


 国道沿いの住宅街の外れに、半ば廃墟と化したマンションがある。高齢者の住人が数人暮らしているが、ほとんどは空室だ。既に取り壊しが決まっているらしい。


 このマンションでは、かつて首吊り自殺が相次いだ。以来、夜になると高層階の窓に首吊り死体のシルエットが浮かび、それを見てしまうと祟りがあるという。本人が首を吊るのなら興味深いのだが、、というのだ。


 僕は独身なので家族はいない。何を見ても平気である。


 深夜、マンションにやってきた僕は、管理人や警備員の姿がないのをよいことに、勝手に入り込んだ。住人は低層階に固まっているので、高層階は荒れ放題だった。


 ほとんどの電球が割れているか取り外されているので、懐中電灯がなければ真っ暗である。はた迷惑な侵入者が大勢いたのだろう。足元にペットボトルや空き缶、花火の残骸が散乱している。


 注意しながら奥へ奥へと進む。行く手には、かつて無理心中のあった部屋がある。横領が発覚した銀行員が妻と幼い娘の首を絞めた後で首を吊ったのだ。


 事件としてはありきたりだが、後に奇妙なことが判明した。銀行員は遺書で横領を告白しているのに、当の銀行が横領を否定したのだ。後ろ暗いカネなので隠蔽しようとしたのか? その後、当局の捜査は空振りに終わった。


 どうやら、横領は本当になかったらしい。

 銀行員は、なぜ、嘘を吐いたのか? 無理心中の理由は何だったのか? 幼い命が奪われたことを思うと、痛ましさが募るばかりである。


 なんて心にもないことを考えているうちに、目的の部屋に辿り着く。下調べの通り、鍵はかかっていなかった。僕は無理心中の部屋に足を踏み入れる。


 あちこちに懐中電灯を照らしてみたが、ものの見事に空っぽだ。床にうっすらと埃がたまっているだけである。事件から数年が経過しているので、無理心中の痕跡など、どこにも見当たらない。


 予想通りである。だから、それらしき演出を施さなければならない。ドアの裏側や壁や柱にお札を貼りつけたり、床にインクをこぼして血痕に見せかけたりして、それらしい雰囲気をつくりだす。


 やらせになるが、すべてはわかりやすくするためだ。演出の範囲だと言えるし、読者サービスでもある。罰当たりな行為であることは百も承知だが、のだ。


 予定の写真を撮り終えたのは一時間後だった。

 ところが、予想外のトラブルが発生する。玄関ドアが開かなくなってしまったのだ。鍵はかかっていないのに、ドアが少しも動かない。


 こういう時、焦りは禁物である。不謹慎な仕事に不可解なトラブルは付き物だ。心を落ち着けて考えてみる。誰かがドアの前に何か重いものを置いたのか? もしかしたら、住人の嫌がらせを受けたのかもしれない。


 スマホで助けを呼ぶことはできるが、もちろん警察には頼めない。こちらは不法侵入を犯しているし、下手をすれば、せっかく撮った写真を没収されてしまう。


 脱出口が一つだけある。ベランダの床に設置された避難ハッチである。


 錆びの浮いたスチール製の蓋を引き上げると、50cm四方の口が開いた。備品を詰めたナップザックを落としてから、付属のハシゴを使って降りる。持参したスパナでガラスを叩き割り、クレセント錠を外した。無人の部屋に入り、玄関ドアから無事脱出を果たした。


 さっきまでいた部屋の前に行ったが、ドアの前には何も置かれていない。ノブを回してみると、あっさり開いた。何かの拍子で、内側からは開かなくなったのだろう。こういう場所では、よくあることだ。


 さして気にもせず、仕事の仕上げにとりかかる。近くの土手に上がって、マンションの全景を写真におさめるのだ。それらしい構図を決めて、ファインダーをのぞく。


 ふと違和感を覚えた。高層階の一室だけ明かりが灯っている。さっきまでいた部屋かどうかはわからないが、住人は低層階に集中しているので、そこには誰も住んでいないはずだ。


 ありがたいことに、破れたカーテンが人型のシルエットをつくっていて、首吊り死体に見えなくもない。


 これは天の配剤である。僕はシャッターを押しまくり、大満足でマンションを後にした。


 おかげ様で、写真と現地ルポは高く売れた。法を犯すリスクが報われたことになる。


 罰当たりなことをしたが、体調は良好だし、日常に変化はない。祟りなどは全く受けなかった。ただ、田舎の母が亡くなっただけである。唯一の肉親だが、上京以来、全く連絡をとっていなかった。


 というより、母のことなどすっかり忘れていたのだ。罰当たり、ここに極まれり、だろう。


 もっとも、母には深く感謝している。何といっても、のだから。


                  *


 以上は、知人のWから聞いた話である。怖いもの知らずの危なっかしい奴だったが、業界の片隅で、しぶとく生き延びていた。心霊スポットや殺人現場を扱うのは若手の仕事になるのだが、ベテランになっても続けていた。


 一度、天罰とか祟りが怖くないのか、と訊いてみたことがある。Wの答えはこうだ。「気にしなければ、どうということはない。生きている人間の方がよほど怖い」


 Wは晩年、多額の借金を抱えていた。ヤのつく連中にも付きまとわれていたらしい。交通事故を起こして亡くなったことになっているが、事故に偽装して殺されたというのが、もっぱらの噂である。



                  了

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