真夏の涙

@kyarochan0428

泣き上戸

「おじいちゃんはね、泣き虫な人だったのよ」

 中学生の時生き別れた実の父親のお墓の前に立った母が、ぽつりとつぶやいた。


 夏休みも終盤になる、お盆。働きづめの母はやっと休みを取って、私と2人で、祖父のお墓がある、かつて漁業で栄えたとある田舎町にやってきていた。コンビニに行くのに、車で10分もかかるこの町に(全然コンビニエンスではない)、当時は、寝台特急と高速バスを使ってやっとの思いでたどりついた。


 私たちを歓迎するような晴天に恵まれ、母は幼い頃に何度か訪れたこの町を懐かしんでいた。普段は太平洋側に住んでいるので、これまで知らなかった日本海の色や波、そして匂い。昔、漁業で栄えていたことを伝える今は記念館になってしまった倉庫群。日本国内の古い戦争の歴史を伝える船やこの地域の文化を残すための伝承館。この場所にはあれがあった、あの場所は親戚の誰だれの家だったはずだ……。そんなこと母から聞きながら、町の中を散歩した。


 町外れの、海が見渡せる旅館に1泊した。食事には海のものがふんだんに使われていた。このあたりは、イカがよく取れるらしい。イカ釣り漁船は曾祖父が考え出したが、特許を取るのを忘れてしまった、おしいことをしたと、母が悔しそうな顔をしていて、本当かいなと笑ってしまった。そんな曾祖父の恩恵にあずかったイカの刺身は、これまで食べたこともないくらい、甘くてふわふわしていた。それから、朝食に出た鮭が塩辛くないのに驚いた。「保存する必要がないからね」と女将さんが笑っていた。

 夕食が済むと、母が電話帳を見ながら、どこかに電話をしている。何を話しているのかはわからないが、声の調子だけは明るいことが聞き取れた。


「明日、おじさんのうちに行こう」

 部屋に戻った母が、そう宣言した。おじは私たちがこの町の旅館にいることを知ると、今すぐ迎えに行くと言ったらしい。何やら、おっちょこちょいというか、前のめりなのが、普段の自分の性格を思い返すと実に家族らしいと笑えてくる。


 私の両親は、私が幼いときに離婚し、私は母に育てられてきた。母の両親も、母が中学生のときに離婚し、母は私の祖母に育てられている。その後、祖父に会うことはなかったそうだが、再婚した奥さんから「亡くなって、○○町に墓がある」というしらせをもらった。生前の父親に会いたいという願いは叶わなかった(新しい家庭もあるししかがたないことだ)が、お墓参りはしても構わないと奥さんから許可をもらい、母と私はこの町までやってきたのだ。


 翌日、母に会うのは、小学生のとき以来というおじが旅館まで迎えに来てくれた。町の中を車でいろいろと案内してくれて、おじの家にも連れて行ってくれた。

 私は生まれて初めて自分と血のつながっている「血族」というものを大勢目にした。これまでは、祖母しか見たことがなかったからしかたのないことだ。

 5人兄弟だった祖父の実家の近くには、その家族が住んでおり、私たちを珍しがって親戚がぞろぞろ集まってきた。母のいとこだ、はとこだ、その子どもたちまで集まってきた。その、見る顔、見る顔が母や自分にそっくりで、私は開いた口がふさがらなかった。

「これが家族というものか……」

 相手方も同じだったようで、特に、私の顔を見た親戚が、

「目が兄貴(祖父のこと)だ……」

と、口をそろえて言うのだ。祖父とは会ったこともなくても、なんとなくうれしいくなって、心が温かくなるような気がした。


 さあ、いよいよお墓参りだ、と言っておじさんが車を発進させた。例のイカ取り漁船の曾祖父と同じお墓だと言う。

 車をお寺の脇にある砂利の駐車場にとめて、車を降りようとしたとき……

 ザーーーーーーッ

 さっきまでの晴天が嘘のように、ものすごい勢いで雨が降り出した。砂利に当たった雨粒が、勢いそのままに四方八方に水滴を跳ね返している。

 私たちはお寺の本堂にあった傘を借りて、お墓の前まで行く。

「兄貴、やっと連れてきたよ」

 さっきほど降り出した雨に、墓石は隙間なく濡れ、筋になって水が流れ落ちていく。

 それを見た母が、ぽつりと「おじいちゃんは、お酒を飲むとね、よく泣く、泣き虫な人だったのよ……」と、つぶやいたのである。

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