ボゴタに雨が降る

土屋正裕

ボゴタに雨が降る

ボゴタに雨が降る



気分は最悪だった。

日本を出てから丸2日近く寝ていないのだ。

中国人がうるさくて一睡もできず、私は寝不足で朦朧とする頭を抱えながら旅客機の座席に深く凭れていた。

漆黒の闇に包まれたアンデス山脈の中に突然、宝石箱をひっくり返したような夜景が広がる。

それがボゴタの町だった。


周囲を山に囲まれた古都は“南米の京都”と呼ぶにふさわしい。

近代的な高層ビルとスペイン統治時代の面影を色濃く残す歴史的な街並みが共存するボゴタは海抜2640メートルの“世界最高地の大都市”であり、南アメリカ大陸の玄関口・コロンビア共和国の首都である。

酸素は平地の4分の3しかなく、東京の酸素濃度を21%とすると、ボゴタは15%。

たった6%酸素が足りないだけで人間の体には不思議な変化が現れる。

疲れやすく、やたら眠いのに眠りが浅く、5時間も寝ると目が覚めてしまう。


雨季のボゴタは毎日のように雨が降る。

赤道直下のボゴタは年中春か秋のような気候で“常春の都”と呼ばれる。

雨が降ると急に気温が下がる。朝晩のボゴタはかなり寒い。


空港に降り立った私は思わず身震いをした。

世界最悪の危険地帯・コロンビアのど真ん中にいるのだ。

毎年3万人が殺され、3千人が誘拐される国。男も女も子供も老人も見境なく殺され、道端に死体が転がる国。

殺人の動機は「ビールを売ってくれなかったから」「財布に小銭が入っているのがみえたから」。些細な理由で簡単に人が死ぬ。

あまりにも殺人が多すぎて、警察もろくに捜査しない。女の死体もその場で衣服を剥ぎ取り、下着も脱がせて写真を撮る。レイプされていないか調べるためだ。

死体はいつの間にかどこかに消えてしまう。飢えたインディヘンテ(ホームレス)の腹に収まる。

闇市では人肉が売られ、金を払えば死体とセックスできる。死因の1位が殺人。人の命がどこまでも軽く安い国。

この国では天寿を全うすることは少ないが、子供の変死や行方不明は多い。子供の臓器は移植目的でヨーロッパに売られる。

上は大統領から下はホームレスまで命の保証のない国。

大統領府にロケット弾が撃ち込まれ、政治家は爆弾を投げつけられ、装甲車のような防弾車に乗っていても命を狙われる。大統領経験者は全身に11発も銃弾を浴びせられ、大統領候補は何人も殺され、ボディガードは全身を蜂の巣にされる。

政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵の三つ巴の内戦に麻薬カルテルが絡み、50年以上も戦闘と虐殺が続く国。

政府軍は無差別爆撃で農民を殺し、ゲリラは教会に逃げ込んだ農民を焼き殺し、民兵は農民を生きたまま電動ノコギリで切り刻んで殺す。

貧しい農民(カンペシーノ)は生きるためにコカの葉を育て、強烈な興奮剤であるコカインを作る。

悪魔の白い粉は乱用すると脳神経を破壊し、人間を野獣に変えてしまう。

海を越えたアメリカには唸るほど金があり、グリンゴ(アメリカ人の蔑称)どもは大人から子供までコカインがなければ夜も日も明けぬ。

コカ畑の利権を巡り今日もコロンビアでは雨のように血が流れる。

男は犯罪者。女は売春婦。愛と死と情熱とコカインが乱舞する国。

人間の欲望を煮詰めて濃縮したような国。

国民の知的水準の高さと相反する治安の悪さから「ソクラテスと切り裂きジャックの国」。

ラテンアメリカが抱える矛盾を凝縮したような国。

征服者スペインの獰猛な血と先住民インディオの温順な血。

キリスト教カトリックの禁欲的な戒律と欲望に忠実なラテンの本能。

上流階級は母なるスペインに自らのルーツを求め、肌の白さに異常にこだわり、底辺の人民は革命を夢見て終わりのない殺し合いを続ける。

メスティーソ(白人とインディオの混血)は男女ともに美形が多く、人々は信じられないほど勤勉で親切だ。

人々は朝の6時から夜の11時まで働く。荷物運びの若者は高地で徹夜の重労働に文句も言わず従事する。薄給で、少しでもサボればすぐ馘首されるのに、彼らは仕事を怠ける様子もない。

