十日目 別れの挨拶

 子どもたちと楽しげに話す姫を近くで見て、不意に思い出したのは真反対の記憶。

 ――今を生きるモノの姿を不老の己と重ね合わせることで、朽ちかけの精神を保っていると。

 途端にせり上がってくる不快を小さな「おえっ」の声で逃がした小夜。

 正直そのまま存在ごと消し去りたい記憶ではあったが、姫に関しての情報は気になるため、子どもたちと別れるまでを見届けてから尋ねてみた。

「ねえ、姫。……姫があの子たちとかを気にかけているのってさ、自分の時間が人と違うからって本当? 実は精神的にだいぶきつい状態で、だからこそ生命の賑わいを見て気を紛らわせているって」

 言いにくさを隠すように一息に言ってしまえば、姫は目を丸くした。 

「うん? なんじゃそりゃ。前にも言ったろ? 俺がああいうヤツらを見るのが好きなのは、心が穏やかに――ってぇと、その変な理由と被っちまうから、あー……つまり、だ。楽しそうなモノを見ると心躍るだろ? 理屈はさておき、こっちも楽しくなってくる気がするだろ? だから見てるだけであって、そんな辛気くさい理由じゃない。誰だ、そんなデマ吹き込んだヤツは」

「それは……」

 露――ではあるが、生命の賑わいがどうのというのを先に伝えてきたのは、

「え? 俺?」

 自身を指差す行商人に無言で頷く。

「ほほう? 思ったより近い出処だなー?」

 にっこりとはしつつも、どこか空恐ろしい姫の笑み。

 釣られて愛想笑いしながらも、夏の暑さとは違う、多量の汗を滲ませ始めた行商人は、はっと何かに気づいて指を差す。

「あ、ラジオ体操が始まるみたいだぞ! ほらほら、位置について!」



 ラジオ体操が終わった後、行商人の姿は消えていた。

「やれやれ。ちょっとからかっただけだってのに。なあ?」

 同意を求める声には「ははははは」とだけ返した小夜。

 今年最後のラジオ体操分の判子を貰おうとする列を見ては、大きな息をつく。

「……実はさ、この前、ここで姫とあの子たちが話しているところを見た時、もう潮時なのかもしれないって思ったんだ。だから本当は、あそこで姫と会うのは終わりだって決めてて」

「…………」

「面と向かってお別れってのも、できる気がしなくて……だから、もう会わなければ終わりだって。きっと、姫にとってはいつもと同じ別れだと思ったから、このままなし崩しにしようってさ。……まあ、そう思っていたら、あの子たちから姫に会えって言われちゃったんだ。自分たちは他でも姫に会えるから、遠慮すんなって」

 情けない、後ろ向きで卑屈な自分。

 曝け出しても思ったより気後れしないのは、姫が静かに聞いてくれるからだろう。

 ――寝不足で、感情を抑えきれないせいもあるだろうが。

「でね? たぶん……姫との関係は、私が姫に会えなくなる日まで続くんだーって、その時思ったんだ。私の意思でどうこうしなくても、きっと、会えなくなる日が来たら、そこで終わってしまうんだって。……だから」

 また、来年。

 そう言いかけた小夜は、姫の目がいつもより暗くなっていることに気づいた。

 いつもの死んだ目よりも凪いだ、何も見えない真っ黒な瞳。

 差し出された手に応じて手を伸ばせば、手のひらに落とされる、小さな粒。

「これは……?」

 あのうさぎたちにも似た色の透明な粒を抓んだなら、姫がゆっくり首を振る。

「その前に……選んで欲しい」

「え?」

 急な話に目を丸くしたなら、目を閉じた姫は言う。

「小夜の考えは、きっと正しい。会えなくなる日が終わり、だから今はまだ終わりじゃない。だが……このままじゃ、別の終わりがあるかもしれない。俺じゃなくて、小夜に。これから先、昨日みたいなことが起こらないなんてことはないだろう?」

 ゆっくりと目を開けた姫が、小さな粒を指差した。

「ソレは……その薬には、記憶を消す作用がある。ソレを飲み込めば、俺に纏わる記憶の全てを、それだけを消せる。小夜が記憶している俺を消せば、少なくとも露のヤツみたいな、得体の知れない相手との縁は切れる。本当の意味で小夜は安心が得られる。だから、すまん、小夜」

 もう一度目を瞑った姫が頭を下げた。

「選んでくれ。それを飲むかどうか。この期に及んでとは思うかもしれないが――」

「うん、わかった」

 頷いた小夜は、姫の顔が上がりきるのを待たず、手にしたソレを口に放った。

 再会を口にしようとしたとは思えないほど、あっさりと。

 選べとは言ったものの、まさかの悩みもしない即断即決の行動に、ぎょっと目を剥く姫のことも目に入れず。

 別に怒ったわけではない。

 ただ、予感があっただけだ。



「ふわあああ……」

 大きなあくびが出た。

 完徹したのだから当然か。

 何故完徹まで至ったのかは、思い出すまでもない。

 またしてもあの恋人たちのいざこざに巻き込まれたせいだ。

 しかも巻き込んだ当人たちは、小夜を忘れてさっさと帰ってしまった。

 お陰で一人残された小夜は、小学生たちに混じってラジオ体操をする羽目に。

 とはいえ、気分は悪くなかった。

 寝不足の重い頭は晴れないが、どこかすっきりした気分で周囲を見渡す。

 撤収する大人と朝飯前の遊びに興じる子どもたち。

 懐かしい風景が詰まった公園。

 囲う柵は子どもの背丈には大きく、大人の背丈には腰かけるのに丁度よく。

「さて、帰って寝るかー」

 伸びを一つして、ふっと一息つき。

 なんとなく柵の一つに向かって。

 呟いた。

「またね」

 ニッと笑みも付け足した小夜は、今度こそ振り向きもせず帰路につく。

 きっとまた、来年の夏もここに戻って来る。

 予感ではない、確信に近い思いを抱いて。

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真夏のかぐや姫 かなぶん @kana_bunbun

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