道を尋ねれば女の子は見知らぬ異邦人の手を引いて案内する。コロンビア人は云う。

「この国では9人が天使のような善人。あとの1人は悪魔のような極悪人」


私を乗せたタクシーはボゴタ旧市街(セントロ)に向かう。

コロンビアのタクシーは黄色の韓国車。雑な造りで車体の厚みは日本車の半分しかない。ドアを閉めると車体が大きく揺れる。私は苦笑した。

タクシーは夜の雨の中を疾走する。

コロンビアの道路は排水溝がない。コスト削減か、作り忘れたのか。雨が降ると道は冠水し池のようになる。タクシーは飛ばす。時速80キロは出ている。

人の好さそうな運転手は携帯電話を取り出し、左手でハンドルを握りながらおしゃべりを始める。操作を誤れば一巻の終わりだ。

タクシーは盛大な水飛沫を噴き上げながら幹線道路を飛ばす。

私はシートベルトをしない。腰で固定できない仕組みだから、しても意味はない。

事故ったらそれまで。人間、死ぬときは死ぬ。至る所青山あり。

細かいことを気にしていたら、この国ではやっていけない。何しろコロンビアなのだ。

橙色の街灯に照らし出された薄暗い通りには人々が群がる。赤茶けた瓦屋根の民家、重厚な石造りの古い教会、雨に濡れた石畳の路面。

夜遅くまで露店が立ち並び、ボゴタ市民の胃袋を満たす。油断なく鋭い眼光を辺りに向けながら、人々はエンパナーダ(挽肉パイ)をかじり、モンドンゴ(もつ煮込み)をすする。


私は旧市街の老舗の宿に旅装を解いた。

ここはボゴタ中心部ボリーバル広場に近く、周辺にはナリーニョ宮殿(大統領府)、国会議事堂、市庁舎が建ち並び、正義宮殿(最高裁判所兼法務省ビル)は目と鼻の先だ。

1985年11月、テロリストが300人以上を人質に立てこもり、銃撃戦で100人以上が殺された虐殺の現場である。

日中、広場には平和の象徴である無数の鳩が餌を求めて集い、多くの市民でにぎわう。

凄まじい暴力の時代を経験しながら、戦火を免れたスペイン風の白壁の屋敷、黄土色の壁の古民家が残る。数百年前から時が止まったかのような不思議な感覚。

この国には血塗られた悠久の歴史が今も脈を打ち息づいている。

戦後、焦土と化した日本は奇跡的な復興を成し遂げたが、すべてはアスファルトとコンクリートに塗り固められ、無機質で殺風景な街並みに塗り替えられた。

日本は歴史の死んだ国だ。


雨は飽くことなく降り続ける。屋根を叩く雨の音。窓ガラスを伝って流れ落ちる雨の雫。高地の酸素不足と相俟って私を陰鬱な気分にさせる。

洗面台に向かい、歯ブラシを咥え、髭を剃る。私の鼻孔を爽やかな石鹸の香りが満たす。

コロンビアと云えばコーヒーだが、この国はどこも同じ石鹸の匂いがする。


どうせ眠れないことはわかっていた。私はアグアルディエンテ(コロンビアの地酒。サトウキビの焼酎。スペイン語で「燃える水」の意味)の瓶を傾け、グラスに注いで一息に飲み干した。

透き通るように甘いアルコールが喉にスッと吸い込まれるように落ちていき、胃の中がカッと燃えるように熱くなる。


私はコロンビアの歴史について書かれた分厚い本を広げた。

「対立する自由党と保守党の党員は互いに憎悪を募らせ、両党の党員は全土で殺し合いを繰り広げた。それはスペイン植民地時代から続くアシエンダ(荘園制)の名残であった。政権交代が行われるたびに中央から地方まですべてのポストが入れ替わる。この国では“生まれたとき、へその緒に党名が記されている”という諺がある。どの党に所属するかで国民は人生の運命さえも決定づけられた……」

私はグラスにアグアルディエンテを注いだ。雨は降り続ける。

「コロンビアのラ・ビオレンシア(政治社会的暴力)は1946年から1958年にかけて頂点に達した。それは19世紀に幾度となく繰り返されたどの内戦――国土を廃墟に変え、骸骨の山を築いた1899年から1902年にかけての千日戦争よりも――凄惨を極めた。自由党から政権を簒奪した保守党は自由党時代に農地改革で失った土地を奪い返すため白色テロに訴えた。保守党の大地主はコントラチェスマ(窮民制圧隊)と称する血に飢えた殺し屋を雇い自由党系農民を殺した。彼らはほとんどアルコールと暴力で理性を失ったごろつきどもであった。虐殺を逃れボゴタに流れ込む農民は3万人に達した。1948年4月9日、ボゴタで自由党のカリスマ政治家ホルヘ・エリエセル・ガイタンが27歳の精神異常者フアン・ロア・シエラに射殺されると、人々の怒りは爆発した。激昂した群衆は暗殺者にただちに自らの命で罪を償わせた。彼らはこの哀れな男を殴り殺し、彼の衣服を剥いで死体を引きずり回した。暴徒はボゴタの街に火を放ち、貧民は金持ちの屋敷を略奪した。保守党政権が地方から到着した軍の力を借りて秩序を回復し、徹底的な虐殺で反乱の息の根を止めるまで、ボゴタは3日間にわたり暴力の嵐が吹き荒れた……」

酔いは重く深く回ってくる。私は飲み続ける。雨は降り続ける。

「憎悪に燃えた自由党と保守党の支持者は互いに殺し合った。それはあたかも人間はどこまで残虐になれるかの競争でもあった。両党の党員は捕虜を生きたまま体中に穴を開け死ぬまで放置した。少しずつ体を刻み、四肢を切断した。捕虜の喉を切り裂き、舌を引き抜く処刑法(ラ・コルバタ)は垂れ下がる舌がネクタイのようにみえることから“コロンビアン・ネクタイ”と呼ばれた。8歳の女児に対する集団強姦も行われた。敵に長く恐怖の記憶を残すためにありとあらゆる残虐行為が繰り広げられた。保守党の手先と化した軍の兵士は『敵を根絶やしにしろ!』という掛け声の下、男の睾丸を切り取り、妊婦の腹を裂いて胎児を銃剣で串刺しにした。コロンビア全土で想像を絶する暴力とおぞましい虐殺が繰り返された……」

頭が重い。私は飲み続ける。雨は降り続ける。

「最大で20万人が犠牲になった“暴力の時代”は当時のコロンビアの総人口の2%に当たる死者を生み出した。あるコロンビア人は云う。『我々は殺し合うために生まれてきたのだ』。これは誇張でもなく、ある意味、正鵠を得ているのだ。ビオレンシアの間、コロンビアの人々は殺戮に熱狂した。“デスキテ”や“サングレネグラ”(黒い血)と呼ばれる盗賊どもは略奪と強姦と虐殺をほしいままにした。人々は彼らの活躍を――スペインからの独立戦争で、大河マグダレーナを敗走するスペイン兵たちの首を片っ端から斬り落とした勇猛果敢な武将エルモヘネス・マサ将軍の武勇伝になぞらえて――報じる新聞をこぞって読み、この国に正義と秩序を取り戻そうとする官憲が彼らを永遠に眠らせるために討伐隊を差し向けると、人々は彼らの運命に同情し嘆息した。あるコロンビア人曰く『戦争とはスポーツであり、我々に生きていることを実感させる行為なのだ』……」

私は飲み続ける。雨は降り続ける。

「コロンビア人はラサ・ベンガティバ(復讐の民)と呼ばれる。彼らは世界のどの国の人間よりも愛情に深く、来訪者に親身で友好的であり、モラリストが多く礼儀正しい。だが、彼らは同胞が殺されれば加害者の一族に血の制裁を加えるまで、決して報復の手を緩めようとはしない。“愛情は十倍に、憎悪は百倍にして返せ”が彼らの掟なのだ。やられたらやる。徹底的にやり返す。暴力はコロンビアの風景であり、コロンビアの野となり山となり、もはや国土の一部と化してしまっている……」

私は頁を手繰った。私は飲み続け、雨は降り続ける。

「スペインのコンキスタドール(征服者)たちが艱難辛苦の末、カリブ海からマグダレーナ川を遡上し、険峻なアンデス山脈を乗り越えてボゴタにやってきたとき、この地には先住民チブチャ人の王国バカタが栄えていた。バカタの統治者ネメケンは残忍な王であった。彼は犯罪者を焼けた棒で串刺しにすることを好んだ。“ネメケン法”によれば、殺人と姦通は死刑。泥棒は両目を潰されることになっていた。異邦人は思わず息をのんだ。それは質素な掘立小屋であったが、どの家の軒下にも黄金の風鈴が吊るされ、風が吹くたびに心地よい音色を奏でながら、アンデスの陽を浴びて金色に燦然と輝いていた。彼らは確信した。自分たちが求めてきた“黄金郷”(エル・ドラード)はここにあるのだ、と……」

私は飲み続ける。アグアルディエンテの瓶が軽くなる。雨は降り続ける。

「コロンビアにやってきたスペイン人は云った。『ここには我々が求めているものがなんでもある』。温暖な気候。豊富な資源。親切な人々。ボゴタは“天国に最も近い都”なのだ……」

このまま飲み続ければ天国に行けるかもしれない。

私は飲み続ける。雨は降り続ける。



――敬愛するコロンビアの友に捧げる――

土屋正裕


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ボゴタに雨が降る 土屋正裕 @tsuchiyamasahiro

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